「科学と技術を分離して考えよう」 (中央日報 2016年 3月 7日)

中央日報

「科学と技術を分離して考えよう」

2016年 3月 7日

エマニュエル・パストリッチ

 

私は2008~2010年、大徳(テドク)研究団地にある政府外郭研究所の人々と緊密に仕事をした。韓国科学技術の未来について研究所の人々と熱を帯びた対話を行った。当時研究者たちは2008年教育科学技術部のスタートによって科学技術部が消えたという事実を実に惜しいと思っていた。彼らは科学技術部という独立部署が長期的な研究支援を通じて韓国の高速産業化に寄与したと評価していたからだ。

私の考えは違う。科学技術部を再び設立するのではなく「科学」と「技術」を分離して「教育科学部」と「産業技術部」を作ることが韓国の科学技術発展にとってさらに助けになるとみている。

科学と教育を1つにまとめることが適切だ。教育と科学は2つとも論理と想像力を動員して真理を体系的に追求するためだ。科学と教育の結合は、韓国教育の質を向上させるのに多いに役立つだろう。多くの政府官僚や学校・行政家たちが教育を「真理と倫理的な理解の追求」とみるよりも、サービスあるいはひょっとしたら効用とみなすことになった。その結果、教育は事実の伝達に過ぎないことに意味が縮小された。事実が持つ意味についてはこれと言った関心を傾けなくなった。科学を教育部が持っていくことになれば、教育は断絶的な事実の暗記という現状を乗り越えることになるだろう。学習における真理の追求が占める地位について、新たに意識することになるだろう。

同じように技術というのは「科学的な原則を実生活に創意的に適用すること」なので、技術は産業と良いペアになる。不幸にも、多くの韓国人は産業を金融の延長とみなす怠惰で危険な習慣に陥った。技術は投資家のために利潤を作る手段になってしまった。そういう偏狭な見解のために、私たちは「社会問題解決のための技術の適用」という産業の本源的な姿から遠ざかった。

私たちはよく、次のように仮定しやすい。産業は人々が消費したい商品を生産することによって富を創り出す。その次に私たちは直面した問題を解決するために利潤を使って商品を購入する。だが、ある問題の場合には、ただ商品を無料で分けて、すべての人がその商品を所有するよう保障するのが最上の解決策だ。また産業がひたすらお金を稼ぐことに関係していると前提にするのは、地域経済で極めて役立つよう機能できる物々交換の可能性を排除している。

その上、技術が幾何級数的に発展するこの時代に科学と技術を混同するのは危険だ。技術は人々を誤って導くバーチャルリアリティを生産するためだ。テレビやビデオゲームに出てくる木やきれいな水を見た人々は、環境に問題はないと感じるかもしれない。だが砂漠化と空気汚染が私たちを囲んでいる実状なのだ。科学の基礎である率直な真理の追求が、教育と日常生活の中心に席を占めなければならない。それでこそ私たちは長期的な発展に必要かつ適切な決定を出すことができる。私たちが科学と技術を混同すれば、私たちは技術が私たちの人生に及ぼす否定的な影響をまともに評価できなくなる。また技術の使用を統制するための戦略を探し出すことができなくなるだろう。

ビデオゲームのような技術は、人々を現実の本質から離脱させ、誤った道に導く恐れがある。また関心がほかの所にひどく注がれるので、深刻な問題に対してそれ以上体系的に考えることができない。このような技術の誤用が社会や韓国の競争力に及ぼす否定的な影響を確かめてみれば、ビデオゲームで得ることになる利潤は重要ではない。不幸にもますます多くの韓国人がコンピューターゲームで人生を浪費している。

 

私たちは社会で技術が肯定的に使われるよう技術の使用を積極的に管理し、規制しなければならない。例えば私たちは科学を活用して生徒たちがいつコンピューターを学習のために使い、いつ生徒たちにコンピューターやほかの機器の使用を許諾しないかについて規則を樹立しなければならない。コンピューターを使用できない時には生徒たちが世界について考え、解決策を創り出す活動に参加するよう義務化すべきだ。コンピューターの使用と不使用という2種類の体験の間を行き来することが素晴らしい教育効果を生む。だが、このような結果は技術の使用を通じたものではなく、ひたすら科学、特に「技術の科学(a science of technology)」を通じるだけで達成されうる。

韓国には途方もない発展の可能性がある。だが潜在力を実現するには技術の可能性について科学的に評価しなければならない。市場の需要や欲求を技術発展の原動力とするのは無責任だ。また私たちが作っていきつつある世の中で生きなければならない私達の子供たちを裏切ることだ。

技術が社会に及ぼす影響力について科学的に思考し、私たちの社会に肯定的な影響を与える技術の使用方法を選択するのは私たちが負っている倫理的な義務だ。技術の否定的な影響を綿密に把握することができなければ、どうなるだろうか。衝動的で社会の未来に対するビジョンがない韓国人が量産されることだろう。市民ではなく消費者が治める国の未来は本当に暗鬱だ。

 

 

 

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