Monthly Archives: June 2021

“여러분한테 드리는 약속” 임마누엘의 대통령 (임시)

“여러분한테 드리는 약속” 임마누엘의 대통령 (임시)

임마누엘의 대통령 출마는 진보주의나 보수주의 가면 뒤에 숨어서 연쇄 살인범처럼 무자비하게 세상을 파괴하는 글로벌 금융 자본의 이해 관계가 미국을 점령하는 것을 더 이상 두고볼 수 없는 평범한 시민 들을 위해서입니다.

오늘 이 캠페인에 참여하셔서 투자 은행이나 다국적 기업으로부터 자금을 한 푼도 받지 않는 진정한 무소속 후보인 임마누엘 페스트라이쉬를 미국 대통령으로 선출하는 데에 함께 해주시기 바랍니다.

임마누엘은 다음과 같이 선언합니다.

 “미국은 정신병 환자가 지배하는 독재 국가가 아닌 민주 공화국입니다.

저는 대통령으로 당선될 있습니다. 저는 극도의 빈곤 속에서 삶을 끝낼 수도 있지만 그것은 부끄러워할 일이 아닙니다. 저는 어쩌면 날조된 혐의로 인해 감옥이나 정신 병원에 갇히거나 강에 상태로 발견될 수도 있습니다. 그러나 그러한 부분은 전혀 중요하지 않습니다.

제가 약속드리는 것은 워렌 버핏, 게이츠, 엘론 머스크, 제프 베조스를 비롯해 워싱턴, 베를린, 도쿄, 모스크바, 런던, 베이징의 기술 폭군(techo-tyrant)들과 바이오 파시스트들이 몰락 것이라는 것입니다. 그들은 처벌을 받을 것이고 그들의 범죄가 낱낱이 세상에 알려질 것입니다. 그들이 소유하고 있다고 주장하는 재산 규모와 그들을 대변하는 정치인 그들의 충견 노릇을 하는 유명인사들과 권위자들의 수가 얼마인지 우리는 전혀 개의치 않습니다

国大統領選出馬の理由

国大統領選出馬の理由

美国是民主共和国,而非由精神病人统治的专制国度。

美国是民主共和国,而非由精神病人统治的专制国度

美国为何需要临时政府? 应对美国当前政治危机的必行之策

美国为何需要临时政府?

应对美国当前政治危机的必行之策

贝一明

Emanuel Pastreich

新闻曾以按照宪法规定向民众传达消息为宗旨,如今却在翻来覆去地吹嘘美国已在拜登政府的领导下回归常态,给人洗脑。

然而,哪怕是最漫不经心的观察家也心知肚明,某股幕后势力正在美国乃至全球施行自上而下、史无前例的独裁统治。

在权威性方面,宪法第一修正案超越总统与哈佛教授的意见,凌驾情报与军事专家的观点,胜过富豪与技术巨头的点评,至高无上。

“国会不得制定剥夺言论及出版自由,以及人民和平集会、请愿申冤之权利的法律。”

现在,国会已经通过了几项法律以及秘密法规,意在阻碍言论自由、碾压出版自由,防止和平集会、终结人们请愿的权利。行政与司法部门沆瀣一气,推行、维护罪恶体制。更重要的是,权贵阶层也在计划于不久的将来采用更为残酷的罪恶体制。

不!我们已经不能再等,不能再喝着咖啡怨天尤人,不能满足于按照道貌岸然的伪神之要求在周末组织无的放矢的抗议。

不!我们必须行使宪法所赋予的权利,建立起我们自己的合法临时政府来管理美国,直到宪法恢复地位,直到权贵们得到应有的下场。

政府已经分崩离析、陷入混乱,以致于我们别无选择,只能质疑那些扮做政府官员、假装提出宪法与道德层面上的各种方案之人是否拥有合法权力。

应当如何面对这样的危机,诸位开国元勋在《独立宣言》中有明确的阐述。

《独立宣言》是宪法立足的根基,而宪法则构成了美国合法治理体系的框架。

在宪法规定范围之外行事的政府已不成其为政府,而是伪装成政府的邪恶机构。自今日起,我们每迈出一步,都要用这一事实来告诫自己。

《独立宣言》无比清晰地陈述道:

 “当政府坚持邪恶目标,长期滥用权力、强取豪夺,表现出逼迫民众屈居于绝对专制统治之下的意图,那么民众便拥有推翻此类政府、让自己的未来安全再度得到捍卫的权利与义务。”

我们并非不肯接受现实。我们不玩愤世嫉俗的政治游戏。我们不会借民众对权威机构的信任欺骗他们,设法奴役他们、摧残他们的精神与身体。

拜登先生和特朗普先生都被困在崩溃的国家治理体系,以及颓废、以自我为中心的政治文化中无法自拔。许多行动,他们之所以要采取,是因为感觉自己迫于来自更强势力的压力。

我们无意于指责他们。我们尊重他们的意愿,也承认他们遭受了许多困难。

然而他们都没有以公开的方式为美国解决以下三个关键问题:

罪恶的“伪旗行动”:利用“911恐怖袭击”等事件来捏造美国有遇袭危险的假象,以将美国拖入会导致国家分裂的对外战争;

国家财产失窃:2020年1月到9月,跨国银行和其他跨国企业从联邦政府窃走10到15万亿美元;

疫情骗局:跨国企业正在利用从联邦政府窃取的权力借所谓的“新冠疫情”来摧毁民众的自由、实行罪恶封锁与隔离措施、推广危险的“疫苗”。

沉默使两位先生成为了跨国势力的同谋,也让他们失去了担任总统的资格。

作为在总统大选中唯一一位揭露了上述全部阴谋,拒绝权贵献金,同美国民众为维护公益、真理和社会道德通力合作的候选人,我认为自己是担任美国临时政府总统的最佳人选;本人任期将只持续到法治恢复、我们可以按照宪法来管理国家为止。

