「環境部が主導する新しい大韓民国」 ハフィントン・ポスト

ハフィントン・ポスト

「環境部が主導する新しい大韓民国」

2018年08月13日

エマニュエル・パストリッチ

 

過去11年間において、私は韓国の環境部(「部」は日本の「省」に相当)と直接協力して仕事をする機会が何回かありました。それは2008年に私が当時住んでいた大田市の未来のための提案を書いたときから始まりました。2008年1月に「大徳ネット」に掲載された「大田は世界経済をリードする先端環境都市」の草案を作成する時に、韓国核融合研究所の研究員ハン・ジョンフン博士と一緒に作業しました。その提案は、大徳研究団地の科学者たちと大田市の協力を促しており、これは「大田環境フォーラム」(後に「大田グリーン成長フォーラム」に変更)結成につながりました。このフォーラムは、市民と政府職員と科学者たちが集まって大田を生態都市へと進化させる方法を議論する場になりました。

このフォーラムはメディアでも取り上げられましたが、自動車ベースの都市文化を変えることになると、大きな牽引力はありませんでした。私が出会った環境部の関係者は親企業的な李明博政府が建設会社を通じて進行させている破壊的な行為が、実際には環境に良くないにもかかわらず、環境に役立つかのように臆面もなく宣伝しなければならないという、非常に苦しい立場に置かれているようでした。

また、韓国の市民たちが環境部に保護者の役割をすることを期待していたのに反して、不動産業者と開発業者に莫大な富をもたらした「4大河川プロジェクト」に基づいて、自然河川へのコンクリート堤防とゴルフ場建設を推進することを強要された官僚だけに予算がサポートされたことを私は目撃しました。このような経験があったので、私の著書「韓国人だけが知らなかった、より大きな大韓民国」(レッドウッド社発行)で提示した韓国経済の再考をテーマにした、環境部の高位級公務員150人を対象にした講演依頼のメールを受け取った時は大変驚きました。

キム・ウンギョン(恩京)現環境部長官は、社会や環境問題に対処する活動家として長年過ごされ、地方自治体でキャリアを開始されました。私は、金長官が産業化に執着する韓国社会で生態倫理のために戦うことがどういうことなのかを知っていたと思います。最近、私の著書を読んだ金長官は、外国人が来て、より大規模な環境政策の問題について話をすることが有用であると思われたようでした。私も今回のイベントは、私の人生の中で最も意味のある講演の一つであったと思います。

世宗市にある環境部を訪れたのは今回が初めてです。今回の旅行自体は環境に優しい韓国を作るために行かねばならない道程が非常に遠いことを改めて感じざるを得ませんでした。というのも、世宗市には鉄道駅がありません。ここに来るためには、エアコンをガンガンに効かせて大気を汚しながら進むタクシーで地方都市を横切らなければなりませんでした。またその途中で、浪費的生活様式の奨励が主目的であるアパート団地の建設のために、木が伐採され土壌が破壊されるのを目撃しました。

環境省が位置している場所は、長期的な気候への影響がべつに心配されていない、外部と遮断された蛇型の政府庁舎の建物の中にあります。強いエアコンのおかげでジャケットとネクタイを着用して講演することも非常に快適でした。ここで使用された電気は太陽光発電で生成されたものではありませんでした。「気候変動」という言葉はどこにもありませんでしたが、環境問題を扱うための真摯な努力を描いたポスターがありました。長年の薄っぺらな環境政策に苦しんできた人々の間で変化に向けた真の動きがあることを感じました。

率直に言って、今回のイベントと関連して少しの心配がありました。私のスピーチは非常にストレートであり、過去80年間、韓国での成功の象徴とされてきた先進工業社会が非常に深刻な危険に陥っていることを示そうとしたからです。石油や石炭の輸入を中断し、農産物の輸入も減らすべきだと主張しました(政府のすべての政策に関連する自由貿易イデオロギーに反する)。化石燃料を推進する企業の放送支援が気候変動に関する報道を歪めるので、これらの企業のTV広告を許可してはならないと提案しました。このような演説は非常に大きな議論を呼び起こす可能性が高かったのですが、意見の相違があったとしても、そこからいかなる敵意も感じませんでした。実際に私は、気候変動に関するこの正直な対話から真の情熱を感じました。

