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「コロナ禍 が本当に終わったのか」 国際革命黨

国際革命黨

コロナ禍 が本当に終わったのか

エマニュエル パストリッチ 代表

どうすれば新型コロナウイルス感染症が終息したということがわかりますか?

私たちが情報源としている新聞、テレビニュース、ブログなどは、科学やイデオロギー、レトリックの断片が投影され、私たちを混乱させたり惑わせたりする、不安定で移り変わる万華鏡のように崩壊してしまいました。

デンマーク、オランダ、スウェーデンが新型コロナウイルス感染症の制限を解除したと、オルタナティブメディアは騒いでいますが、これまでの私たちの経験では、このような「突破口」は、別の国で、別の形で人類への攻撃を続けることにつながります。しかも、それらの国は、地球上の人口のほんの一部に過ぎません。

新型コロナウイルス感染症の終息を匂わせて、現在の腐敗したシステムが自力で危機を解決できるという希望を持たせようとしています。しかし、そのようなシナリオは全く到達不可能なのです。

メディアが提示する新型コロナウイルス感染症の終息基準はあまりにも役に立たないので、この流行が間違いなく終息したことを示す真の指標を、一般の方々のためにここに挙げなければなりません。

1)

この「コロナワクチン」を開発したすべての製薬会社、「新型コロナウイルス感染症」のデマを広めたすべての多国籍メディア企業、デマを広めた企業に投資したブラックロック、ゴールドマン・サックス、バンク・オブ・アメリカなどのすべての投資銀行やプライベート・エクイティ・ファンド、そして秘密裏に このプロジェクトに出資したビル・ゲイツやジェフ・ベゾスをはじめとするすべての超富裕層の資産を没収して、一般市民の生活を破壊することを目的としたコロナワクチン、PCR検査、違法な監禁、ソーシャルディスタンスを置く措置によって被害を受けた人々への賠償金に充当すること。 その他、これらの勢力に支配された企業、政府、病院、研究機関などによる犯罪行為も処分します。

2)

ゲイツ財団(ビルゲイツとメリンダ・ゲイツを含む)、世界経済フォーラム(クラウス・シュワブを含む)、DARPA(米国の国防高等研究計画局)、ファイザーやモデナなどの大手多国籍製薬企業で、これらの致命的な「コロナワクチン」の開発と販売促進を担当した主要人物が逮捕され、その罪で裁かれること。

そうして、アメリカ、イスラエル、フランス、イギリス、ドイツ、ロシア、中国、日本、などで行われている新型コロナウイルス感染症の恐怖拡大に関連するすべての文書が機密解除され、裁判が有意義に行われるようになり、企業、億万長者、政府、とグローバルガバナンス機関との間の腐敗した関係が世界に明らかにされるようにします。

3)

新型コロナウイルス感染症のデマを広めた政治家や政府関係者、企業の責任者からの命令に従った者、超富裕層の手下からの指示に従った者は、職を解かれ、その多くを投獄すること。

4)

メッセンジャーRNAを注射された人の症状を長期的に治療する方法の開発を重要な医学研究課題とし、責任者から差し押さえた資産をもとに多額の資金を投入すること。

また、ナノセンサー、ナノロボット、酸化グラフェンなど、コロナワクチンに含まれる有害物質による身体への影響を長期的に治療するための研究を開始し、新しい治療法の開発を目指します。

今後、すべてのワクチンやその他の医薬品が、企業から金銭的利益を得ていない専門家による厳格な科学的評価を受け、その内容が世界に完全に開示されることを保証する政策を実施します。

5)

日本において、医薬品や医療から企業が利益を得られないための新しい医療政策が採用され、危険である医薬品を宣伝するための不正な資料を配布したことや、国会やその他の政府機関で虚偽の証言を行ったことにより、製薬ロビーが閉鎖され、その指導者が投獄されること。

コロナウイルス騒ぎの不正につながった日本と米国の研究と医療の民営化が終わり、国民の、国民による、国民のための医療が実現します。

6)

この新型コロナウイルス感染症のデマがどのようにして企てられ、世界規模で実行されたのか、その真相と全貌は、入念に調査された記事やアクセス可能な本に詳細に記述されており、それらの資料は学校で採用されている歴史教科書に不可欠なものとなっています。

新型コロナのデマに関連するすべての情報は機密解除され、すべての企業記録を公開します。

上記の6つの基準が満たされていれば、新型コロナウイルス感染症のパンデミックは終わりに近づいていると言えるでしょう。そうでない場合は、マスクとワクチンの義務化の終焉といった新聞の見出しに惑わされてはいけません。

国大統領選出馬の理由

国大統領選出馬の理由

韓国の礼儀とソンビ精神

韓国の礼儀とソンビ精神

 エマニュエル・パストリッチ (Emanuel Pastreich)

朝鮮の2つの伝統、ソンビ精神と礼  

韓国は領土も大きくなく、人口も多くない国である。大陸と繋がる半島国家だが、南北に分断された一種の島国である。また、約100年前には植民地に転落した痛い傷も抱いている。植民地からの解放後に経験しなければならなかった韓国戦争(朝鮮戦争)はあまりにも残酷な試練であった。それにも関わらず、包括的な文化という概念で大国である。植民地時代から抜け出してから半世紀で韓国経済は世界10位に入るほどの目覚ましい発展を遂げた。それに止まらず、今や文化芸術分野とスポーツ分野においても注目すべき成果を出している。

最近まで特別に「文化」という分野で世界に紹介できるものが多くなかった韓国は、今や世界的な韓流ブームの震源地となり、東南アジアはもとよりヨーロッパを越えて北米大陸まで広まった。PSYの「カンナムスタイル」ブームは一時的な幸運ではなく、韓国文化の底力が世界に通じることを証明した大きな出来事だと思う。パリ、ロンドン、ニューヨークを問わず韓国語の歌詞を口ずさみながら、グループで「乗馬ダンス」を踊っている世界の人々を見ながら、実に大きな変化が起こっていることが分かる。

このように21世紀の世界経済と文化を先導する韓国人の手腕はどこから来たのか。何よりも私はこの500年間持続した韓国の伝統からその力を見いだすべきだと思う。ハーバード大学で韓国の古典文学を学びながら、朝鮮時代の文人のうちキム・マンジュン(金萬重、1637~1692)、パク・ジウォン、チョン・ヤクヨン(丁若鏞、1762~1836)などの文章を興味深く読んだことがある。彼らはソンビ精神を理想とするとともに学問を実践して現実の政治問題を打開する価値の中心に常に「礼」を置いていた。彼らの文章を一字一字読んでみると、理想的なソンビ像と礼学に関する言及が頻繁に登場している。私はこの二つの韓国伝統にとても深い印象を受けた。まず、礼について見てみよう。

朝鮮の礼学、社会秩序を回復する実践哲学

実は、礼学とは礼儀の本質と是非を探求する儒学の一分野である。韓国の礼学はただ冠婚葬祭の単なる事例集ではなく、社会秩序を平和な手段として維持する憲法に近い性格を持つ制度という印象を受けた。西洋文化の土壌で生きてきた私にとっては人間行為の規範であり、社会秩序の根幹として礼学と礼儀を前面に出すことは非常に不思議に思うとともに新鮮さが感じられた。

東アジアで礼は、生活に深く溶け込んですべてに影響を及ぼす人生の一部だった。西洋学者として東アジア4カ国で暮らし学びながら、今はある程度慣れたと思っていたが、日韓中の三国は時代別にかつ地域別に礼の姿が非常に異なっているので、一言で定義したり特徴をまとめることは簡単ではないことに気づいた。ただし、知識人とエリート社会を中心に簡単にまとめてみると、日本の「礼」は慣習中心であり、現実を肯定的に見つめると評価できる。一方、中国の「礼」は全体を中心に社会を統治し、政治的な地位を強調している。韓国の「礼」は感情と社会秩序を包括する特徴を持っていると言えそうだ。