我在此承诺,本人根据宪法规定与独立宣言所述,只在此危机时刻担任临时政府之总统;本人绝非“篡位者”或者冒名顶替之人,而是要效仿古罗马的辛辛纳图斯,在国家遭难之时挺身而出,担负起职责。

辛辛纳图斯也曾阐明自己并无野心,并且真的在尽责之后回归田园,不问政事。

一旦这场危机平息,我也会返回教育岗位,传火于薪。

韓国の礼儀とソンビ精神

韓国の礼儀とソンビ精神

 エマニュエル・パストリッチ (Emanuel Pastreich)

朝鮮の2つの伝統、ソンビ精神と礼  

韓国は領土も大きくなく、人口も多くない国である。大陸と繋がる半島国家だが、南北に分断された一種の島国である。また、約100年前には植民地に転落した痛い傷も抱いている。植民地からの解放後に経験しなければならなかった韓国戦争(朝鮮戦争)はあまりにも残酷な試練であった。それにも関わらず、包括的な文化という概念で大国である。植民地時代から抜け出してから半世紀で韓国経済は世界10位に入るほどの目覚ましい発展を遂げた。それに止まらず、今や文化芸術分野とスポーツ分野においても注目すべき成果を出している。

最近まで特別に「文化」という分野で世界に紹介できるものが多くなかった韓国は、今や世界的な韓流ブームの震源地となり、東南アジアはもとよりヨーロッパを越えて北米大陸まで広まった。PSYの「カンナムスタイル」ブームは一時的な幸運ではなく、韓国文化の底力が世界に通じることを証明した大きな出来事だと思う。パリ、ロンドン、ニューヨークを問わず韓国語の歌詞を口ずさみながら、グループで「乗馬ダンス」を踊っている世界の人々を見ながら、実に大きな変化が起こっていることが分かる。

このように21世紀の世界経済と文化を先導する韓国人の手腕はどこから来たのか。何よりも私はこの500年間持続した韓国の伝統からその力を見いだすべきだと思う。ハーバード大学で韓国の古典文学を学びながら、朝鮮時代の文人のうちキム・マンジュン(金萬重、1637~1692)、パク・ジウォン、チョン・ヤクヨン(丁若鏞、1762~1836)などの文章を興味深く読んだことがある。彼らはソンビ精神を理想とするとともに学問を実践して現実の政治問題を打開する価値の中心に常に「礼」を置いていた。彼らの文章を一字一字読んでみると、理想的なソンビ像と礼学に関する言及が頻繁に登場している。私はこの二つの韓国伝統にとても深い印象を受けた。まず、礼について見てみよう。

朝鮮の礼学、社会秩序を回復する実践哲学

実は、礼学とは礼儀の本質と是非を探求する儒学の一分野である。韓国の礼学はただ冠婚葬祭の単なる事例集ではなく、社会秩序を平和な手段として維持する憲法に近い性格を持つ制度という印象を受けた。西洋文化の土壌で生きてきた私にとっては人間行為の規範であり、社会秩序の根幹として礼学と礼儀を前面に出すことは非常に不思議に思うとともに新鮮さが感じられた。

東アジアで礼は、生活に深く溶け込んですべてに影響を及ぼす人生の一部だった。西洋学者として東アジア4カ国で暮らし学びながら、今はある程度慣れたと思っていたが、日韓中の三国は時代別にかつ地域別に礼の姿が非常に異なっているので、一言で定義したり特徴をまとめることは簡単ではないことに気づいた。ただし、知識人とエリート社会を中心に簡単にまとめてみると、日本の「礼」は慣習中心であり、現実を肯定的に見つめると評価できる。一方、中国の「礼」は全体を中心に社会を統治し、政治的な地位を強調している。韓国の「礼」は感情と社会秩序を包括する特徴を持っていると言えそうだ。

17~18世紀に朝鮮は中国の『朱子家礼』をベースに礼学と知られた独特な形の学問分野を発展させた。礼学は人と人の関係、さらに人と社会、国の問題を重視する学問だった。そうした意味で礼学は実践哲学と言える。(豊臣秀吉による)文禄・慶長の役と丙子胡乱を経た朝鮮社会が実践哲学である礼学にその重心を移したのは、それほど社会秩序の混乱が激しかったことも一つの原因だったと思われる。ソンビさえも名分と礼儀、廉恥よりは利益により関心を持つようになった時、伝統的な秩序の維持と教化の機能を持った礼が強調されるしかなかったのである。

朝鮮の礼学の土台を作った思想家は沙溪のキム・ジャンセン(金長生、1548~1631)であった。沙溪の礼学と政治思想は文禄・慶長の役と丙子胡乱を経た直後の混乱した社会秩序を回復し、国家を再建するための実践的な性格を持っていた。栗谷 李珥の下で学んだ沙溪は『家礼輯覧』『喪礼備要』『近思録釈疑』『経書弁疑』などの著書を残した。このように彼が礼論に集中した理由はすべての人間が善良で正しい心で助け合いながら生きていけるように個人の行動方式を具体的に規定する秩序が必要だと捉えたからである。「仁」と「善」が善悪と道徳を判断する不変の基準であれば、正しい心と善良な心を表わす態度と手続きが正に礼である。したがって、礼は常に善良で正しいものでなければならず、さらに善良で義理堅いものであっても必ず礼として表現されなければならないのだ。