私の発言が終わった後、ある官僚が「米国や中国、日本に住むことも可能であったのに、なぜ韓国を選択したのか?」と、今までにもよく聞かれた質問を受けました。私はこの質問に対してさまざまな方法で回答をすることができます。今度は私が韓国に来た理由は、K-POPやキムチやカルビが好きだからではなく、むしろ過去の政府の伝統と道徳性を強調する政治と経済の長期的な持続性に魅力を感じたからだと答えました。以前にもこのような答えをしましたが、言った後に、その質問へのより正確な答えが頭に浮かびました。

実際に日本と中国の環境部は、そうして気候変動の議論さえ禁止されている私の母国アメリカの環境部の場合、このような演説を絶対に許さなかったでしょう。環境活動家グループにではなく、実際に政策に携わる人々に対して、私の辛辣でさらに革命的であるかもしれない発言が、公式な方法で伝達できるという事実は、奇跡そのものでした。そこでは、私の発言を検閲しようとするいかなる試みも、私の発言する内容を盛り込んだ複写物を会議に参加したすべての人に配布することを躊躇している動きが全くありませんでした。

また、過去3週間の間に、それぞれ別のプログラムに基づいて、軍隊のすべての支部から来た将校たちを対象にした4回の講演でも、環境部で経験したものと同様の驚きを経験しました。少佐級と大佐級の将校の前で、私は気候変動、社会の分断化、反知性主義の拡散のように、最近台頭している脅威について詳細に説明しました。

私が11年間、韓国に滞在した真の理由は、このような韓国の主流社会の開放性にあります。時には韓国政府の政策が間違った方向に行くことがあるので、常に最高レベルで率直に議論する必要性があります。しかし、韓国では気候変動のための闘争は今始まったばかりの段階なので、制度的・文明的災害に直面していても、これに対する認識は非常に低いレベルにあります。ほとんどの市民は、電気の使用と環境問題との間の因果関係についてよく知らずにいます。一般大衆は、石炭や石油の燃焼を通じた発電が、私たちが直面している異常気象とは全く関係がないものと認識しています。私たちの前に横たわる長い闘争を考えるたびに、私は、気候変動に対応する道徳的責任について「問題は、私たちがどのように成功するかではなく、どのように失敗するのか」と述べた仏教哲学者スティーヴン・ジェンキンソン(Stephen Jenkinson)の発言を思い出します。今回の環境部の講演を通じて、少なくとも私はもはや独りではないことを感じました。

 

以下は、7月27日の環境部での講演内容です。

大韓民国を導いて行く未来の環境部

 

今日の講演を皆さんの想像力を刺激する一つの質問から開始してみたいと思います。そして私は存分に自由にその答えを言ってみようと思います。もちろん、私が言う答えが現実とかけ離れた考えのように見えるかもしれないでしょう。しかし、この考えは客観的に検証された科学的研究に基づいて韓国の未来を描いた時に、将来において十分に実現可能な主張(ビジョン提示)になります。

質問はつまり、「環境部が最大で最高の政府機関になるためには、どのような変化が韓国には必要か?」です。

そのためにはまず、私たちの考え方に革命的というほどの変化がなければならないでしょう。そして政府の政策は今までとは違って、ますます科学的原則に立脚して開発する必要があります。これまでは恐らく、感情的な世論の反応と誇大広告の中であいまいで無責任な方式に依存してきた傾向が強かったと思います。

私達は今、災害に近い気候変動の環境の中に既に入っています。この巨大災害に対抗し対応するための部局として今、環境部の構造と役割と能力が極めて微弱であることは皆さんが肯定すると信じています。問題の本質と現実を自覚して実質的に対応するためには、国の保有資源と努力を環境部に集中させて、経済や文化全体を構造調整し、この過程で他の政府部局間活動を調整する中央機関に昇格して機能する必要があると私は見ています。