17~18世紀に朝鮮は中国の『朱子家礼』をベースに礼学と知られた独特な形の学問分野を発展させた。礼学は人と人の関係、さらに人と社会、国の問題を重視する学問だった。そうした意味で礼学は実践哲学と言える。(豊臣秀吉による)文禄・慶長の役と丙子胡乱を経た朝鮮社会が実践哲学である礼学にその重心を移したのは、それほど社会秩序の混乱が激しかったことも一つの原因だったと思われる。ソンビさえも名分と礼儀、廉恥よりは利益により関心を持つようになった時、伝統的な秩序の維持と教化の機能を持った礼が強調されるしかなかったのである。

朝鮮の礼学の土台を作った思想家は沙溪のキム・ジャンセン(金長生、1548~1631)であった。沙溪の礼学と政治思想は文禄・慶長の役と丙子胡乱を経た直後の混乱した社会秩序を回復し、国家を再建するための実践的な性格を持っていた。栗谷 李珥の下で学んだ沙溪は『家礼輯覧』『喪礼備要』『近思録釈疑』『経書弁疑』などの著書を残した。このように彼が礼論に集中した理由はすべての人間が善良で正しい心で助け合いながら生きていけるように個人の行動方式を具体的に規定する秩序が必要だと捉えたからである。「仁」と「善」が善悪と道徳を判断する不変の基準であれば、正しい心と善良な心を表わす態度と手続きが正に礼である。したがって、礼は常に善良で正しいものでなければならず、さらに善良で義理堅いものであっても必ず礼として表現されなければならないのだ。

SNS時代の礼儀

一方、礼学は家柄や所属している共同体、政府または国家内で融通の利かない法に頼らずとも正しく礼儀に反しないように行動ができる方法を提示する学問と言える。礼学は、倫理に対する個人の協力と厳しい規則を通じて集団間の葛藤に対する解決方法を提供する。礼学は処罰的な要素を持っていないため、ネットワーク社会で発生する葛藤を解決することにおいて法律より高いレベルの自浄機能をはじめ、より多くの純機能を持っていると思う。

今日の私たちは様々なネットワークを作りながら生きている。よく現代社会を数多くのネットワークの中で行われる複雑な相互関係が、個人の実存的な生き方に重大な影響を及ぼすネッツワーク時代だと定義する。このような社会的なネットワークは近年のフェイスブックをはじめ、SNSを通じて急速に拡大されているが、実は私たちはその正確な本質と意味をきちんと把握していない実情である。さらに、SNSを通じて行われる各種行為と情報交換の範囲、社会的倫理などを規制する法的手段はいまだ整っていない。ある人はこのような問題を取り扱うための法律的・制度的な手段が作れるのかさえ、根本的に疑問視したりもする。

今日、個人の人生と評判は各種のメディアや誹謗行為にすごく簡単に露出されている。その結果、時には悲惨な結果をもたらしたりもする(様々なプライバシーの侵害、名誉棄損などによる悲劇的な事件を思い出してほしい)。それにも関わらず、ブログやツイッターを通じて他者に加えられる有害な行為を規制する法的制度を求めることは、望ましくないだけではなく、非効率的なものかもしれない。ネットワーク時代が開花した今日の現実において、道徳的な行動を勧める新しい対策が切実に求められる状況なのだ。その対策は、なにより処罰中心の法的制裁ではなく、自浄過程を誘導するアクセスでなければならない。

このような側面で韓国の知的伝統のなかで礼学は、現代が抱えるジレンマに意味のある解決方法を提供することができると思う。韓国で発展した礼学は、どうすれば他者とのかかわりの中で適切で礼儀正しい行動ができるのかを深く研究する学問である。これは家族や社会で発生する様々な葛藤や紛争を平和的で効率的に解決する手段になれる。様々な人々が集まって生きていく複雑な社会において、互いを尊重し合いながら、何をしてどう行動すべきかを明かすことがまさしく礼学というものである。

日ごとに流動性が強くなるインターネット時代に法律が規制できる部分は非常に制限的である。一方、礼学は組織運用という側面でとても効果的な手段として機能できる。また、礼学で提示する規則は人間だけではなく、アバターさらにサイボーグにも適用できる。なぜなら、礼学は人かどうかを問うものではなく、何が適切であるのかを問い詰め、礼を重要視するからである。21世紀の情報技術革命は、これまで国と個人を区分した数多くの障壁を切り崩し、その結果、様々な関係の中で大変な流動性を創出した。このような条件で礼学は個人間の関係はもちろんのこと政府機構間の問題に対しても様々な潜在的な規範を提供することができ、これは我々にとっておびただしい価値になるだろう。

現代の韓国と礼儀

伝統的に韓国人は、礼儀と集団意識を非常に大切に考えている。現代化と産業化を経て、礼儀の価値や共同体精神がとても毀損されていると言うが、いまだに多くの人々が礼儀を重視し、大人は子どもに礼儀を教え、子どもは大人に礼儀を表す。でも、本当の礼儀は年齢や性別、職級による社会的階級によってスプリングのように変わるものではない。韓国では年齢や大学入学の年、職位、年収を聞くのが初めて会った人への自然な挨拶だが、これは礼儀とはまったく異なるものである。社会的な地位の高下によって人を尊重したり無視したりすることは、儒教の教えではない。孔子は地位と権力を持った人物にも、決して媚びるようなことはしなかった。すべてを国民の側に立って考え、判断しようと努力した。君主に問題があると判断したら、自ら他国に去ってしまった。

礼儀が本物の価値を持つためには、必ず平等思想が前提となる。韓国人は、アメリカを平等思想が徹底している国と認識しているが、必ずしもそうではない。平等を愛して大切に思うが絶対的ではなく、人によって考える平等の目安はそれぞれである。韓国では父親が箸をつける前は、子どもたちが先にご飯を食べてはいけない慣習がある。以前は同じ食卓で食事をすることも許されなかったほど、父親の権威が保たれていた。しかし、このようなことは真の礼儀ではなく、儒教の合理的な教えでもない。西洋学者として観察者の観点から見ると、このような韓国の父権主義的な権威主義は、形式的な側面が強調されすぎているという考えを拭えない。本質は消え、皮だけが固く残っているのではないかと思われる。

もう一つの例を挙げると、韓国語は英語圏の言葉と異なり、尊敬語が豊富である。尊敬語と謙遜語は韓国語の最も大きい特徴だと言っても過言ではないほど、多すぎる。それが過剰な場合、ややもすれば合理的なコミュニケーションと民主的な意見提案を阻害するのではないかと恐れられている。韓国人がよく勘違いすることがある。英語は上下の概念がないため、大人も子どもも皆がため口で話すと考えていることである。韓国人の観点から見ると、礼儀も概念もない非常識な行動だが、実は英語にはため口という言葉がない。先にも述べたように、平等を尊重するからである。ため口がないのでなお敬語が有り得ない。

礼儀は、時代と状況によって絶え間なく変わりつつある。朝鮮礼学の礎を作った沙溪・金長生も、礼が固定不変のものだとは考えていなかった。朱子の教えをそのまま素直に受け入れることではなく、朝鮮社会の実情に合わせて新しい解釈を付け加えたため、彼の思想が朝鮮社会を再建する精神的な柱の役割ができたことである。変化する現実に合わせて絶え間なく再解釈された例だけが、その合理的な核心を維持しながら後代にも受け継がれるだろう。今日、我々に必要な礼は現実のニーズに応えられる「生きている礼」である。

現代社会とソンビ精神

情報技術革命によって生き方の様態が根本的に変わっている今日の世界で、道徳性と勇気、想像力が発揮できる新しい指導者を育成することはどうすれば可能なのか。今日の課題を解決するために、過去に目を向けて解決方法を探るのであれば、私たちはどのようなことで助けを得られるのか。朝鮮時代のソンビ精神がその解答になるだろうか。ソンビ精神なら道徳性、勇気、想像力を持つ人間を育成するにおいてどんなヒントが与えられるのか。

