中央日報
「スマートフォンのない韓国」
2018年 12月 7日
エマニュエル・パストリッチ
スマートフォンがない韓国を想像してみようという提案をするたびに、韓国人は何の荒唐無稽な話かというような表情を浮かべて私にその理由を尋ねる。彼らは私がメガネや網膜に情報を投射したり電子チップで頭脳に情報を直接伝達したりして、スマートフォンを使わなくてもいい、さらに先端化された「スマート都市」を思い浮かべながらそのような提案をしたのだと考えたりもする。だが、私が提案する「スマートフォンない韓国」の意味は字そのままだ。今のようなスマートフォンの使用はなくすか、必ず変化するべきだ。
地下鉄に乗るたびにほぼすべての人々がスマートフォンに夢中になっている光景を目にする。韓国人は周辺の人と「絶縁」した状態にいたいようだ。ゲームに没頭したりチョコレートケーキや流行服が登場する写真を慣れた手付きでスワイプしていく。動画を見る人も多い。我々の時代の深刻な問題を扱った本を読む人を見つけるのは難しい。
彼らは韓国が気候変動危機や米国・ロシア・中国間の核兵器競争や核戦争の危険に対応する方法について関心を示さない。多くのマスコミの報道はエンターテインメントコンテンツ同様に扱われたり過度に単純化されたりしている。最近、国会に係留中である法案の内容は言うまでもなく、現在の複雑な地政学的問題を知ろうとする努力もなかなかしない。
韓国の大気環境を一例としてみてみよう。私は韓国人が自分たちと密接に関連したこの問題の原因を糾明できない姿を見ながら衝撃と苦痛を感じる。さらに高等教育を受けた人さえ韓国と中国の粒子状物質の排出に対する正確な原因を知らなかったり、韓国と中国の産業規制緩和に対して消費者として何をするべきか慎重に考えないようだ。言い換えれば社会的現象があたかもフェイスブックに投稿される「散文」のように個別要素に分解され、複雑な現象を分析する能力が頭の中で形成されていないように感じる。
スマートフォンが韓国人の頭脳と社会を掌握して不吉な方向に進み続けるなら、韓国には共同体の目標に対する献身的人生と政治的認識は衰退して消えてしまうだろう。その兆候はすでに現れている。衝動的で不確かな応答を奨励するソーシャルメディアの拡散と同時に、スマートフォンがこの悲劇で重要な役割を果たしていることが恐ろしい。
スマートフォンが未来社会に及ぼす役割に対する分析はさまざまだ。多くの専門家がスマートフォンが我々の人生をより便利にし、無限の情報に接することを可能にするという。我々が必要とするものごとにうまく対応できるようにし、人生をより過ごしやすくするということだ。スマートフォンは民主主義の拡張にも寄与する。2010年アラブ圏で起きた「ジャスミン革命」はスマートフォンが大衆にプレゼントした「情報の民主化」が触発したとみることができる。最近、韓国で起きた「ろうそく革命」も同じような流れの一つだ。
しかし核心は「情報の量」ではなく「情報の質」だ。スマートフォンを通じて拡散する情報が質的に果たして優れていると考えることはできるか。現在、韓国の既成世代はスマートフォンがなくてもかつて大学内で民主主義の花を咲かせた青年たちだ。彼らはもしかしたらスマートフォンが与える情報を批判的に使える最後の世代になるかもしれない。政府の無能を明らかにする「スマートろうそく」は未来には期待できないかもしれない。
雑誌『ハーバード・ビジネス・レビュー』の編集長だったニコラス・カーの著書『ネット・バカ』は、インターネットとスマートフォンが我々の脳を再プログラミングして神経系の素早い反応を煽るが、思索と深い思考を難しくさせるパターンに脳が慣れるようにするという科学的証拠を提示している。『ネット・バカ』は社会の差し迫った危機を把握したり解決策を提示したりすることはできない市民だ。彼らが主流になって社会を動かすことになれば、韓国はますます悪夢の世界に陥ることになるだろう。我々は果汁があふれる花から花へと飛び回る蝶のように、一つの刺激的な話から次の話に流れる日常を生きている。
我々は何かが間違っていて正確な問題が何で、それが我々の行動とどのように関連があり、どのようにこれを解決するのかに対する計画を持たずに、ただ漠然とした意識を持ったまま、「読む」ことから遠ざかっている。このため、我々の世の中の認識方法を変えることができる特定技術が民主的過程にいかなる影響を及ぼすか追求し、その分析によってその技術拡散問題をどのように統制するべきかも考えてみなければならない。民主主義は、複雑な社会・経済・政治的な変化を理解する能力すら持たずに、ソーシャルメディアで最新の流行商品を選ぶように行われる投票では発展していくことはできない。
Like this:
Like Loading...
Related