Monthly Archives: August 2014

“斷想:網路時代的大學教育” (中华读书报 2001年 2月 21日 )

斷想:網路時代的大學教育

中华读书报

2001年2月21日

貝一明/文 蔣洪生/譯

編者按:執教於美國伊利諾伊大學(University of Illinois at Urbana-Champaign)東亞係的貝一明(Emanuel Pastreich)博士對網路時代的大學教育有一整套極富前瞻性和可行性的設想。他認為:未來的國際一流大學必定是在網路教育方面高度發達的大學;對中國大學而言,網路教育機會大於挑戰,中國大學通過網路教育可躋身於國際一流大學,中國教育界不應喪失這一千載難逢的良機;網路教育會給中國的學者及學生創造與與世界一流大學密切交流的機會。下面刊發的是貝一明博士對網路時代的電腦與教育關係的一些基本看法。

貝一明先生畢業於耶魯大學中文系、哈佛大學東亞係(博士),曾留學中國,對中國有著深厚的感情。他最大的願望之一就是希望中國能更快、更深地融入國際化的潮流,並在這一潮流中不失自己的民族自信心,與世界其他國家平等合作。”我不怕中國強。我只希望富強起來的中國對於全世界、全人類擔負起和平和發展的重大責任,並為此作出偉大的貢獻。”這是貝一明先生常說的一句話。 Read more of this post

“中国通俗小说之影响于日朝” (中华读书报, 2001年7月18日)

中华读书报

 2001年 7月 18日

中国通俗小说之影响于日朝

 

贝一明 (Emanuel Pastreich)

 

 

 

为什么本国语成为今天朝鲜和日本用来写学术文章所采用的惟一语言形式,而在二十世纪之前,本国语写作基本上是附属于文言文或者作为文言文的分支呢? 回答这个难以回答的问题时,我们发现当今世界仍然处在一个叫做“单一民族的独立国家”的分裂野兽的阴影之下,它要求语言、习俗和种族与国家的地理边界一致。这样就不可避免地导致了一种看法,认为用本国语写作是最自然的,而用一种古典语言写作是被强迫的,做作的。

我们忘记了为什么过去那么多人选择用拉丁文、希腊语、波斯语、阿拉伯语和汉语的书面语来表达自我,尽管这些语言的发源地不论从地理位置上还是从时代上都很遥远。 Read more of this post

Cryptic glyph near my home

I have become fascinated by this cryptic glyph that is spray-painted on a wall near my home.

 

Not sure exactly what it means, but it seems to have some profound meaning.

 

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Looking again at the President Wilson’s 14 Points

Focusing on President Wilson’s 14 Points

Emanuel Pastreich

August 30, 2014

The Asia Institute

 

In light of the obscure negotiations concerning trade agreements and the lack of transparency in the diplomatic and security interactions of the United States with other nations, I would like to draw attention to the “Fourteen Points” issued by President Woodrow Wilson on January 8, 1918. At the time, the United States had entered the First World War, dragged into a blood bath between colonial powers which had little, or no, moral import. Although there are many who have criticized Woodrow Wilson for starting the United States on the path to foreign intervention and engaging in an ambiguous war, it is also true that by setting the United States up as the only country that had any explicit goals in the conflict, and making those goals something beyond narrow national interest (read “interests of the ruling class”) Wilson gave the United States a moral authority in international affairs that would last for a century and would be the reason that many were willing to forgive America’s mistakes in the interest of a greater global order.

That authority has been squandered away by the United States, and I mean the educated and privileged Americans who should have known better than to let this shift happen. And now we are seeing the dark consequences: a tendency around the world to assume that the United States has only pursued the most selfish goals both domestically and internationally from its very inception. That collapse of legitimacy can be seen in the profound doubts about the United States in Middle East as it can be seen in the response to the militarization of the military in Ferguson, Missouri.

I do not want to claim that President Wilson was a hero. He was quite simply a politician.  I believe that the ideals he held up remain critical to us. The United States can benefit a bit from going back to his writings.