まず、朝鮮時代のソンビの伝統は人と制度、技術の間を柔軟に調律する方法を教えるという点に注目されている。現代社会は機械の便利さと現代化を強調しすぎたため、人間の根源的な判断力が乏しくなる傾向がある。想像力はコンピュータからは絶対得られない。道徳性も同じである。人間の正しい行為と技術が促進する道は互いに衝突する場合が多い。技術の便利さを時には無視したり、距離を置くことにも勇気や道徳性が必要である。ソンビ精神はそのような流れの中で非常に重要な役割を担うことができる。

ソンビ精神は韓国人だけに留まらない。今、韓国、米国、ヨーロッパなど様々な国で最も問題視されているのが正に責任感のないエリートである。その解決策をソンビ精神から見つけ出すことはどうだろう。韓国の「ソンビ精神」を海外に積極的に紹介するとたくさんの人がインスピレーションを受けるだろう。アフリカの小さな村に住んでいる住民が偉大なソンビ精神、読書、道徳、実践の伝統を生き方の信条にすれば、それこそソンビ精神の世界化になるだろう。

日本には侍精神がある。世界どの国に行っても知らない人がいないほど、広く知られている日本の代表的な精神文化が侍精神である。韓国の子どもたちも遊ぶ時に「僕は忍者だ!」というシーンをしばしば目にすることができる。幼い子どもが日本を代表する精神を口にするという皮肉が目の前で起きたりするのである。それほど日本と言えば侍が、イギリスと言えば紳士が思い浮かぶが、韓国に対する代表的なイメージはまだまだ浮かぶ表象はない。しかし、韓国には数百年間も受け継がれている代表的な精神文化としてのソンビ精神があるのではないか。

ある人はソンビ精神が男性中心主義的な限界を持っていると評価を下げたりもする。もちろん、今日のソンビ精神は男性の専有物になってはいけない。朝鮮時代には父権中心の文化で父親が家庭のリーダーとしての役割をしたが、現代社会で韓国が世界的な国としてアップグレードするためには、女性の役割が非常に大事である。今でも、女性は確かに韓国社会の主なエンジンとして活躍している。女性の役割はこれからもさらに大きくなるだろう。

それだけにソンビ精神は男性だけの伝統ではなく、女性の伝統にまで拡大されていくべきだ。ソンビ精神は新しい希望と展望を与える伝統になれる。古代ギリシャ社会には奴隷もいたし、様々な悪習もあったが、民主主義の伝統はその時に始まった。良いことばかりではなかった時代の伝統を現代では良き伝統に発展させて活用しているのである。ソンビ精神も同様である。現代社会にふさわしい、女性の価値も十分に盛ることができる精神に発展させることもできるし、また積極的にそれを追求すべきだと思う。

伝統から学ぶこと

このような観点から、韓国の伝統文化は、現代社会が直面している多くの問題に解決策を提示することができる。いくつかの具体的な事例を挙げてみよう。まず『朝鮮王朝実録』は、世界的にも稀な記録文化の見本であり、言論制度の見本でもある。また、朝鮮時代の風水思想は迷信だとするのではなく、生態系を考慮して自然を守る環境に優しい自然観を持っている大切な遺産として発展させることができる。上記したように、韓国の礼学の伝統は、SNS時代に最も適した倫理観として開発できる。18世紀、日韓中の三国が共有した東アジアの共同体意識(漢字文化圏)を今日に復活させるのはどうだろうか。十分に可能で有意味なことになるだろう。何より責任感のある知識人を育成することは、今日のすべての国が直面した喫緊の課題である。伝統儒教の中から見える民主主義的な要素や伝統農業が持つ現代的な価値も断じて見過ごせない。

現代中国の礼をより詳しく見てみよう。中国に対して米国や西洋の民主主義の導入を強要すると激しい反発が予想される。しかし、中国の儒教的な伝統、つまり「元以前の民主的な儒教伝統」という形で「民主主義」を紹介すれば、その効果は非常に大きいだろう。中国の儒教的な伝統の中にも「民主主義」的なDNAが存在するからである。伝統の中に存在していた民主主義を復活させることに対しては、別途の抵抗はないだろう。ソンビの伝統をベースにした新しい民主主義であれば、東アジアの「民主主義のルネサンス」も可能ではないだろうか。ソンビ精神の中にはそれほどの潜在力が十分にあると思う。

最近の韓国では、科学者を夢見る子どもの数がだんだん減っているという報道を聞いたことがある。最近の小学生に将来の希望を聞くと格好良く見える職業、金をたくさん稼げる職業、たとえばアイドルとか公務員だと答えるそうだ。大学でも人文学や社会科学、自然科学は次第に淘汰され、経済・経営学や工学・医学のような実用学問に人気が集中している。実用学問が一時的に就職に有利かもしれないが、実際の人生や職業的な活動をすることに役立つかは検証されていない。むしろ哲学のような人文学がより役に立つこともある。

儒教の伝統では昔から倫理とそのベースになる原理と原則を教えることを教育の核心とした。これは非常に優れた教育方法だと思う。真の教育とは特定の情報を注入・伝達することに留まらない。世界が回る原理、問題にアクセスする戦略、冷静に分析して判断する常識を育成することこそが正に教育である。それらを身につけた時、初めて新しいチャレンジに適応できる内的力量が整ったと言えるだろう。

朝鮮時代のソンビは真のソンビの姿勢を完成するために読書をした。「なぜ」よりは「どうやって」に集中する今日の知識人の形態を見ながら志操と気概、清浄な心掛けを育てるのに情熱を注いでいたソンビの姿勢を強調せずにはいられない。「本の中に答えがある」という言葉は、単純に読書ですべてが理解できるという意味ではない。本を読んで何度も推考して理解する過程を通じて知恵を育てる。深く考えながら様々な分野の本を豊かに接することができたら世界を見る鋭い観点を持つことができる。ソンビたちも必ずしも量的にのみ本をたくさん読んだわけではない。まず、核心古典の四書五経を完璧に読みこなし、理解した後で初めて次のステップに進んだ。結局、本を読むことは「世の中」を読むことである。考えも無しに本を1000冊読んだところで、なんの意味もない。

企業文化とソンビ精神

ソンビ精神は疑うことなくすべての韓国人が誇らしげに思う韓国人の文化である。ソンビ精神をベースにした共同体中心の文化を企業に導入すれば、企業革新の新しいモデルが生まれることができる。さらに、ソンビ精神は人種や民族、種族を差別しない普遍的な性格の概念という点において他の国に拡張させる無限の潜在力を持っている。アメリカや日本、ドイツなど国外の企業もソンビ精神を中心とする革新的な企業文化を受け入れることに特別な拒否感を持つ必要はないだろう。

国際社会でサムスン、現代、LGのような韓国の大手企業は非常に大きい力や影響力を持っている。アメリカや日本、ドイツの会社と共に世界的な製造業市場を形成しただけでなく、むしろ世界をリーディングしている分野もある。しかし、国際社会で必ずしも韓国企業の評判が良いとは言いきれない。韓国企業は短期的な収益に価値を置きすぎている。環境問題や人権問題に対する意識が高くなく、企業自体も多くの問題点を抱えていると批判されている。もちろん、韓国企業だけが批判されているのではない。他の国の大手企業も似たような批判を受けている。

収益だけを核心価値と思う企業は、その企業を構成している職員を人間として尊重していない傾向がある。ヨーロッパや米国では初期資本主義時代の試行錯誤を経て、今は相当なレベルの道徳性まで備えるまでに発展した。しかし、ここ数十年間、国際社会で急速に影響力を拡大している。韓国企業はヨーロッパの初期資本主義に現れた過ちをそのまま再現する姿をたまに見せることもある。

核心は企業文化のDNAを変えることである。世の中は今、新しい企業精神と文化を持った会社を強く望んでいる。さて、このような課業を韓国の企業が先導的に遂行するのはどうだろうか。韓国の伝統には人間らしい企業文化を創出することができる精神的なモデルが存在している。ソンビ精神がまさしくそれだ。韓国が一流国家であるという評価を受けるためには、ソンビ精神をベースに社会的な責任を企業が積極的に受け入れて革新をすることで、収益性だけを強調することなく、人類に貢献する努力に対しても評価される文化を作るべきである。