この過程で認めなければならないいくつかの事実があります。簡単には肯定したくない事実もあるでしょうが、それを否定する根拠もやはりない事案なのです。

まず、「真実」は、本質的に民主的ではありません。なぜなら真実は科学的調査を通して証明されるため、投票で決定することができる事案ではないからです。また、私たちの生存を脅かす「真実」がある場合には、ひっそりと「真実」として現れて自覚されるべき問題です。そのため、深刻な気候変動の問題について、大衆が知っておくべきか、それとも知らせないかを投票で決めることではないように、気候変動の深刻性の「真実」を私たちがすべて気づくことに関してはどんな妨害と障害があってはなりません。

しかし、すでに私たちの現実では、企業の広告やスポンサーに支えられているメディアからもこの問題を完全に無視しているのが実情です。しかしながら、これらのまだ完全に明らかになっていない「真実」の影響で、国民の関心が不足しているとして、環境部や政府の行動に制約が課せられては決してならないでしょう。

政府は真実の追求と、私たちの社会の改善のための政策開発と実施を任務とする機関です。この任務のためには、堕落した制度が伝播する誤った観念に立ち向かう勇気が必ず必要になります。そして、国民の関心が足りないとしてこれを回避するのではなく、さらに前面に出て、やるべきことをやらねばならない時が今なのです。

これを実行するためには強い政府があるべきであり、強い政府の中には倫理意識と責任感で武装された知識人たちがいるべきでしょう。これは国家の健全性を担保するために絶対的に重要な要素です。民主主義は強い政府を作っていく上で効果的な力となっていますが、もしこのような強力な政府が意味のある市民教育を継続的に提供して、本当の報道をサポートしていないようであれば、本能的ポピュリズムに流され全体主義政府に変質する恐れが生じます。強い政府とは企業の規制と課税を推進する政府、国民の健康と環境に密接に関連した企業と財閥の活動内容の公開を要求することができる政府です。そして道徳的権威を認められて、国が利益を得る方向を評価し、一般市民と専門家と政府官僚が一緒に参加している真剣な対話の場を継続的に進めて、当面の時代的課題を解決して行く長期計画を策定することができる政府を言います。

今後、韓国政府の未来を構想して見ると、私たちは西欧モデル(米国式の先例)への依存から脱して韓国の優れた伝統的ガバナンスを今の時代に合わせて再構成する必要があると思います。韓国は伝統的に森林と土壌を保護し、長期的な観点から生態系を維持する規定や慣行と文化を持っていたので、伝統的ガバナンスを復活させることは、私たちの生活環境や生態系への肯定的な変化をもたらす大きな課題です。韓国の過去の中で、私たちは、政府官僚がメディアや株式市場にこだわらず、倫理的原則に従って「100年の大計」を構想していた、長期的視点の時代が明らかにあったことを知っています。過去にそのようにすることができたのなら、今でも十分に行うことができることに、私たちは強い自信を持つことができるはずです。

今日、私たちは、非公開な民間企業の短期収益のために計画を策定して、腐敗したメディアを利用して、まるで認められた事実であるかのようにこれを推進することが慣行になる時代に生きています。もし過去の歴史の中の官僚がこのような行動を見た場合、明らかに大きな衝撃を受けると想像してみてください。今の時代を生きている私たちは、すべての現在の方式がどんなに嫌悪的かを悟って、一日も早く現世代の混乱と勘違いを誘導する障害を取り外す時です。

もちろん昔の方式がすべて正しいとは限りません。過去の女性の能力軽視、偏狭な視角、硬直身分と階級制度は非難されて当然です。しかし、もし火星人が地球に来て200年前の先祖の生き方と今の私たちを比較すれば、私達が洗練された服を着てスターバックスで時間を送るとしても、今の私たちの姿だけがはるかに良いと評価するようには思えません。

私たちは大きな変化の頂点に置かれているのかもしれません。第二次世界大戦後に成長してきたグローバル経済システムが完全に崩壊して、韓国が神聖視する自由貿易システムを終わらせるかもしれない最大の危機が目前に迫っています。今、韓国では1960年と似た経済、文化、政治危機が進行中です。おそらく1960年より悪い状況であるかもしれません。1960年には空腹に苦しむ国民が多く、北朝鮮との対立によって社会全体が恐怖の中で硬直した環境でした。しかし、国民は本を読み、意味のある知的議論に日常的に参加することができる雰囲気でした。それだけでなく韓国の食料自給率は今より高く、有機農業に従事している人たちの人口比率も安定レベルにありました。

化はどこから始まるか?