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“여성의 상품화는 이제 그만” (중앙일보 2014년 8월 30일)

중앙일보

“여성의 상품화는 이제 그만”

2014년 8월 30일

임마누엘 페스트라이쉬

링크 

 

한국의 각종 매체에 등장하는 여성의 모습은 지난 5년간 줄곧 왜곡돼 많은 이들의 우려를 자아낸다. 잡지·입간판·포스터·지하철, 그리고 텔레비전 광고에는 한결같이 고혹적인 포즈를 취한 여성들로 넘쳐난다. 불과 20년 전만 해도 가위 ‘소프트 포르노’로 여겨졌을 법한 모습들이다. 간혹 남성 모델을 내세울 때도 있지만 특히 여성의 신체적 특성을 활용하려는 광고업계의 시도는 그 끝이 보이지 않을 정도다. 그들은 인간의 은밀한 욕구에 호소해 소비자의 판단을 흐리게 하고, 인간의 타고난 매력을 저속하게 변질시켜 즉각적인 만족과 즉흥적인 소비를 이끌어내는 데 여념이 없다. 바야흐로 여성의 상품화 시대다.
여성을 상품화하려는 전략은 여성, 특히 젊은 여성들에게 심각한 영향을 미친다. 나이가 어릴수록 각종 매체가 던지는 은밀한 메시지에 현혹돼 ‘육체적 매력이 내 삶에서 가장 중요한 문제’라고 여기기 때문이다. 특히 젊은 여성들은 이런 숨은 메시지를 무비판적으로 받아들여 ‘상업화된 성(性)’이야말로 자신을 표현하거나 사회적 인정을 받는 데 필수적인 요소로 간주한다. 요즘 취업을 위한 면접에서 업무수행 능력보다 외모가 갈수록 중시되는 분위기도 이 같은 외모지상주의를 계속 부채질한다. 비싼 돈을 들여 면접용 사진을 따로 찍고, 입사하고자 하는 회사의 업종에 어울리는 면접용 머리 손질까지 유행이다.

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“フェイスブックと将来のグローバル・ガバナ ンス” (ザ・ハフィントン・ポスト)

ハフィントンポストジャパ

 

フェイスブックと将来のグローバル・ガバナンス

2014   8  21 

エマニュエル パストリッチ

リンク

フェイスブックは、全世界の人々が共通の関心事を持つ友だちを探す空間であり、よりよい世の中をつくるための方法について、ともに真摯に意見を交換できる重要なプラットフォームとして発展してきた。

フェイスブックは個人の利用者を「潜在的な広告需要者」とみなし、個人所有の掲示物から収集した個人の情報を第三者に販売するなど、利益を追求する企業ではある。しかし、個人がサイバー上で多くの友だちをつくり、全世界的に人脈を広げることができるという点では、フェイスブックは完璧ではないがこれまでで最善の手段であるといえる。 Read more of this post

“外国人の目に映った「統一大チャンス」” ( 中央日報 2014年 3月 4日)

 中央日報

“外国人の目に映った「統一大チャンス」”

2014年 3月 4日

  エマニュエル・パストリッチ

最近、韓国人の間では「統一大チャンス」が話題だ。しかし外国人はこうした大きなチャンスがどこにあるのかよく知らないようだ。もちろん韓半島(朝鮮半島)の統一は新しい国を建設するという意味で、国際社会と青少年の関心と情熱を呼び起こす可能性がある。統一を成功させるためには、国内と海外の積極的な参加と情熱も必要だ。

しかし南北統一に対する見方からもう一度考え直してほしい。南北統一は韓半島という範疇を越え、世界の未来、国際地政学的にも非常に大きな革新だ。もちろん北朝鮮に埋蔵されている石炭・希土類の地下資源など、統一すれば手に握る利益もある。しかしどのように資源を利用するかによって、必ずしも経済にプラスの影響を及ぼすとは断言できない。

高度に訓練された低コストの北朝鮮労働力を話す人も多い。これは中国や他国との競争を考えれば重要なポイントだ。しかしこれも暫定的な推定にすぎない。むしろ最終的には統一韓国の労働コストが下方平準化される公算が大きい。低コストの北朝鮮の労働力が統一韓国にプラスになるという予測は、長期的には政治的な判断ミスとなる可能性もある。何よりも上で挙げた長所は、韓半島の統一に向けた国際社会の協力を引き出すには力不足だ。

むしろ韓半島統一の重要性は前世紀に我々が一度も目撃したことがない大規模な実験というところにある。新しく国家を建設し、途方もない革新が伴うからだ。多くの人がドイツ統一と比べて韓半島統一の条件ははるかに劣悪だと考えている。これは逆に、韓半島統一が引き起こす変化の深さがドイツ統一とは比較にならないほど甚大であることを意味する。