そのような企業文化が韓国から始まることができるのであれば、外国の他の企業もそれを受け入れるだろう。韓国企業がこれから世界の流れに沿っていく存在ではなく、世界の流れを主導する側に属していることも無視できない変数である。世界的な韓国企業が人間の価値を尊重して、協力し合う新しい企業システムを作るのであれば、韓国は国家的にも大きな影響力を持って尊敬されるだろう。

このような変化は究極的に企業にも役に立つことである。全世界が一つの市場に変化する現実の中で企業の目的を収益の創出に限ることは、企業の生存のためにもプラスにはならない。収益の創出と共に職員に対する分配、地域社会と地球村に対する貢献が企業の目的として尊重されるべきである。実績評価も収益や分配、社会的貢献など、すべてを考慮するように変化すべきである。特に、大企業は世界的な問題を解決する社会的なキャンペーンにおいてもっと大きな責任意識を持つ方向に企業の方針を変えるべきである。人間の価値を尊重し、社会的な葛藤を解消し、紛争と貧困、環境問題などを解決するにおいて積極的な責任意識を持つことが必要である。

多くの人々が「危機」について語っている。新世紀に対する希望を話してから10年も経たずして経済危機はもちろんのこと、倫理の危機が押し寄せてきた。危機を呼び寄せた原因としてはそれぞれ数多くの要因を挙げることができるが、最も大きな原因は「無責任なエリート」の存在だと思う。そうした意味で韓国のソンビ精神は世界が共有できるモデルであり、新たな覚醒を呼ぶ触媒剤になれると期待している。

「私は悪を恐れない」新刊ニュース

2020年米国大統領選への出馬宣言」

「私は悪を恐れない

2020年米国大統領選への出馬宣言」

パストリッチ エマニュエル

(金成主 翻訳)

パブー出版

2020年 08月 04日

販売価格:900円 (税抜)

日本文学が専門のアメリカの代表的な知識人パストリッチ氏は, ワシントンD.C.において外交と安全保障の活動を行ってきましたが, 2019年に共和党と民主党の腐敗した政治文化にはこれ以上期待できないと感じ, 2020年2月に無所属の独立候補として米国大統領選へ出馬しました. 本書は, 出馬後5ヶ月間にパストリッチ氏が行ったアメリカを全く新しい方向へと導こうとする感動的な12の演説が収録されています. アメリカの権力者が抹殺しようとした本物の大統領候補と希望をここで初めて日本語で紹介します.

https://book.sobin.org/?fbclid=IwAR0yqG3PwD6YnyTwhpm0u2F2-TqaYzr6TTtKRpAPzO82hmtdO1-2SKMpgSE

●アメリカ合衆国は、長らくアジアに大きな影響を与え続けてきました。しかし、私たちの多くはアメリカ大統領選挙に投票することはできません。


●ただ、われわれは、たとえばアジアを大切に想い、われわれとの明るい共存ビジョンを持つ候補を声援することができます!


●もし、われわれの声援がアメリカで何かの力を呼び起こし、われわれとアメリカの人々が共に幸せに生きてゆく道が開ければ、それは世界を変える新しい方法となるでしょう。


●ここに、一人の革新的な国家観を持った、アメリカ大統領を目指す理想主義者エマニュエル・パストリッチさんがいます。多くの政治志望者が立候補前から現実社会のいいなりになるなか、パストリッチさんは、社会の維持拡大のためだけに市民を駆り立てるような誘導的なやり方に厳しく批判の矛先を向けています。リーダーシップを強制力の道具として悪用しない決意が見てとれます。


●さらに、この電子図書ではアメリカの政治に関する根本的な問題についても詳しく解説されており、東アジアとアメリカの関係を知るには必携の資料ではないかと思います。また、ポチャバルに賛同してくださる人間主義的な皆さんが関心を持つような考え方が丁寧に紹介されています。金成主さんの翻訳も大変読みやすいと思います。

●われわれ東アジアと共に歩んでくれる候補を応援することは、われわれにできる最も積極的な政治参加のやりかたです。ご関心のある方は、ぜひ、この電子本を購入してください。その代金は彼の今後の政治活動資金の一部となります。そして、あなたがもしパストリッチさんに共鳴したら、それはあなたが『二人三脚方式』でアメリカの参政権を手にしたことと同じです。法律の枠組みを超えて、世界政治に参加する。そんな夢を、まずはこの電子図書の購入から始めてみませんか?

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目次

はじめに

日本の読者へ

序文

なぜ無所属の大統領候補として出馬するのか?

1

私は悪を恐れない 〜米国大統領への立候補宣言〜

2

パストリッチ 2020 綱領17条

3

民主的経済

4

「運動主義」、「不平主義」、「魔術主義」

5

安全保障とは何か?

6

ジョージ・フロイド氏の死後における合気道政治

7

ユニバーサル・ベーシックインカム 〜経済的解放か? それとも奴隷への第一歩か?〜

8

グローバルガバナンスの未来と地球議会

9

誰がFacebookを所有しているのか?

10

米国の「特異な制度」と化石燃料に終止符を打つ

11

非武装地帯をなくそう 〜朝鮮戦争開戦70周年を迎えて〜

12

民主主義への第一歩を踏み出せ 〜特別選挙が必要な理由〜

あとがき

謝辞

著者紹介

翻訳者紹介

アメリカ大統領への立候補宣言 「私は悪を恐れない」

アメリカ大統領への立候補宣言

「私は悪を恐れない」

エマニュエル・パストリッチ

独立候補

2020年 2月 24日

歴史の流れには、時に劇的で、圧倒的でさえある転換点があります。そこでは漸進的な適応以上のものを要求しなければならず、社会のあらゆる面の根本的な再構築を要求しなければなりません。今現在はまさにその瞬間であり、私はアメリカ大統領選挙への立候補を宣言することにしました。大統領の地位に付随する特典(特に現在、機関が衰退したために派手になってしまった特権)を望むからではなく、この国の最高の伝統から最も恩恵を受けた人々が戦いに身を投じることを厭わない限り、私たちの国の出血を止めることが出来ないと感じたからです。

気まぐれや束の間の感情への訴えではなく、真実に基づいた政治を行う時が来ました。私たちは、最愛の米国に浪費をもたらした深い道徳的腐敗から目をそらすことはできません。人々の苦しみに対する深い共感と、この国がどうあるべきかという、国民に使命感を与えるようなビジョンとを組み合わせなければなりません。

このキャンペーンでは煌びやかな虚偽の約束をいたしません。正直な政治の言説を回復し、理想を保持し、その理想を実行する政府を再確立するまでは、政治家が自らを「保守的」または「進歩的」と呼ぶかどうかにかかわらず、政治家の約束にはあまり意味がないからです。

今日、私たちの政府、私たちのジャーナリズム、私たちの教育機関、私たちのコミュニティ、そして私たちの家族はす​​べて、崩壊の危機に瀕しています。自己欺瞞に負けて、目の前にある荒れ地に立ち向かうことさえ出来ていません。

私が主張するのは以下のことだけです:国民が理想を確立し、習慣を実践し、この国を再構築する基盤を形成する政策が準備できるように、また、すべての人が近隣において、いつでも実際的な政策決定過程に参加できる機関を構築するために、私たちは共に努力しなければなりません。このコミュニティを形成できない場合、人々がお互いを自分の利益のために利用できる対象としてのみ見るならば、最高レベルの政策改革でも私たちの未来を救うことはできません。

今日の市民はもはや市民ではなく、すべての政治家にお金を浴びせている企業に雇われた広報会社によって、事前にパッケージ化された幻想を押し付けられている単なる消費者に過ぎません。