SNS時代の礼儀

一方、礼学は家柄や所属している共同体、政府または国家内で融通の利かない法に頼らずとも正しく礼儀に反しないように行動ができる方法を提示する学問と言える。礼学は、倫理に対する個人の協力と厳しい規則を通じて集団間の葛藤に対する解決方法を提供する。礼学は処罰的な要素を持っていないため、ネットワーク社会で発生する葛藤を解決することにおいて法律より高いレベルの自浄機能をはじめ、より多くの純機能を持っていると思う。

今日の私たちは様々なネットワークを作りながら生きている。よく現代社会を数多くのネットワークの中で行われる複雑な相互関係が、個人の実存的な生き方に重大な影響を及ぼすネッツワーク時代だと定義する。このような社会的なネットワークは近年のフェイスブックをはじめ、SNSを通じて急速に拡大されているが、実は私たちはその正確な本質と意味をきちんと把握していない実情である。さらに、SNSを通じて行われる各種行為と情報交換の範囲、社会的倫理などを規制する法的手段はいまだ整っていない。ある人はこのような問題を取り扱うための法律的・制度的な手段が作れるのかさえ、根本的に疑問視したりもする。

今日、個人の人生と評判は各種のメディアや誹謗行為にすごく簡単に露出されている。その結果、時には悲惨な結果をもたらしたりもする(様々なプライバシーの侵害、名誉棄損などによる悲劇的な事件を思い出してほしい)。それにも関わらず、ブログやツイッターを通じて他者に加えられる有害な行為を規制する法的制度を求めることは、望ましくないだけではなく、非効率的なものかもしれない。ネットワーク時代が開花した今日の現実において、道徳的な行動を勧める新しい対策が切実に求められる状況なのだ。その対策は、なにより処罰中心の法的制裁ではなく、自浄過程を誘導するアクセスでなければならない。

このような側面で韓国の知的伝統のなかで礼学は、現代が抱えるジレンマに意味のある解決方法を提供することができると思う。韓国で発展した礼学は、どうすれば他者とのかかわりの中で適切で礼儀正しい行動ができるのかを深く研究する学問である。これは家族や社会で発生する様々な葛藤や紛争を平和的で効率的に解決する手段になれる。様々な人々が集まって生きていく複雑な社会において、互いを尊重し合いながら、何をしてどう行動すべきかを明かすことがまさしく礼学というものである。

日ごとに流動性が強くなるインターネット時代に法律が規制できる部分は非常に制限的である。一方、礼学は組織運用という側面でとても効果的な手段として機能できる。また、礼学で提示する規則は人間だけではなく、アバターさらにサイボーグにも適用できる。なぜなら、礼学は人かどうかを問うものではなく、何が適切であるのかを問い詰め、礼を重要視するからである。21世紀の情報技術革命は、これまで国と個人を区分した数多くの障壁を切り崩し、その結果、様々な関係の中で大変な流動性を創出した。このような条件で礼学は個人間の関係はもちろんのこと政府機構間の問題に対しても様々な潜在的な規範を提供することができ、これは我々にとっておびただしい価値になるだろう。

現代の韓国と礼儀

伝統的に韓国人は、礼儀と集団意識を非常に大切に考えている。現代化と産業化を経て、礼儀の価値や共同体精神がとても毀損されていると言うが、いまだに多くの人々が礼儀を重視し、大人は子どもに礼儀を教え、子どもは大人に礼儀を表す。でも、本当の礼儀は年齢や性別、職級による社会的階級によってスプリングのように変わるものではない。韓国では年齢や大学入学の年、職位、年収を聞くのが初めて会った人への自然な挨拶だが、これは礼儀とはまったく異なるものである。社会的な地位の高下によって人を尊重したり無視したりすることは、儒教の教えではない。孔子は地位と権力を持った人物にも、決して媚びるようなことはしなかった。すべてを国民の側に立って考え、判断しようと努力した。君主に問題があると判断したら、自ら他国に去ってしまった。

礼儀が本物の価値を持つためには、必ず平等思想が前提となる。韓国人は、アメリカを平等思想が徹底している国と認識しているが、必ずしもそうではない。平等を愛して大切に思うが絶対的ではなく、人によって考える平等の目安はそれぞれである。韓国では父親が箸をつける前は、子どもたちが先にご飯を食べてはいけない慣習がある。以前は同じ食卓で食事をすることも許されなかったほど、父親の権威が保たれていた。しかし、このようなことは真の礼儀ではなく、儒教の合理的な教えでもない。西洋学者として観察者の観点から見ると、このような韓国の父権主義的な権威主義は、形式的な側面が強調されすぎているという考えを拭えない。本質は消え、皮だけが固く残っているのではないかと思われる。

もう一つの例を挙げると、韓国語は英語圏の言葉と異なり、尊敬語が豊富である。尊敬語と謙遜語は韓国語の最も大きい特徴だと言っても過言ではないほど、多すぎる。それが過剰な場合、ややもすれば合理的なコミュニケーションと民主的な意見提案を阻害するのではないかと恐れられている。韓国人がよく勘違いすることがある。英語は上下の概念がないため、大人も子どもも皆がため口で話すと考えていることである。韓国人の観点から見ると、礼儀も概念もない非常識な行動だが、実は英語にはため口という言葉がない。先にも述べたように、平等を尊重するからである。ため口がないのでなお敬語が有り得ない。

礼儀は、時代と状況によって絶え間なく変わりつつある。朝鮮礼学の礎を作った沙溪・金長生も、礼が固定不変のものだとは考えていなかった。朱子の教えをそのまま素直に受け入れることではなく、朝鮮社会の実情に合わせて新しい解釈を付け加えたため、彼の思想が朝鮮社会を再建する精神的な柱の役割ができたことである。変化する現実に合わせて絶え間なく再解釈された例だけが、その合理的な核心を維持しながら後代にも受け継がれるだろう。今日、我々に必要な礼は現実のニーズに応えられる「生きている礼」である。