「私たちのための」変化は果たしてどこから始まるのでしょうか? 変化が最初に開始されるのは、少数の知識人集団です。彼らは体制が強要する人為的目標達成を義務として受け入れず、同僚や平凡な市民たちを意味のある議論の場に導き、長期的な視点で政策を開発するために、これまで自分が蓄積した学識と専門性を活用することができる人たちです。このような努力が公共教育の一線に立っている教師や教授、そして公務員から試みられた場合、大規模な民衆デモとは異なり、持続性を担保することになると思います。歴史的事例を見ても、世宗大王と正祖大王以来、数多くの社会改革のための努力の先鋒にはいつも彼らが立っていました。

これまで伝統的儒教と道教、仏教の価値と韓国の伝統ガバナンスモデルは、持続可能な韓国を構築するのに絶対的に重要な役割をしました。これらの価値を再び高めるなら、浪費を日常的に行う消費文化と食欲、性的刺激のみに集中した反知性的文化を締めくくるのに貢献できるでしょう。これからは私たち自身と家族、そしてすべての市民の役割が重要であることを悟って、その役割にすべての人々が参加しなければならず、その努力は今ここで開始する必要があります。

常に新しいものを見つける気まぐれな消費主義のおかげで、韓屋村などを通じて韓国の伝統文化が再び注目を集めています。しかし、消費主義に立脚した伝統文化の再評価は、消費に依存した経済構造が望ましくないと信じている伝統的ガバナンスの基本的な前提と対立することになります。伝統ガバナンスによる経済は、本質的に倫理的な性格を持っています。20世紀初めに韓国が受け入れた経済概念を本質的に変え、後に倫理的破綻に陥ったアメリカの自由市場経済が押し入ってきて、状況はさらに悪化しました。

「経済」という言葉は、本来「経世済民:世事を経(おさ)めて苦境に陥った民(百姓)を済(すく)う」に由来したものです。しかし、20世紀に 倫理的原則を無視して、手段と方法を選ばずに機械的に収益を追求する個々の領域においてを解釈しました。

このような経済の概念はまだ韓国と日本人の思考構造を支配しています。企業は可能なすべての手段を動員して短期の利益に没頭し、またその収益は株式市場に反映されるようになります。個人が証券市場で巨額の利益を得ることができる場合には、その個人が自発的に環境、社会NGO団体に寄付をする場合に感謝を表すことが出来るだけで、私たちの社会は、その個人がそのように多くのお金を稼ぐことができたメカニズムについて、規制や批判的考察の対象にはできません。

真実は民主的ではありません。ただ一人だけが自覚して信じても真実は真実です。現制度は世論だけを重視しますが、世論は偏向されていることが多いのです。たとえ一般市民の考えを代弁する世論と言っても、堕落したメディアが注入した歪曲された世界観の影響下にある可能性が高いのです。このような世論は民主主義とはなんら関係がなく、現在の秩序を擁護する社会的合意があるという信仰を拡散し、真の代替的意見を抑圧し、民主主義を変質させるのです。

したがってニュースは「これが世論」と打ち出すのではなく、科学的原則に基づいて現在の状況を分析し、政府と議会、企業をはじめとする制度や機関が実際どのように運営されるのか、詳細を忠実に市民に提供する必要があります。