私たちはオブザーバーとしての役割しか持たず、私たちと会うことも、私たちを代表することも、私たちからの電話に出ることさえしない政治家にお金を差し出す以外に選択肢がないと、腐敗したメディアから私たちは教えられています。一握りの強力な企業に支配されているメディアは、私たちの問題を解決するためには魔術師を探し出さなければならないほど困難であり、そして、自分たちの手でより良い社会を構築するためには、私たちを導くリーダーを避ける必要があるということを信じ込ませるために、一生懸命働いています。私たちが自らの手でそれを構築し始めるまでは、良い政府への道はあり得ません。

奴隷制に反対したフレデリック・ダグラス博士が書いたように、「誰かが自由になるには、彼ら自身が打撃を与えなければなりません。」

大統領職のためのこのキャンペーンは自分自身を企業メディアに広報するためではありません。私たちが奴隷になることを要求する悪臭がするメディアの群れの前で屈服するよりは、私たち自身の手で信頼できる市民ジャーナリズムのシステムをつくる方がよっぽど良いからです。今の企業メディアは全会一致で私を侮辱してきますが、私は彼らの侮辱を歓迎します。

11月に投票するだけではなく、米国を変革するための闘いに加わり、毎日私たちに協力してください。あなたの努力は、説明責任のある政府に市民を結びつける「筋」を作ります。私たちの近隣組織が民主的で参加型でない場合、その国家はもはや民主主義ではありません。

無罪の国民に満ちた広大な刑務所にしろ、子供たちを悲惨な状態に追い込む腐敗したインフラにしろ、質素、謙虚、慎みの美徳を破壊した消費とわがままな文化の公布にしろ、この国は本当に時間が遅れています。

国は市民のニーズに予想通りに応対する繊細な時計のように機能するはずです。しかし、時計のファンフライが泥で詰まっている場合、雁木車が破損している場合、またはハンマーロッドが反っている場合はどうすればよいでしょうか?

時計が遅くなり、最終的に回復不能な停止状態になることを知って、時計をそのままにするでしょうか?または、時計を一時停止し、頭から爪先まで全体をきれいにし、修復して改善しますか?後者のアプローチでは専制政治を唆すリスクがあります。しかし、前者は事実上それを保証します。国の崩壊を静かに見守るよりも、危険ではあるが重要な手術の準備をする方が良いはずです。

数多くの越権と奪取が絶対的な専制政治の追求から生まれることが痛々しいほど自明になると、人々の将来の安全のために、新しい予防線を提供することが私たちの権利と義務になります。

すべての将来の行動を下支えする2つの基本原則があります。

1.真実の科学的調査

民主主義は、人々のニーズに応えて、行政に対する知恵と社会に対する理解が政策に変換されるプロセスです。しかし、人々が、ミスリードされ、歪曲され、装飾されたジャーナリズムに飽き飽きしているなら、もし、人々がわがままであり、したがってガバナンスへの関心を失うように教えられているなら、我々はもはや民主主義を持ってはいません。政策に関する議論が真実に基づいていない場合、空想的な民主主義になります。しかし、これは難しい部分ですが、真実は決して民主的ではありません。もしも、私たちが投票によって何が真実かを決定することになれば、あまりにも秩序的で合理的過ぎる精神病にすでに陥っていることになります。昨今では多くの市民、特に教養のある知識人が、世論や人気投票を見て何が真実であるかを決めています。このような極めて反知的な文化の方向性は大変危険です。

私たちは、この国の貧困とその原因、私たちが戦う外国戦争の背後にある動機、教育と地域社会の衰退についての真実を探求します。私たちは、あなたが近所の社会的、経済的な現状を調査するときにあなたを奨励し、あなたをサポートし、あなた自身で解決策を策定し、そして実行するための道徳的な勇気を育てるのを助けます。

エイブラハム・リンカーン大統領を引用すると、「国民の、国民による、そして国民のための」政府の設立が私たちの目的です。この目標は、単一の人の選出、または単一の法案の通過によって達成することはできません。それは、私たちの文化と習慣の大きな変化の結果としてのみ生じるでしょう。

金持ちから大金持ちへ、血まみれで詐欺的な男たちの手から手へと渡る富の大規模な移動から、あなた達の目をそらすために、愚かにも汚れたお金を使うようなことはしません。私たちは真実を語り、悪を恐れません。そうしてこそ初めて、私たちは終わりのない戦争を終わらせることができます。そうして初めて、米国の普通の人々への冷酷な搾取が止められます。

2.国民のための政府

米国憲法は、権力者ではなく、国民を代表する政府の青写真を定めています。この国を建設するプロセスは不完全であり、奴隷制という犯罪によって汚染され、原住民の虐殺によって損なわれました。それでも、私たちはまだ残っている、粉砕された制度のあちこちに輝く憲法の炎を垣間見ることができます。

企業が資金を提供するPRの仕掛けとして、または利益を追求する請負業者の玄関口としてではなく、人々の福祉を保護し、権力者に反対する人々を守るものとして、今こそ政府を改革する時です。

急進的な富の集中、環境の壊滅的な崩壊、富への道としての軍事主義への愚かな衝動、これらの犯罪は、今日の「常識的な世間」での議論のトピックとしてさえ考慮されていません。私たちを導くはずの政治家は、臆病と偽善で織られた毛布に身を包むことを好み、「4匹の猿」の名誉ある慣習を真似ています。

しかし、その静寂の選択にはひどい隠れたコストがかかっています。アフガニスタンの厳しい山道やウォルターリードメディカルセンターのくすんだ廊下で、悪夢は若者の周りを包み込みます。断片化された心をつなぎとめようとする自分の尿の中に、または、空白の壁を一日中見つめている私立刑務所の独房の中に、悪夢は横たわっています。

子供たちを養うために、昼夜を問わず過酷な仕事で絶えず働かなければならない人々に希望の光をもたらしましょう。彼らの利益を国家的課題の中心に置く政府が創設されることを彼らに知らせてください。私たちは奴隷制を奴隷制と呼ぶことを恐れておらず、戦争を戦争と呼ぶことを恐れていないことを彼らに知らせてください!

真実は引き続き前進する

謙虚な心、そして辛抱強さと忍耐をもって、一緒に前進しましょう。私たちのキャンペーンは時には対立的でなければなりませんが、それは常に愛に根ざし、根づいています。私たちは、虚栄心によって集まる裕福な人を減らし、労働によって集まる人を増やすことを要求します。最も価値のあるものは、目に見えないものであることをすべて明らかにします: 個人として、グループとして、そして国家として、全体の利益のためだけでなく真実を追求するためにも、自分自身のリスクを厭わずに私たちを導くコアバリューです。

石油とプラスチックによって私たちの環境に与えられた損害、金持ちによる数兆ドル規模の財産の国外への貯め込み、どのようにして権力者がインターネットを利用して私たちを本能的で、自制がない動物にするのか、これらの重大な社会危機は今の企業メディアでは一切紹介されていません。我々は努力して、この事実が明らかに見えるようにします。

それはアメリカ社会の大転換になるはずです。仲間の市民の皆さん、真理はあなたがたを自由にするでしょう。

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エマニュエル・パストリッチ 2020

アメリカ大統領 独立候補 綱領

17条

1. 公正でない選挙は認めません。

現在の選挙制度は非常に腐敗しており、意味がありません。資格のある候補者は投票に参加できず、彼または彼女のアイデアや活動は、重要な情報への市民のアクセスを拒否するメディアによってブロックされています。投票は、ハッキングされるように設計されたコンピューターシステムを使用してカウントされ、人々の神聖な選択の証拠を残しません。貧しい人が住んでいる地域には投票機がほとんどないので、疲れた母親と父親は何時間も並んで待つ必要があり、夕暮れが近づくにつれて寒さで震えます。

すべての市民が簡単に確認できる方法で投票する権利が保証され、資格のあるすべての候補者が、彼や彼女らの政策を人々に直接提示することができる、国際的に監督された選挙を国が行うまで、大統領またはその他の選挙を正当なものとして認めることはできません。選挙全体をクリアな方法で処理し、商業広告を禁止する必要があります。