現代社会とソンビ精神

情報技術革命によって生き方の様態が根本的に変わっている今日の世界で、道徳性と勇気、想像力が発揮できる新しい指導者を育成することはどうすれば可能なのか。今日の課題を解決するために、過去に目を向けて解決方法を探るのであれば、私たちはどのようなことで助けを得られるのか。朝鮮時代のソンビ精神がその解答になるだろうか。ソンビ精神なら道徳性、勇気、想像力を持つ人間を育成するにおいてどんなヒントが与えられるのか。

まず、朝鮮時代のソンビの伝統は人と制度、技術の間を柔軟に調律する方法を教えるという点に注目されている。現代社会は機械の便利さと現代化を強調しすぎたため、人間の根源的な判断力が乏しくなる傾向がある。想像力はコンピュータからは絶対得られない。道徳性も同じである。人間の正しい行為と技術が促進する道は互いに衝突する場合が多い。技術の便利さを時には無視したり、距離を置くことにも勇気や道徳性が必要である。ソンビ精神はそのような流れの中で非常に重要な役割を担うことができる。

ソンビ精神は韓国人だけに留まらない。今、韓国、米国、ヨーロッパなど様々な国で最も問題視されているのが正に責任感のないエリートである。その解決策をソンビ精神から見つけ出すことはどうだろう。韓国の「ソンビ精神」を海外に積極的に紹介するとたくさんの人がインスピレーションを受けるだろう。アフリカの小さな村に住んでいる住民が偉大なソンビ精神、読書、道徳、実践の伝統を生き方の信条にすれば、それこそソンビ精神の世界化になるだろう。

日本には侍精神がある。世界どの国に行っても知らない人がいないほど、広く知られている日本の代表的な精神文化が侍精神である。韓国の子どもたちも遊ぶ時に「僕は忍者だ!」というシーンをしばしば目にすることができる。幼い子どもが日本を代表する精神を口にするという皮肉が目の前で起きたりするのである。それほど日本と言えば侍が、イギリスと言えば紳士が思い浮かぶが、韓国に対する代表的なイメージはまだまだ浮かぶ表象はない。しかし、韓国には数百年間も受け継がれている代表的な精神文化としてのソンビ精神があるのではないか。

ある人はソンビ精神が男性中心主義的な限界を持っていると評価を下げたりもする。もちろん、今日のソンビ精神は男性の専有物になってはいけない。朝鮮時代には父権中心の文化で父親が家庭のリーダーとしての役割をしたが、現代社会で韓国が世界的な国としてアップグレードするためには、女性の役割が非常に大事である。今でも、女性は確かに韓国社会の主なエンジンとして活躍している。女性の役割はこれからもさらに大きくなるだろう。

それだけにソンビ精神は男性だけの伝統ではなく、女性の伝統にまで拡大されていくべきだ。ソンビ精神は新しい希望と展望を与える伝統になれる。古代ギリシャ社会には奴隷もいたし、様々な悪習もあったが、民主主義の伝統はその時に始まった。良いことばかりではなかった時代の伝統を現代では良き伝統に発展させて活用しているのである。ソンビ精神も同様である。現代社会にふさわしい、女性の価値も十分に盛ることができる精神に発展させることもできるし、また積極的にそれを追求すべきだと思う。

伝統から学ぶこと

このような観点から、韓国の伝統文化は、現代社会が直面している多くの問題に解決策を提示することができる。いくつかの具体的な事例を挙げてみよう。まず『朝鮮王朝実録』は、世界的にも稀な記録文化の見本であり、言論制度の見本でもある。また、朝鮮時代の風水思想は迷信だとするのではなく、生態系を考慮して自然を守る環境に優しい自然観を持っている大切な遺産として発展させることができる。上記したように、韓国の礼学の伝統は、SNS時代に最も適した倫理観として開発できる。18世紀、日韓中の三国が共有した東アジアの共同体意識(漢字文化圏)を今日に復活させるのはどうだろうか。十分に可能で有意味なことになるだろう。何より責任感のある知識人を育成することは、今日のすべての国が直面した喫緊の課題である。伝統儒教の中から見える民主主義的な要素や伝統農業が持つ現代的な価値も断じて見過ごせない。

現代中国の礼をより詳しく見てみよう。中国に対して米国や西洋の民主主義の導入を強要すると激しい反発が予想される。しかし、中国の儒教的な伝統、つまり「元以前の民主的な儒教伝統」という形で「民主主義」を紹介すれば、その効果は非常に大きいだろう。中国の儒教的な伝統の中にも「民主主義」的なDNAが存在するからである。伝統の中に存在していた民主主義を復活させることに対しては、別途の抵抗はないだろう。ソンビの伝統をベースにした新しい民主主義であれば、東アジアの「民主主義のルネサンス」も可能ではないだろうか。ソンビ精神の中にはそれほどの潜在力が十分にあると思う。

最近の韓国では、科学者を夢見る子どもの数がだんだん減っているという報道を聞いたことがある。最近の小学生に将来の希望を聞くと格好良く見える職業、金をたくさん稼げる職業、たとえばアイドルとか公務員だと答えるそうだ。大学でも人文学や社会科学、自然科学は次第に淘汰され、経済・経営学や工学・医学のような実用学問に人気が集中している。実用学問が一時的に就職に有利かもしれないが、実際の人生や職業的な活動をすることに役立つかは検証されていない。むしろ哲学のような人文学がより役に立つこともある。