統一すれば韓国政府が極度に貧しい北朝鮮の数百万人の住民の生活を抱え込むという懸念もある。しかしこれは統一という挑戦に臨む正しい応戦態勢ではない。最近ソウルで開かれたアジアインスティチュートのセミナーで、国際関係専門家のジョン・フェファー氏はこのように強調した。「韓半島統一は富国と低開発国を一つの国として統合する歴史的なものとなるだろう。もし統一韓国が文化・社会領域での改革を通じて成功的な解決策を提示すれば、これは世界のための一つのモデルになるだろう」。

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“ある“アフリカ系韓国人”の悲哀”(中央日報 2014年 4月 1日)

中央日報

“ある“アフリカ系韓国人”の悲哀”

2014年 4月 1日

エマニュエル・パストリッチ

 

筆者の慶煕(キョンヒ)大学同僚であるエド・リード教授が、この前仁川(インチョン)空港で目撃した光景について聞かせてくれた。ある黒人が出入国審査場の“韓国人”審査台の列に立って待っていた。親切にも3人の韓国人が順に彼に近付いてそばにある“外国人”専用窓口側の列に移るよう言ったという。とても不快そうに見えたが、頑固に立ち続けていた。やがて彼が出入国審査を受ける番がきた。実はその“黒人”は大韓民国の国籍を持つ堂々たる韓国人だった。

韓国で“多文化”は普通、東南アジアや中国出身の外国人妻と韓国男性がつくる家庭だけを指し示す用語として誤って通用している。もちろん彼らもまた韓国文化の一員として受け入れなければならない。しかしこれらの家庭だけが多文化というのは明らかに語弊がある。韓国社会で多文化は、ほかの文化を吸収して統合できる包容的な文化を作ることを意味しなければならない。多文化の基盤は、外国人を受け入れて変化させるだけでなく、海外同胞、養子さらに北朝鮮同胞までも抱く包容的な文明でなければならない。
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“大韓民国、使い捨て社会から脱却したら” (中央日報 2014年 6月 3日)

中央日報

“大韓民国、使い捨て社会から脱却したら”

エマニュエル・パストリッチ

2014年 6月 3日

 

私はコーヒーが本当に好きだ。ところでカフェでコーヒーを注文する時は困惑している。コーヒー自体は、やはりおいしい。ところでこのコーヒーが紙コップの服にプラスチックの帽子をかぶり、時には紙のベルトまでつけて現れる。ここに5~10枚のナプキン、砂糖とクリームをかき回すスティックを伴う。ときおりウェットティッシュと宣伝用のビラまでついてくる。

資源枯渇のこの時代に、韓国で途方もない物質の浪費を見るのは苦痛だ。特に残念な点は、多くの韓国人がそういう習慣が誤っていると認識さえできないということだ。スタッフもやはり顧客にこんなに多くの使い捨ての物が必要なのかを尋ねず、店舗内で飲む顧客にも、紙コップの代わりにマグカップを使うかを尋ねない。最初からマグカップを洗う空間をなくしてコストを節約する店も多い。  Read more of this post

“漢江の奇跡…その裏の歴史を知らせよう” (中央日報 2014年 7月 14日)

中央日報

“漢江の奇跡…その裏の歴史を知らせよう”

エマニュエル・パストリッチ

2014年 7月 14日

 

ドイツ自動車のテレビ広告は似たパターンが多い。車1台がスピーディーに森の道をあっという間に走り抜け、古風な邸宅の前に軽く止まる。その時、他の自動車ブランドでは見られない、ドイツ車特有の精巧さを誇るドイツの独歩的なエンジニアリング技術に関する説明が続く。

このような広告は、ドイツがグーテンベルクによる世界初の大量聖書印刷にまで遡る科学とエンジニアリングの驚くべき伝統を持つという事実を、誰もが知っているからこそ通用する。それだけではない。マックス・プランク、アルベルト・アインシュタイン、そしてプログラミングが可能な最初のコンピューターを発明したコンラート・ツーゼなど、傑出した科学者を排出した国がドイツだ。ドイツのエンジニアリング技術レベルは、こうした広告を見る人にあえて説明しなくてもよいほど十分に知られている。簡単に言えば、ドイツのエンジニアリングは別に注釈を付けなくてもよいほど信頼が構築されているということだ。  Read more of this post