正当な選挙がないのなら、私たちにはこのプロセス全体を拒否する道徳的義務があります。私は大統領に立候補しましたが、金持ちが私に資金を提供したり、政党が私を支援したりすることを期待していません。 2020年の選挙も不正になることが予想されるため、結果を受け入れることも、勝ったと主張する人々を認めることも出来ないことはわかっています。さらに、「選出された」人は全ての意味において「私たち」の代表ではないことがすぐに明らかになるでしょう。私たちは、私のような候補者が参加できる正当な選挙が行われるまで待ち続けます。

2. 気候変動は圧倒的な安全保障上の脅威です。国内および外交政策のあらゆる側面での対応が必要です。

気候変動の緩和と適応のための100年計画への全面的なコミットメントは、米国のすべての安全保障、経済、教育政策の中心になければなりません。 2、3年以内に石油と石炭の使用をゼロに減らすために、戦争経済に相当する資源をすべて投入しなければなりません。

政府は、化石燃料の使用の急速な削減を要求し、自家用車の使用を終わらせ、飛行機の使用を制限する指令を定めます。私たちは、あらゆる地域での太陽光発電と風力発電機の設置に資金を提供します。これらの技術のすべての知的財産権は、この目的のために政府によって引き継がれます。 2か月以内にすべての住宅に最高の断熱材を導入することを含めて、すべての建物の炭素排出量がほぼゼロになるように、直ちにアップグレードを行います。政府は50年のローンを使用して、化石燃料よりも再生可能エネルギーを安くします。

石油、石炭、ウランに対するすべての補助金を廃止します。これらの物質は、営利目的で販売できない規制物質として指定されます。

軍隊は、国の他の領域よりも100%再生可能エネルギーにすばやく変換され、それによって環境の最大の敵から最も強力な防御者に取って替わります。汚染された戦闘機と時代遅れの航空母艦は、彼らが企業にもたらす利益を心配することなく直ちに廃棄されます。仕事を失う立場にある人は、再生可能エネルギープロジェクトでの雇用が保証されます。

石油およびガス会社は、環境を破壊していることを十分に知っている市民に危険な物質を押し付けるために数兆ドルを費やしました。そのような行為は法律によって犯罪とみなします。これらの企業とその所有者の資産は、政府によって押収され、私たちの経済の変革に資金を供給するために使用されます。

エネルギー、食物、天然資源の浪費は、それが憎むべきものであると認識され、より良い生活の象徴として決して宣伝されることはありません。

政府は真に持続可能な都市と郊外のコミュニティの創造を監督し、生物多様性を確保するために野生地域の回復に着手します。それは、私たちの聖なる森と貴重な湿地を汚したモール、駐車場、工場、高速道路を破壊することを意味します。

3. 必要な手段で核兵器を排除する。

人類は前例のない核戦争のリスクに直面しており、「使用可能な」小型核兵器の推進によって状況はさらに酷くなっています。 私たちは、これらの危険な兵器を地球から排除することに全力を尽くしますが、そのプロセスは痛みを伴います。 私たちの子供たちのために、私たちはすべての核兵器を強制的に没収し、安全に処理します。それは米国から始まり、そして世界の他のすべての国々にまで拡張します。 私たちは、国内外の、政府内および政府外の献身的な市民グループと協力します。 核兵器の開発も停止する必要があります。

4. 多くの人が直面することを拒否した過去の国際的な科学的調査を開始する。

過去20年間、私たちを捕らえてきた否定の文化を振り払うまで、気候変動と核戦争の脅威に対処することはできません。 いわゆる「9/11」事件を含め、2000年の選挙後に少数の有力者が行った行動について、大胆不敵な調査を行わなければなりません。

国際的な「真実と和解」チームが科学的手法を採用し、市民と世界が見るべき真実の物語を明らかにしなければなりません。 調査の範囲に制限はありません。 ケースの深刻さを認めると、関連資料はすべて機密解除する必要があります。 また、あるグループだけを責める単純化された物語に満足する必要もありません。 オリエント急行殺人事件は解決可能な犯罪でした。

5. 米軍を撤収させ、国連をアップグレードします。

米国は世界中に配備された軍隊を撤収しなければなりません。軍隊はしばしば富裕層の利益のために遣え、兵企業で搾取されました。 私たちは真の国際安全保障のために戦い、死ぬ準備ができていなければなりませんが、国連憲章で定義されている最も厳しい意味でのみそうしなければなりません。 つまり、私たちの足の下の土を守り、海の純粋な水が毒されないことを保証し、無意味な戦争で戦うよりも、永久に森林を保護するために、貪欲の力との高貴な戦いで私たちの命を危険にさらす方が良いでしょう 。

国連は脆弱な惑星(地球)の未来を計画し、それを実行する主要な空間でなければなりません。 しかし、それは企業や裕福な個人の干渉なしに、地球の市民を代表する権限を与える完全な改革がなされた場合にのみ行うことができます。

6. 企業は人ではありません。金持ちは1票しか獲得できない。

企業は人間ではなく、政策の策定において果たす役割はありません。同じことが、超富裕層や意志を発揮する投資銀行にも当てはまります。政策立案者が必要とする情報は、利益を得る圧力をかけずに我が国の現状を客観的に評価できる公務員、教授、その他の専門家によって提供されなければなりません。

金持ちはただの人です。彼らには誰よりも多くの権利はありません。彼らは政策決定において特別な役割を持ってはならないのです。直接的または間接的にお金を使って政策に影響を与える人々は、汚職と贈収賄に従事しています。無害な「コンサルティング」および「ロビー」という用語を使用して、そのような犯罪性を隠しています。

政府が企業から独立を取り戻し、人々を保護するための厳格な規制システムを作成できるように、公務員に権限を与えなければなりません。私たちは以前にそれを行ったことがあり、再びそれを行うことができます。その過程で、銀行や通信およびエネルギー会社などの多くの企業が国有化され、公益として、利益ではなく公益を持っている公務員の有能なスタッフによって運営されます。そのような慣行は古代に先例があるため、イデオロギー的な装飾を必要としません。

7. 国民のための経済

経済的平等と財政の厳格な規制がなければ、民主主義は不可能です。私たちが眠っている間に、エリート派は何十年もの間、違法で不道徳な手段によって大きな富を生み出し、それを海外に蓄えてきました。私たちの市民のほとんどは、産業と政府のきらめく外観の後ろに広がっている腐敗を想像することさえ出来ません。

これらはすべて停止します。私たちは、FBIの支援を受けて国防総省を含む政府のすべての支部の完全な監査を実施し、恐れることなく前進する国税庁およびその他の政府局の何千人もの専門監査人に権限を与えます。議会とその全メンバーの完全な財務監査を要求します。また、行政部門全体と司法のすべての主要メンバーも監査されます。必要に応じて、数千人以上を解雇し、罰金を科し、投獄することを恐れません。

政府が国民の福祉に再び焦点を合わせたら、私たちは企業と超富裕層のために同じ調査作業を始めます。

淫らな富をもたらす人々は、違法なビジネス慣行と組み合わされた資本への不公平なアクセスを通じてそれを手に入れたことを忘れないでください。彼らの資産は、ジャーナリズム、政治、または教育を損なうために、これらの資金を使用できないように、規模を縮小する必要があります。これからの金融は高度に規制された分野であり、主に人々に説明責任のある政府機関によって監督されます。地域銀行は、地域経済のために市民が運営する協同組合に変身します。

8. 真の教育と調査ジャーナリズムを支援する。

私たちの社会が、社会の状態について批判的に考え、彼らの想像力に閉じ込められた無限の可能性を最大限に活用するために必要な質の高い教育へのアクセスを拒否された場合、政治は合法ではありません。彼らは、私たちの世代の複雑な問題を理解するために、若い頃から歴史と文学、哲学と科学を学ぶ必要があります。

すべての市民が平等に扱われる新しい教育システムを作成します。学校への資金は、地元の不動産税に結びつくことはありません。教師は社会のメンバーと同様に報酬を与えられます。誰もが積極的な市民になることを期待しているため、誰もが質の高い教育を受ける資格があります。