儒教の伝統では昔から倫理とそのベースになる原理と原則を教えることを教育の核心とした。これは非常に優れた教育方法だと思う。真の教育とは特定の情報を注入・伝達することに留まらない。世界が回る原理、問題にアクセスする戦略、冷静に分析して判断する常識を育成することこそが正に教育である。それらを身につけた時、初めて新しいチャレンジに適応できる内的力量が整ったと言えるだろう。

朝鮮時代のソンビは真のソンビの姿勢を完成するために読書をした。「なぜ」よりは「どうやって」に集中する今日の知識人の形態を見ながら志操と気概、清浄な心掛けを育てるのに情熱を注いでいたソンビの姿勢を強調せずにはいられない。「本の中に答えがある」という言葉は、単純に読書ですべてが理解できるという意味ではない。本を読んで何度も推考して理解する過程を通じて知恵を育てる。深く考えながら様々な分野の本を豊かに接することができたら世界を見る鋭い観点を持つことができる。ソンビたちも必ずしも量的にのみ本をたくさん読んだわけではない。まず、核心古典の四書五経を完璧に読みこなし、理解した後で初めて次のステップに進んだ。結局、本を読むことは「世の中」を読むことである。考えも無しに本を1000冊読んだところで、なんの意味もない。

企業文化とソンビ精神

ソンビ精神は疑うことなくすべての韓国人が誇らしげに思う韓国人の文化である。ソンビ精神をベースにした共同体中心の文化を企業に導入すれば、企業革新の新しいモデルが生まれることができる。さらに、ソンビ精神は人種や民族、種族を差別しない普遍的な性格の概念という点において他の国に拡張させる無限の潜在力を持っている。アメリカや日本、ドイツなど国外の企業もソンビ精神を中心とする革新的な企業文化を受け入れることに特別な拒否感を持つ必要はないだろう。

国際社会でサムスン、現代、LGのような韓国の大手企業は非常に大きい力や影響力を持っている。アメリカや日本、ドイツの会社と共に世界的な製造業市場を形成しただけでなく、むしろ世界をリーディングしている分野もある。しかし、国際社会で必ずしも韓国企業の評判が良いとは言いきれない。韓国企業は短期的な収益に価値を置きすぎている。環境問題や人権問題に対する意識が高くなく、企業自体も多くの問題点を抱えていると批判されている。もちろん、韓国企業だけが批判されているのではない。他の国の大手企業も似たような批判を受けている。

収益だけを核心価値と思う企業は、その企業を構成している職員を人間として尊重していない傾向がある。ヨーロッパや米国では初期資本主義時代の試行錯誤を経て、今は相当なレベルの道徳性まで備えるまでに発展した。しかし、ここ数十年間、国際社会で急速に影響力を拡大している。韓国企業はヨーロッパの初期資本主義に現れた過ちをそのまま再現する姿をたまに見せることもある。

核心は企業文化のDNAを変えることである。世の中は今、新しい企業精神と文化を持った会社を強く望んでいる。さて、このような課業を韓国の企業が先導的に遂行するのはどうだろうか。韓国の伝統には人間らしい企業文化を創出することができる精神的なモデルが存在している。ソンビ精神がまさしくそれだ。韓国が一流国家であるという評価を受けるためには、ソンビ精神をベースに社会的な責任を企業が積極的に受け入れて革新をすることで、収益性だけを強調することなく、人類に貢献する努力に対しても評価される文化を作るべきである。

そのような企業文化が韓国から始まることができるのであれば、外国の他の企業もそれを受け入れるだろう。韓国企業がこれから世界の流れに沿っていく存在ではなく、世界の流れを主導する側に属していることも無視できない変数である。世界的な韓国企業が人間の価値を尊重して、協力し合う新しい企業システムを作るのであれば、韓国は国家的にも大きな影響力を持って尊敬されるだろう。

このような変化は究極的に企業にも役に立つことである。全世界が一つの市場に変化する現実の中で企業の目的を収益の創出に限ることは、企業の生存のためにもプラスにはならない。収益の創出と共に職員に対する分配、地域社会と地球村に対する貢献が企業の目的として尊重されるべきである。実績評価も収益や分配、社会的貢献など、すべてを考慮するように変化すべきである。特に、大企業は世界的な問題を解決する社会的なキャンペーンにおいてもっと大きな責任意識を持つ方向に企業の方針を変えるべきである。人間の価値を尊重し、社会的な葛藤を解消し、紛争と貧困、環境問題などを解決するにおいて積極的な責任意識を持つことが必要である。

多くの人々が「危機」について語っている。新世紀に対する希望を話してから10年も経たずして経済危機はもちろんのこと、倫理の危機が押し寄せてきた。危機を呼び寄せた原因としてはそれぞれ数多くの要因を挙げることができるが、最も大きな原因は「無責任なエリート」の存在だと思う。そうした意味で韓国のソンビ精神は世界が共有できるモデルであり、新たな覚醒を呼ぶ触媒剤になれると期待している。

韩国的礼仪和儒士精神

韩国的礼仪和儒士精神

贝一明(Emanuel Pastreich)

朝鲜的两种传统,儒士精神和礼

韩国是一个国土面积不大,人口也不多的国家。虽然是和亚洲大陆紧密相连的半岛国,但自从南北分裂之后,韩国就成了一个‘岛国’。100多年前曾经沦为殖民地,留下了不可磨灭的伤痕。解放后又经历了韩国战争(同朝鲜战争)的洗礼。尽管如此,因为重视全方位文化发展,韩国仍然是一个大国。摆脱殖民统治的半个世纪后,韩国经济就成功跻身世界前十的行列。不仅如此,在文化艺术和体育事业方面的发展也取得了令人瞩目的成果。