しかし、現在のメディアはこのような役割を全く果たしていません。

そうであるため、市民は自らの知的欲求を高め、市民の役割を果たすことができるように注意力をさらに開発する必要があります。 一般市民は政策の議論に参加するほどの情報と注意力を欠いているという前提は、これらの意見を軽視し、政府を権威的にするための不正手段としてよく利用されます。政府がともすれば打ち出す「ブランディング」と「マーケティング」、「サービス」、「世論」などは、概念の実際の適用可能性と現実性をチェックしてみる必要があります。何よりも、短期の利益に重点を置いた企業型モデルは絶対に政府の目標になってはなりません。

今、大学の知識人たちは、営利企業が運営する学術誌のために、現実に適用されることがない論文を生産する奴隷に転落したようです。彼ら「知識奴隷」が市民や政府官僚と一緒にコラボレーションするという道は公に断たれました。つまり、私たちの社会が彼らの専門知識を活用する道が断たれたということです。これらの問題に加えて、私たちは合理性を持ち出し、地方大学を廃校にする愚かな選択をしています。これは、大学を労働者の生産工場と考えた場合にだけ下すことができる決定だと思います。しかし、大学を減らしてしまうと、地方での複雑な変化の影響を市民に説明するべき知識人たちが、そこからいなくなるという結果になります。それは災害に近い程に酷いことであり、このような反知性の流れは、全世界でファシズム的ポピュリズムにつながる悪循環の原因になってきました。

政府官僚は真の変化を導く知識人集団の重要な軸です。しかし、今の政府は政策樹立と制定のための能力を喪失したようです。憲法に従うなら、市民が代表を選出すると、官僚は市民と代表との対話の中で浮上した要件を特定し、専門家の助けを借りて政策を制定して時代のニーズに応えるという仕組みが成立しなければならないが、昨今の政策は、シンクタンクや法律事務所、あるいはコンサルティング会社を介して不透明な過程を経て完成されています。また、これらの協力機関は、直、間接的に営利企業の統制を受けるのが実情です。したがって、政府の機能を無視して政府を疎外させる昨今の政策立案過程は、違憲の素地が多分にあります。政党もやはり同じです。憲法に基づいて国会内で政策と法案を作成せず、不透明な方法で政党で秘密裏に政策を策定します。それでも、このような危険な流れについて問題を提起する人は見当たりません。

政府は内部の専門知識を備えなければならず、しかも公務員は、必要な専門家になるための知性啓発の機会を得なければなりません。もし政府自らが30年計画のような計画を策定し、実施する能力を備えていなければ、将来の国際投資銀行からの国内経済に干渉する時に、これを相手にすることができなくなります。さらに、株式市場に縛られている企業が長期的な計画を立てることができないのは火を見るより明らかです。

政府の腐敗と政策上のエラーを批判することができる重要な役割は、当然のことながら、学界とNGOの役割だと思います。 政府のパートナーとして働く有名シンクタンクを設立した人たちは、一様に企業活動で多大な利益を出した金持ちだという共通点があります。これらのいわゆるシンクタンクが持つ利害関係があまりにも露骨ではありますが、20世紀以前の韓国がそうであったように、政府が国益のために独自の分析と評価を行うことができる能力を改めて習得することには、私たちは全く力を入れていません。今、韓国はその根を必ず取り戻さなければならないときです。

では、現在の環境部が本当の役割を果たすためには、どんな姿を見せるべきでしょうか? まず、問題企業に罰金を課して、石炭や石油により重い税金を課す一方、30〜50年の長期返済借款を通じて、風力や太陽光発電などの再生可能エネルギーのコストから下げないといけません。そして同時に、倹約と精神的価値を重視する伝統を蘇らせ、過消費を煽りながら環境と自分自身に害悪になるような必要もないものを購入してこそ幸せになるという、広告の中の危険な考えを永遠に廃棄しなければなりません。

高成長モデルの明と暗

一度1960年の革命をテーマにした会議に出席したことがあります。その会議場には70代以上のお年寄りが当時の自分の経験をお話になりました。この老人たちは共通して、韓国が成し遂げた民主化と産業化を誇りに思いながらお話をされていました。しかし、果たして韓国はその両方の分野において、正しい方向に向かって走ってきたのでしょうか? 選挙は明らかに以前より公平になりましたが、政党の参加度は減少しており、地域社会は崩壊したのも同然です。最近、私たちは隣に誰が住んでいるかも知らないし、地域社会が一堂に会し、地域の懸案事項を議論する場も著しく減りました。