ジャーナリズムは教育の延長です。ジャーナリズムはセンセーショナルな出来事ではなく、本当の問題について市民に知らせ、物事の背後にある経済的および文化的現実について批判的に考える方法を彼らに教えるべきです。残念なことに、ジャーナリズムは、新聞、テレビ放送、インターネットの投稿に、天使たちにアピールするグロテスクな画像や単なるフレーズを詰め込んだ不名誉な汚泥へと退化しました。市民は客観的に考え、より良い社会を築くために協力することを学ぶべきであるのに対し、性的欲求を刺激したり、心のない消費を促進したりするゴミによって攻撃されるのです。

政府は真実の追求に専念し、市民が自分自身で考えることを奨励する、地方および全国レベルで独立した言論を支援しなければなりません。勇敢なジャーナリズム、まさに重大な社会問題についての調査ジャーナリズムは、再び若者の実行可能なキャリアにならなければなりません。

絵画、彫刻、デザイン、ドラマ、音楽、文学などの芸術は、市民の生活の一部でなければなりません。政府は、企業メディアが作成した光沢のある画像や口が上手いフレーズに頼ることなく、市民が芸術を通じて自分自身を表現し、自分たちの未来のビジョンを明確に述べる自信を与えるような活動を支援します。

芸術的表現を促進することで、若者は今日直面している、短期的な目先の喜びに導かれ社会に貢献する能力を奪ってしまう、平凡で操作的な文化から自由になり、彼らに自分の映画、新聞、絵画や写真を作る機会を与えます。また、その仕事に相応の賃金を支払えば、社会を変えることができるという自信を彼らに与えるでしょう。

9. 第13次の憲法改正と奴隷制の終焉

憲法の第13次改正は、奴隷制を明示的に禁止しています。 しかし、私たち市民の多くは馬鹿げた慣行によって借金を強いられており、工場や店舗で事実上、奴隷として働いています。 刑務所にも市民がいます。多くの場合、無罪で働き、愛する人と会う権利のためにお金を払わなければならず、企業に利益をもたらす目的のためだけに、無理やり働いています。 これらの卑劣な慣行は、例外なく13回目の改正の厳格な適用により終了します。

10. 貿易は生態学的で真に自由でなければなりません。

貿易は時に役立つ場合もありますが、今日行われている貿易は、貴重な生態系と人々に大きな損害を与えています。 貿易は、商品を作っている人や使う人のためではなく、少数の利益のために海を渡って商品を運ぶため、投資銀行によって管理されている恐ろしい煙を吐き出す巨大なコンテナ船の別の言葉になっています。

地元の産業や農場が「貿易」によって破壊され、市民が意志に反して輸入品に依存するようになることは、ポジティブではなく、国際化でもありません。

一緒になって、貿易の意味を完全に再考し、誰もがアクセスでき、地域社会のニーズを尊重する化石燃料無しの自由貿易システムを作成する必要があります。

11. 道徳的退廃はこの政治危機の核心にあります。

現在の危機はとりわけ精神的な危機です。 私たちは退廃と自己陶酔に深く陥りました。 彼らは最高の意図を持った人でさえ汚します。 謙虚、倹約、誠実さは私たちの語彙から消えました。 価値と品性の目に見えない内なる世界は、市民を汚物の受動的な消費者にする光景に置き換えられました。

自分の行動を制御し、正義と正義を要求できるコミュニティを形成できるようになるまで隣人を信頼し、子どもたちと率直に話し、共通の価値観を維持できるようになるまで、私たちは、我が国の支配権を握った力に立ち向かうことができません。

道徳的腐敗とは、「自由」と「正義」について語る人々の多くが、あまりにも多くの真実を話すことを避けて、隠密な支払いを喜んで受けることを意味します。 これも終了する必要があります。

12. 軍事インテリジェンス複合体の変革

制御不能な軍隊は、企業が私たちの税金を取り、外部レビューや科学的テスト無しに高価な武器の販売を通じて銀行口座に直接転送することを許しています。

自国のために喜んで人生を捧げる人々が必要です。これらの高貴な感情は皮肉な方向に向けられています。軍隊、およびそれを半影として取り巻く知能「コミュニティ」は、とりわけ気候変動の緩和と適応、および他の真の安全保障上の脅威に変換され、献身されなければなりません。兵士の勇気は、化石燃料の巨人とその不足者によるわが国の支配を終わらせるという危険な義務と、経済を変革する任務に向き直さなければなりません。兵隊の皆さん!エネルギー帝国に立ち向かうことが出来ないなら、どうして自分を勇敢と呼べるのですか?

「私たちの平和と繁栄に外国を巻き込む」危険性に関するジョージ・ワシントンの警告に違反して、私たちは数多くの秘密条約を開始しました。「インテリジェンスの共有」と「セキュリティ協力」と呼ばれ、1914年のような大災害に私たちを導いています。当時、恐ろしいドミノ効果は、世界を壊滅的な戦争に引きずり込んだ秘密条約によって引き起こされました。

NSAの低賃金の契約職のすべての人々、私たちの終わりのない電子メールを読む必要のあるすべての人々、あなたがたはすべて、不当な企業のために愚かなことで人々に嫌がらせをする必要がありました!本当に私はあなたがたに言いたいのです。「一緒に来て!鎖以外に失うものは何もありません!」

13. テクノロジーが市民に及ぼす危険な影響を阻止する。

企業メディアは、テクノロジーの飛躍的な進化をポジティブなものとして賞賛していますが、ほとんどの場合、そのような新しいテクノロジーに触れると、集中力、自分自身で考える力、社会の市民として機能する意識が失われます。テクノロジーは、短期刺激への中毒を誘発する手段としてますます使用されています。このような製品は一部の人々に利益をもたらしますが、ほとんどの市民はそのせいで米国が直面している危機の深刻さを理解できなくなります。

私たちは他者と交流したいので、他者と協力できる仕事が必要です。しかし、私たちが何をしようとしても、数多くの記録されたメッセージ、自動チェックアウト、そして企業利益を冷静に計算するスーパーコンピューターに遭遇します。私たちはデジタルの砂漠に完全に一人でいます。これは事故ではなく、企業が故意的に仕掛けた犯罪です。

テクノロジーを採用する前に、テクノロジーが社会に与える影響を批判的にレビューする必要があります。テクノロジーは非常に役立つ可能性がありますが、それは私たちの時代の真の課題を解決するために適用され、私たちを操作するために使用されていない場合に限ります。

地球と人類社会に対する科学的基盤による理解は、常に私たちの目標でなければなりません。私たちは時に、科学をテクノロジーと混同します。ポール・グッドマンがかつて書いたように、「新しい科学的研究に基づいているかどうかにかかわらず、技術は科学ではなく道徳哲学の一部です。」

14. 私たちを馬鹿にする反知的キャンペーンを停止する。

私たちの市民(米国国民)は、反知的感情を奨励し、世界について深く考えることを思いとどまらせる果てしないキャンペーンの対象となっています。私たちの文化におけるこれらの変化は自然ではありませんが、私たちを従順にするために隠れた力によって課されています。

私たちは、国の隅々まで知的活動のレベルを上げ、人々が自分で考え、独自の解決策を提案するよう奨励しなければなりません。読み、書き、討論はそのプロセスにとって重要であり、奨励されるべきです。市民は有名人によって提供された安易で空想的な意見に決して頼るべきではありません。

私たちは、広告会社や広報会社の有毒な森が市民を馬鹿にして、上からナルシシズム文化を押し付け、自己中心主義を促進することを許すことはできません。恐ろしいのは私たちがすでに受けた膨大な損害です。米国国民は、どのテレビチャンネルを見ても、どのモールに行っても、どのオフィスに勤めても、人を絶望させるような中身のない文化の荒れ地に直面しています。

これからの私たちの政権は、広告およびPR業界を厳格に管理して、市民のための言論を促進し、健全なコミュニティをサポートするような知的放送と新聞を育てます。市民は、生活の現実を科学的に説明する記事を読み、放送を見る権利があり、金持ちの贅沢な生活のモデルシーンとして持ちこたえるプログラムの対象とならないようにする必要があります。