近几年来, 韩国在‘文化’领域方面向世界能够展示的并不多,但由于韩国成为世界韩流热潮的发源地,韩流不仅在东南亚人气火爆,甚至影响着欧洲和北美大陆。鸟叔PSY〈江南style〉的成功不只是一时幸运,它是向全世界展示韩国文化实力的有力证明。在巴黎、伦敦、纽约都能够听到人们在哼唱韩文歌曲,看着全世界一起跳起“骑马舞”,就能够感受到韩国文化在其中发挥的作用。

那么,在21世纪的今天,韩国人能够引领世界经济、文化的实力从何而来呢?我认为这都要归功于韩国500多年来坚持的传统文化。之前在哈佛大学学习韩国古典文学时,深深地被朝鲜王朝时期文人金万重、朴趾源、丁若镛的作品吸引了。他们在崇尚儒士精神也同时实践学问,一方面勇于打破现实政治问题,另一方面没有忘乎‘礼’。 在一一拜读了他们的作品之后,能够深深地感受到其中的儒学思想和‘礼学’。使得我对韩国的这两种传统思想印象深刻。我们先来谈谈‘礼’。

朝鲜的礼学,恢复社会秩序的实践哲学

实际上,礼学是儒学的一部分,主要研究礼的本质和对错。我觉得韩国的礼学不仅仅是收集冠婚丧祭的单纯事例,它是接近于以和平手段维持社会秩序的宪法性质的制度。我从小在西方国家长大, 作为人类行为的规范和社会秩序的基础,提倡礼学和礼仪的做法,使人感到既诧异又新鲜。在东亚国家,‘礼’深深地融入到人们生活的方方面面,是生活的一部分。作为一名西方学者,我曾在东亚4个国家生活学习过,自认为已经熟悉了这样的生活。但我却无法用语言来概括韩、中、日三国的礼学。因为这三个国家的‘礼’的形象,在不同的时代和地区完全不同。如果从社会知识分子和精英的角度来看三个国家的‘礼’,你就会发现:日本的‘礼’以习惯为中心,对现实生活抱有积极的态度;中国的‘礼’以全局为中心,强调社会统治和政治地位;韩国的‘礼’则包含了感情和社会秩序。

17-18世纪的朝鲜以中国《朱子家礼》为基础, 发展了以礼学而闻名的独特形态的学问领域。礼学重视人与人之间的关系,更进一步说,是重视人与社会国家问题的一种学问。 从这一点看,礼学可以说是实践哲学。经过壬辰倭乱和丙子胡乱的朝鲜社会把目光移向了重视实践哲学的礼学,由此可见,社会秩序的混乱也是礼学发展的一大诱因。与名誉和礼义廉耻相比,就连儒家弟子也都关心‘利’的时候,就不得不强调能够维持传统的秩序和有教化功能的礼。

朝鲜礼学的奠基人是沙溪金长生(1548-1631)。沙溪先生的礼学和政治思想是经历了壬辰倭乱和丙子胡乱之后,为了恢复社会秩序, 重建国家而创立的实践哲学思想。师从粟谷李珥的沙溪先生一生著作很多,主要有《家礼辑览》、《丧礼备要》、《近思录释疑》和《经书辨疑》等。他的思想告诉了人们:人类社会需要善良的心和互相帮助,因此需要具体的行为礼仪规范。如果说‘仁’和‘义’是判断善恶、道德的不变基准,把正心和仁心露出的态度和程序就是礼。因此,礼不仅永远都是‘仁’和‘义’的,那些被称之为仁慈和义理的,也一定是用礼来表现的。

社交网络时代的礼仪

从另一方面来说,礼学亦是一门学问,让人们在家族、社会集体、政府——国家之中,即使没有法律监督,也能做出正确的、合乎于礼的行为。 礼学是通过个人对伦理的合作和严格的规则,为集团之间的矛盾提供了解决方法。礼学虽然没有惩处要素,但在解决网络社会矛盾方面,往往比法律更有效果。同时,具有高水平的自净功能,弘扬正能量。

如今我们生活在由众多错综复杂的网络组成的社会中。通常将现代社会定义为在无数微细的关系网中形成的复杂的相互关系,对个人现实生活产生重大影响的网络时代。这些社会关系网随着Facebook等各种社交网络迅速扩大,但事实上我们并不清楚其正确的本质和意义。另外,社交网络上充斥着各种行为、各种信息,而关于互联网的现有法律尚不完善。 甚至有些人都怀疑为了处理这些问题,能否制定法律制度。

现如今,因为各种媒体的报道和刻意的诽谤,私生活泄露和网络谣言层出不穷。其结果,有时给很多人带来了伤害(请回想一下各种侵犯私生活,名誉毁损等引发的悲剧)。然而尽管如此,用法律来约束通过博客、Twitter给别人造成的有害行为并不合理,也很难奏效。在网络高速发展的当代,迫切需要鼓励道德行动的新对策。该对策不是以处罚为中心的法律制裁,而是引导自净过程的处理方法。

从这个方面来看,我认为韩国知识传统中的礼学,为今天的困境可以提供有意义的解决方法。 在韩国发展的礼学是一门研究人与人之间如何行动都会合乎礼仪的学问。它能够用和平有效的方式来化解家庭、社会中的各种矛盾和纷争。 在各种各样的人聚在一起的社会中互相尊重,并阐明该做什么和该怎么做,这就是礼学。