生産工場や浪費を助長するショッピングモールや高速道路、投資銀行の必要に応じて実際の需要値を無視して無分別に建てられたアパート団地などが溢れかえっています。かねてから制御レベルを超えた産業政策の結果物が、すでに私たちの目の前に広がっています。

私は1960年から始まった高成長政策には肯定的な側面があったことを認めなければいけないと思います。おかげで市民参加を通じた統合的な方法で、社会全般を迅速に変革することができました。国のための長期的な開発計画が策定され、目標達成に役立つところに資本が集中しました。腐敗した個人や一部の富裕層の利益のために新しい韓国をつくろうとする強力な政策の方向が変わることはありませんでした。市民たちは開発努力の前面に出ました。市民の教育レベルが全般的に改善されたことが決定的な役割を果たしました。

政府の資金管理も重要な役割を果たしました。その当時、韓国政府は外国からの投資資本の流入を厳しく統制し、国内資本の育成に乗り出しました。これは、米国と日本が繰り広げる「経済ゲームの駒」に転落しないための努力でした。そして国営銀行や政府機関もやはり長期的な目標のために資本を統制しました。

民間の海外送金を難しくして貯蓄を奨励したおかげで、実質的な国内資本が蓄積されました。抑圧的で反民主的な政策と見ることもできますが、韓国国民ではない人の視点から見れば、正しい方向であったと評価します。なので、来るべきグローバル金融システムの崩壊に備えるには、今からでも早くそのような政策を実施しなければならないと考えます。

とにかく、1960〜70年代の韓国は特定の産業に資本を集中させることができたし、目の前の利益に埋没さることなく長期的な観点で政策に臨むことができました。専門家はまた、国が定める優先順位の事業に忠実で、自分の役割を果たしました。

しかし、この高成長政策は大きな誤解を前提にしており、これが今まで私たちを苦しめてきた亡霊となりました。まず、これらの政策は自由貿易が永遠に続くと信じていたし、 浪費的な消費文化を肯定的に受け入れるようになりました。そして、石炭や石油、鉄鋼を輸入して完成品を米国などに輸出する方針が永遠に続くものと信じ、輸入と輸出への高い依存度が負債に転換される可能性を全く予想もしていませんでした。また、新たな消費社会が環境をどのように破壊し、社会をどのように分裂させるのか、根深い疎外と強迫的行動がどのように知的議論の芽を摘むのかも知りませんでした。

の環境部に生まれわるために

環境部が如何なる制裁や妨害も受けずに、大企業の不正な利益を代弁することなく、忠実に自分の役割を果たすことができる未来を想像してみます。私は、石炭や石油の消費根絶のための5カ年計画に企業の参加を促し、石炭、石油に高い税金を課すことによって得られたお金を再生可能エネルギーに支出し、50年間のエネルギー開発政策の策定と実施のための(可能な場合は国営化された)銀行を介して、30〜50年の低金利返済ローンを提供して、風力や太陽エネルギー発電のコストを下げる未来がいつか実現すると考えています。

ここで究極的により重要な要素は、技術やエネルギーよりもむしろ文化なのです。私たちは韓国の伝統的な価値の中核となる節約と中庸の文化を積極的に再発見しなければなりません。青年たちが使い捨てカップを簡単に捨てる行動をお互いが恥じるようにし、日常生活の自らの決定一つ一つがすべて生態系に影響を与えるという事実も悟らせねばなりません。また、成長のためには消費が必要であるという近視眼的主張の嘘を誰もが知っているようにし、必要でもなく環境に有害なものを購入することに自分の人生を無駄に浪費しないように、人々に悟らせねばなりません。

政府の場合には、国益のためになる企業の証券市場成果や海外売上高に気を取られて、より重要な長期的優先順位を設定して政策実施に一貫性を確保する政府本来の任務を疎かにすることがないようにしなければなりません。

