ハフィントンポスト
2016年 11月 23日
エマニュエル・パストリッチ
最近、会議のため南京へ行くことになった。あの有名な「夫子廟」へ連れて行ってほしいと案内係の学生さんにお願いした。南京は初めてなので、下町の昔ながらの喫茶店でお茶を飲みながらのんびりしたいと思った。
今回南京に来たのは初めてだったが、明の時代まで「金陵」と呼ばれた「南京」のことはよく研究していた。東京大学とハーバード大学で中学文学を勉強したとき、南京を舞台にした詩集をたくさん読んだ。十七世紀の散文雑記で描かれた秦淮河のきれいな景色に印象深く、大学で小説『紅楼夢』を読んだときも、十八世紀の南京の軒を連ねる邸宅が何度も頭に浮かんでいた。
しかし、賑やかな街を歩いて昔の金陵の風貌を探そうとした私の努力は無駄だった。夫子廟辺りは昔の建物が既に取り壊され、ファーストフード店や洋服屋の入っているつまらないコンクリート造建物が立ち並んでいる。確かに上質なお茶を売っている店も何軒かあるが、そこで売られている食べ物やお土産はバンコク、ロサンゼルスのとほぼ変わらない。結局、南京製のものには一つも出会わなかった。詩人、小説家どころか、匠、職人の姿までいつの間にか消えていた。
夫子廟のなかも昔の風貌がなくなった。石壁や土壁の代わりにコンクリートの壁が溢れている。大工さんの腕が悪く、壁と床のつなぎ目がいい加減に仕上げられていた。置かれた家具の作りが悪く、壁に掛けられた絵画があり溢れたものばかりだった。
あの日、南京ではパリのノートルダム大聖堂や日本奈良の東大寺で拝見したような心を動かされる歴史の跡には出会えなかった。南京の過去はすべての中国人が勉強しなければならないとある本の中で読んだ気がしたが、街中を歩いてみたら、その華やかな歴史文化は今の南京とほぼ関わりなくなったように思われる。
案内係の学生さんのおかげで昔風の喫茶店が見つかった。喫茶店を出たとき、悲しい気持ちで胸がいっぱいになった。中国の歴史伝統が次から次へと消えていく。これは文化大革命のせいではなく、消費文化の激しい成長が招いた結果と言っても過言ではない。そしてこの悲しさは確実で深いものだった。
しかし最も悲しいのは、古代中国は持続可能な有機農業によって世界一のシステムを作り出し、国の複雑な官僚制度を支え、多くの人々を養えてきたにも関わらず、その素晴らしい有機農業の伝統が捨てられてしまった。アメリカ農学者フランクリン・ハイラム・キング(F• H• King)がその著書『東アジア四千年の永続農業-中国・朝鮮・日本』(Farmers of Forty Centuries, or Permanent agriculture in China, Korea, and Japan)で、東アジアは確実な永続農業のモデルを作り出しており、アメリカはそれを導入すべきと呼びかけている。一方、中国は致命的な化学肥料と農薬を取り入れたせいで、農業は持続可能なものでなくなった。古代中国の農業文明の素晴らしい知恵が最も必要とされた今、その跡取りが見つからない。
また、消費社会の残酷な価値観の反面、中国人の素朴、節約、親孝行、謙遜の人柄がとても魅力的に思われるが、これらの美徳を求めに中国にきたら、あなたはきっとがっかりするだろう。
中国の欧米化の夢
欧米文化が受けている悪い影響を減らし、そのあり方を求めるために、多くの欧米人が中国に訪れてくる。同じ目的で、アメリカ社会を支える制度を蝕んでいる物質主義と軍国主義に絶望感を持つ私は、中国文学を勉強することになった。中国の儒学、仏学及び道学思想は、人間のすべてを金銭で評価するアメリカに新しい基準を提供している。 Read more of this post