在社会流动性越来越强的网络时代,法律能够限制的部分极其有限。与之相反,在组织运用方面,礼学作为一种非常有效的手段。并且,礼学提示的规则不仅适用于人类,同样也适用于阿凡达和赛博格 。因为礼学并不重视其对象,而是重视是否合乎于礼。21世纪全球信息技术革命,打破了之前区分国家和个人的众多壁垒,其结果在多种关系中创造了巨大的流动性。在这样的条件下,礼学不仅能够在解决人与人之间的问题上发挥作用,在解决政府机构之间的问题时也能够提供各种规范。这对我们来说很有价值。

现代韩国和礼仪

传统上韩国人很重视礼仪和集体意识。随着现代化和产业化的加速发展, 礼仪的价值和共同体精神受到了很大的损害,但仍然有很多人重视礼节,大人教孩子礼节,晚辈尊重长辈。真正的礼节不会像弹簧那样随着年龄、性别和职级的变化而改变。如今在韩国,人们认为问对方的年龄、学号、职位和年薪等都是很自然的初次问候,但这与礼节完全不同。在儒家的教诲中,一个人是否被尊重并不取决于社会地位的高低。孔子不会因为对方有权有势就去讨好,一切都为百姓着想。如果认为诸侯不仁义,孔子就会独自离开。

为了礼仪真正有价值,必须以平等思想为前提。众所周知,美国是最提倡平等思想的国家,但并非如此。虽说人们都是爱护平等,但也不是绝对的,关于平等每个人都有自己不同的标准。韩国一直都有个规矩,就是作为一家之主的父亲如果不动筷子,那么其余的人都不可以吃饭。甚至在古代的父权制度下,不准同桌用餐。但这并不是真正的礼节,也不是合理的儒家教诲。作为一个西方学者,依我之见,韩国的这种家长权威主义是典型的形式主义。这难道不是一种没有实质内涵,只剩下一副躯壳的封建糟粕吗?

再举一个例子,韩语和英语有很大的区别,其中最大的区别就是韩语有很多敬语。敬语和尊称是韩语的一大特色,韩语中有很多相关词汇。由于敬语数量过多,以至于让人担忧是否有碍于正常沟通,是否有碍于民主化进程。韩国人觉得英语没有上下级之分,男女老少之间都用平语来沟通。 这是韩国人经常犯的一个错误。或许在韩国人看来这是没有礼貌的行为。但实际上,英语中根本没有平语的概念。正如前文所说,他们非常重视平等。因为没有平语的概念,自然也就没有了敬语。

礼仪规矩随着时代的发展在不断变化。朝鲜礼学的集大成者沙溪金长生也不认为礼就是一成不变的。他并没有把朱子学照本宣科地运用到朝鲜社会中,而是根据朝鲜社会的实际情况加以解读,因此他的思想才能够在重建朝鲜的过程中发挥重要作用。正因为‘礼’会根据不断变化的社会而做出新诠释,所以它才能够保留核心思想,代代相传。如今我们需要的‘礼’是一种能够满足现实需求的‘有生命的礼’。

现代社会和儒士精神

现如今信息技术的革命给人们的生活带来根本性改变。在这样的时代背景下,怎样才能培养出具有道德、勇气、想象力的新一代领导人呢? 如果为了解决现在的问题,把目光转向过去,寻找解决方法,我们从哪些方面可以得到帮助呢? 朝鲜的儒士精神能否给予解答?儒士精神是否能够告诉我们,怎样才能培养出具有‘道德’、 ‘勇气’、‘想象力’的人才呢?

首先,朝鲜的儒士传统教会人们如何灵活对待人与制度、人与技术的相互关系,因此备受关注。当代社会,过分强调机器的便利和现代化,以至于人们的判断力明显下降。想象力终究无法从电脑中获得。道德也是如此。在人类的正确行为和技术所促进的道路上有着很多矛盾之处。有时无视技术的便利,和它保持距离也是需要勇气和道德的。因此在这种情况下,儒士精神发挥着非常重要的作用。

儒士精神并不是韩国人的专利。现在韩国、美国、欧洲诸国面临的主要问题就是社会精英没有责任感。那么从儒士精神中找到解决方法如何呢?如果我们在全球积极宣扬韩国‘儒士精神’的话,或许能够启发更多的人。假如非洲的某个小村庄的村民都把伟大的‘儒士(Seonbi)’思想、读书、道德和实践的传统当作人生信条的话,那就意味着儒士精神国际化的成功。

日本有武士精神。如今全世界的人都知道日本精神文化的核心——武士精神。韩国小孩做游戏时也经常说,“我是忍者!”,这些不懂事的孩子们居然说出代表日本的精神,还真是一种讽刺。一提到日本,人们就会想到武士,一提到英国,人们就会想到绅士,然而一提到韩国,却没有能够让人眼前一亮的象征。但是话说回来,韩国有着数百年的儒士精神,不是吗?

有人认为儒士精神有着大男子主义思想的时代局限性。然而当今社会,儒士精神不应该成为男性的专利。朝鲜时期的父权文化中,男性扮演着领导者的角色,然而当今社会,韩国为了跻身世界大国,更加重视女性的作用。毫无疑问女性在当今韩国起着越来越重要的作用。今后,女性的作用将会更加重要。

因此儒士精神不再是男性的专利,而应同样适用于女性。儒士精神可以成为带来新的希望和展望的传统。虽然古希腊有着奴隶制等各种陋习,但也萌发了民主主义传统。传统文化去芜存菁,就成了当代的优秀传统。儒士精神也是一样。当今社会,儒士精神经过不断发展成为能够充分体现女性价值的一种思想,还有我认为应该积极追求它。