政府が道徳的義務を備えた一団の学者たちを集めて、現在の政策が今後50年間に韓国に及ぼす影響を評価し、彼らから30〜50年にわたる長期国家計画に対する考えを聞くならば、韓国の経済開発政策がどのような変化を経験するか一度考えてみましょう。気候変動と富の集中を緩和し、市民のために持続可能な雇用を創出することが、石油経済を支えるために数十億ドルを補助金として支出し、市民の主体的な思考力を低下させる電子機器を開発するよりも重要である点を、この専門家たちが指摘するとどうなるでしょうか? これは必ず言うべきことですが、化石燃料に依存しない持続可能な環境と経済的平等の拡大のような本当に重要な問題は、今では、既存の大規模プロジェクトに予算を投入して残った非常に少ない額だけが編成されています。この道徳的専門家らによって、おそらく大きな変化が起きることでしょう。

政府は、企業の資本の国内での流れを戦略的に統制する一方、今後は倫理的原則に立脚した現実的政策を提示する知識人と一緒に仕事する必要があります。

現在、韓国では長期的な政策が全く存在しません。シンクタンクや政治家たちは科学的に証明された気候変動という災害を何もなかったように無視しているのが実情です。真実や道徳に忠実であるべきという義務感を彼らは感じないようです。

その代わりに、メディアは、石油と鉄、石炭などの原材料の輸入を必要とする現在のピラミッド式経済構造を正当化するために汲々としていて、環境保護や農業経済振興は不要なだけでなく自由貿易の障壁であるために、必ず克服しなければなら障害であるかのように宣伝しています。そして、経済学界では、子供たちに与える精神的弊害を無視したまま、納税者のお金を使ってでも、自動車や船舶、半導体、スマートフォンなどを人為的に育てようと主張し、 消費文化を推奨する論文が継続的に溢れ出ています。

しかし、科学的研究の結果のみに基づいて政策が作られることはありません。これからは危険な真実がもはや隠されてはいけないし、すべての人々が知るべきであるし、強力な代替案と実質的な規制案を策定することができるように果敢な準備を開始するときです。

石油企業は利益相反の問題で市民が気候変動に関する正確な情報に接しないようにすることができるので、TVやラジオの広告主になることがないように、政府が規制する必要があります。それだけではなく、自動車の広告を禁止することも可能なはずです。浪費を助長して環境も破壊し、危険でもある自動車が、数千人の死傷者を生んでいるからです(高速道路建設のために生じる膨大なゴミの量も無視することができません)。同じ問題で、政府はプラスチックの使用を全面的に禁止したり、生分解やリサイクル可能な部品に分解されていない製品の販売を禁止することもできます。

今は政府に対するこのような期待が非現実的な幻想に近いと見ることができますが、少数の人々が志を持って革命的な方向転換をし、それによって成功的な政策を作った事例は、私たちの歴史の中において多く見出すことができます。このような大転換を実現するためには、倫理的義務感と大胆さが必要であり、専門知識を備えた政府官僚や知識人が一緒に先頭に立たなければなりません。

韓国の場合、危機と見ることができるほど政府の機能が弱体化しています。子供たちは、ポルノに近い画像にさらされ、TVは疎外された隣人や社会への配慮が全くなく、金持ちが享受している利己的で享楽的な生活と何も考えないグルメ番組で溢れています。

選挙でもやはり政治家は有権者と撮った写真をSNSに投稿したり、滑稽な服を着て道端で踊る運動員を雇用しました。このような選挙は、私たちが望む民主主義を作るのにはあまり役に立ちません。倫理的、道徳的義務を負った青年たちが参加できる政府官僚育成システムを構築して、韓国の未来に貢献しようとする次世代が、既成世代が無視してきた政策開発の場で、実質的な役割を担うことができるように、機会と条件を作ってあげましょう。そのような方向へ前進し、知識人たちが与えられた社会的責務を果たせるようにすれば、私たちは今回の危機を克服し、本当の意味での民主主義を作ることができると私は信じています。

ご清聴ありがとうございました。

 

 

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