从传统中学习

如此看来,韩国传统文化能够解决当代社会的诸多问题。让我们来举几个例子。首先《朝鲜王朝实录》是世界上罕见的记录文化和言论制度的典范。另外,朝鲜风水学

也不纯粹是迷信,现如今已经成为生态环境学的重要文化遗产。再就是如前文所说,韩国的礼学传统可以开发成最适合社交网络时代的伦理观。我们不妨重拾18世纪韩中日三国的东亚共同体意识(汉字文化圈),这将是一件可行性高,具有意义的事情。当今世界各国迫在眉睫的课题就是如何培养具有社会责任感的知识分子。 在传统儒家中可以找到的民主主义要素,或传统农业所具有的现代价值,这是绝对不能忽视的。

让我们来看看当代中国的。如果强行推行美国或者西方的‘民主主义’的话,将会引发中国社会的强烈反弹。但是如果以中国的儒家传统,即‘元朝之前的儒家民主传统’来介绍民主主义,将会起到意想不到的效果。因为中国儒家传统中蕴含着‘民主主义’的DNA。如果宣扬传统文化中的民主主义,就不会有太多的抵触心理。如果以传统儒士精神为基础,创造出新的民主主义,那将是东亚的‘民主主义文艺复兴’。所以我认为儒士精神有着不断进步的发展潜力。

有报道称,近几年来韩国想当科学家的孩子越来越少了。如果问小学生长大后想做什么?他们会回答,“看起来很帅或者能挣很多钱的工作,比如偶像歌手和公务员”。如今在大学里,人文学科、社会学科和自然学科渐受冷遇,与之相反,经营学、工科、医科等实用学科渐受学生青睐。虽说实用学科在就业时可以占到先机,但实际工作中能否发挥作用还有待商榷。然而诸如哲学之类的人文学科却能够在实际工作中发挥大作用。

自古以来,儒家传统将伦理和作为其基础的原理原则作为教育的核心。 我认为这是很好的教育方法。真正的教育并不是一味地灌输知识,而是告诉人们世道规律,教会人们如何解决问题,如何冷静分析和判断常识。掌握了这些就意味着能够接受任何的挑战。

朝鲜王朝时期,儒士们为了完成真正的儒士姿态而读书。 看着比起‘为什么’更注重‘怎么做’的当今知识分子的形态,不能不强调热衷于培养节操、气概和清净心态的儒士态度。“书中自有答案”,并不是说一味地读书就能理解其中的道理。而是要通过反复思考来获得智慧。博览群书,并深入地思考,便能客观地看待这个世界。 儒士们不只是在数量上读了很多书。先读透儒士精神的核心载体四书五经,然后才进入下一阶段。其实读书就是读“世界”。若是一味地读书而不思考,即使读书破万卷也是无用功。

企业文化和儒士精神

毫无疑问,儒士精神是韩国人引以为傲的韩国本土文化。因此,将以儒士精神为基础的共同体中心文化应用到企业,就能构筑新的企业革新模式。另外, 儒士精神是不歧视人种、民族和种族的普遍性概念,具有可以扩展到其他国家的无限潜力。即便是美国、日本、德国等其他国家的企业,接受以儒士精神为中心的创新企业文化,也不会遭到太多的反感。

在国际社会上,像三星、现代、LG这样的韩国大企业有着强大的实力和影响力。 不仅与美国、日本、德国公司一起形成了世界性的制造业市场,而且有些领域在世界上处于领先地位。 但是,现在韩国企业的评价在国际社会上并不一定是好的。韩国企业过于注重短期利益,不重视环境、人权等问题,因而受到多方指责。当然了,不只是韩国企业,其他国家的大企业也同样存在着各种问题。

把利润作为核心价值观的企业往往不懂尊重职工的权益。当初,欧洲各国和美国在资本主义初期走了很多弯路,现如今这些国家的企业对道德建设日益重视,并不断地取得进步。然而近几十年来,国际影响力迅速扩大的韩国企业在重走欧洲资本主义初期走过的弯路。

关键就在于企业文化基因的改变。 现在,全世界都渴望拥有一种新的企业精神和文化的公司。那么如果韩国的企业率先完成这些任务如何?。在韩国的传统中存在能够创造有人情味的企业文化的精神模式。这就是儒士精神。

韩国为了跻身世界大国,应该积极提倡以儒士精神为基础的,具有良好的社会责任感的企业文化,并下定决心进行改革。因此韩国公司不能一味地追求利益,同时也要为人类社会发展做出贡献。

如果这种企业文化能够在韩国兴起的话,那么也能推广到其他国家。这样一来,韩国企业将不再是跟随世界潮流去随波逐流,而是属于主导世界潮流的军营,这也是不能忽视的变数。如果韩国的跨国公司能够注重人文价值,创造出相互合作的新企业体系,那么韩国必将获得巨大的国际影响力,并赢得国际社会的广泛尊重。

这种变化最终对企业自身也有帮助。在世界市场一体化的今天,一味地谋求厚利不利于企业长久发展。企业在追求自身利益的同时,也要兼顾员工的福利,以及为区域和全球发展作出贡献,这样才能赢得社会的广泛尊重。社会对企业的评价标准也应该包括企业绩效、员工福利、以及对社会的贡献。特别是跨国公司应该在国际社会中承担起更多的责任。企业应该尊重每个人的价值,承担起减少社会矛盾、化解纷争、解决贫困和保护环境的社会责任。

如今很多人都在谈论‘危机’。进入21世纪以来,人们怀抱希望还不到10年,经济危机、伦理道德危机等各种危机纷至沓来。导致社会危机的诱因有很多,我认为其中最主要的原因就是‘社会精英没有责任感’。从这个意义上来说,韩国的儒士精神是全世界能共享的典范,也希望它能够成为一种唤醒全世界的催化剂。