15. 7世代のイロコイの原則を復活させる。成長と消費のカルトを終わらせる。

アメリカの賢明な原住民であるイロコイ族の憲法は合衆国憲法に深い影響を与えましたが、持続可能性への焦点は、米国建国の父たちによって悲劇的に見落とされていました。イロコイ族や他の先住民族の伝統は決して忘れてはなりません。イロコイ族の「第7世代」の原則は、現在の決定が将来7世代の子孫の生活にどのように影響するかを考慮することを要求しています。この原則は科学的かつ合理的であり、海洋、森林、草原は個人または企業に属する商品であり、個人の利益のために破壊される可能性があるという不合理な仮定とは著しく対照的です。

「第7世代」の原則は、私たちの経済的および文化的前提の完全な再評価の基礎として機能する修正として憲法に追加されなければなりません。

国民の幸福を評価するために、成長や消費のような狡い用語の使用をやめなければなりません。私たちはすべての市民の健康、環境の恵み、野生動植物の繁栄を一緒に考慮しなければなりません。

協力は私たちの生存に不可欠です。予算が単にお金への依存を助長するだけであれば、予算を通じて問題を解決することはできません。隣人同士が互いに助け合い、家族やコミュニティが自立できるように支援するためのシステムをセットアップできるように、市民間の物々交換システムを作る必要があります。

ある口座から別の口座に政府の資金を投入するだけでは国民の健康問題を解決できません。また、市民がお互いを気遣い、医学の基本知識、薬草療法、適切な運動を十分に学び、お金をまったく使わずに自分で多くの病気を治すことができるようにしなければなりません。

16. 人々のための農業と健康的で公正な食料経済

地球温暖化によってもたらされる温度の急激な上昇により、今後10年間で食料のコストが指数関数的に増加し、再び農業が生存のための最も重要な活動になります。 私たちはこの大惨事の準備を始めていません。 この破綻した産業農業システムを後にし、人々のための農業に戻らなければなりません。 土地は家族農場として使用するために、多数の市民に配布されなければなりません。 ここで嘆いたり非難したりすることはありません。 私たちの母なる地球から私たちに与えられた土壌と水は、決して企業に属している「もの・こと」ではありません。

農業の流通システム全体を規制し、それによって公平にする必要があります。 少数の人々が農産物の輸出で財産を稼ぐよりも、土壌や水を傷つけない方法で食料を生産することがはるかに重要です。 アメリカ人は持続可能な有機農業を受け入れなければなりません。

17. 憲法には共和党も民主党も記載されていない。

最近の大統領弾劾への動きは目紛しいお芝居に過ぎませんでした。それを冷静に見ることで、やはり現在の政治システムが憲法とは何の関係もないことが明らかになりました。ガバナンスは死に、政治は企業ロビイスト、投資銀行家、メディア評論家、そして彼らが仕える金持ちの間での乱闘になりました。メディアは、長い間ジャーナリストの良心を放棄していたので、アメリカの政治は、酔っぱらった聴衆のようにレスラーを煽るだけでした。

政策の策定と実施をめぐるすべての議論は、憲法で定められた官庁内で透明な方法で取り扱われなければなりません。しかし今日、政策は企業によって行われ、または不透明に政党内で議論され、露骨に違憲な方法で行われます。だまされてはいけません。民主党と共和党は憲法に記載されておらず、それらは私たちの市民の大多数を代表していません。

憲法によって規制されていない政党に政策に関する決定を委ねることは、犯罪および違憲の両方であり、慣行は中止されなければなりません。政党は、地元レベルの市民が集まり、意見を交換するのに適した場所です。現在の政党はこの基本的権利を認めておらず、独裁として運営されています。憲法は、これらの二者にガバナンスや政策の策定に役割を与えていません。

「外国人のものの見方」 孫崎享とエマニュエル・パストリッチのイベント

外国人のものの見方

孫崎享とエマニュエル・パストリッチ

孫崎享・元外務省国際情報局長とエマニュエル・パストリッチ・NGOアジアインスティチュート所長がジュンク堂でトーク!孫崎享氏「外国人のものの見方は極めて的確であって、簡潔に本質を突くというところがある」 2019.10.20

2019年10月19日(日)19時半より東京都豊島区のジュンク堂書店池袋本店にて、元外務省国際情報局局長で『日本国の正体』著者である孫崎享氏とアジアインスティチュート所長で『武器よさらば』著者エマニュエル・パストリッチ (Emanuel Pastreich) 氏による講演会「自著を語る『日本国の正体』(毎日新聞出版)VS『武器よさらば 地球温暖化の危機と憲法9条』(東方出版)」が開催された。

「武器よさらば」京都座談会 7月 15日6時

「武器よさらば」


エマニュエル・パストリッチさんとの座談会

時:2019年7月15日(月 )18時-20時
所:市民環境研究所
京都市左京区田中里ノ前21石川ビル305
075-711-4832

第6回左京フォーラム(2016年3月5日)で講演されたエマニュエル・パストリッチさんが「武器よさらば(地球温暖化の危機と憲法九条)」を7月25日に出版されます。(https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784862493712)。
それに先立ち、パストリッチさんとの座談会を開催します。東アジアの政治、地球温暖化、憲法九条という、我々に密接にかかわる問題を国際的な見地から日本語で論じます。

パストリッチさんの略歴:1964年にアメリカで生まれ、イエール大学、台湾国立大学、ソウル大学、東京大学、ハーバード大学などで学び、イリノイ大学、慶熙大学などで教員をし、現在は技術の社会に対する影響を研究する韓国のシンクタンク「アジアンインスティテュート」理事長、国際脳教育総合大学の副総長。東アジア古典文学および現代国際関係、科学技術[に関連した政策提案をしている。詳細は「https://ja.wikipedia.org/wiki/エマニュエル・パストリッチ

参加登録は下記の自動登録でお願いします。または松久まで。会場の都合で、最大20名です。

http://confreg.ate-mahoroba.jp/confreg?conf_idstr=UXwfzeXV1QZpdRYYDC6IydWx1055https://circlesandsquares.asia/2019/07/01/%e3%80%8c%e6%ad%a6%e5%99%a8%e3%82%88%e3%81%95%e3%82%89%e3%81%b0%e3%80%8d%e5%85%ac%e6%bc%94%ef%bc%a0%e4%ba%ac%e9%83%bd%e3%80%802019%e5%b9%b47%e6%9c%8815%e6%97%a5%e3%80%8018%e6%99%82%e3%80%80/

公演:「武器よさらば」2019年 7月 19日

公演:「武器よさらば;地球温暖化の危機と憲法九条」

エマニュエル・パストリッチ

(Emanuel Pastreich)

アジアインスティチュート 所長

2019 7 19日(金曜日)18:00 20:00

東洋大学、白山キャンパス、スカイホール(2号館16階)

東京都文京区白山52820(白山駅)

協賛: Extinction Rebellion Japan, The Asia Institute   

現在、アメリカのイラン攻撃により、世界大戦が始まる恐れが高まっていると懸念する政治学者は少なくない。また、軍事主義が染み込んでいるアメリカは日本に莫大な予算の武器購入を要求している。しかし、気候変動の驚くべき進み方を十分把握すれば、これから日本人が生き残るためには、すべての知恵、技術、そして財政を気候変動に適応させる必要があることが分かるはずである。危機が迫ってきている今、アメリカ出身の学者で長い歳月を経て日本古典文学を研究してきたエマニュエル・パストリッチ (Emanuel Pastreich) 教授によれば、日本が孕んでいる深刻な矛盾を指摘し、政治家が足かせとみなしている「平和憲法」にその解決を見つけている。そして、かえってアメリカが日本に倣って、いち早く「平和憲法」を導入すべきであるという。エマニュエル・パストリッチ (Emanuel Pastreich) 氏は   アジアインスティチュート (The Asia Institute) の所長として、日本、韓国、中国とベトナムで国際平和と地球環境のための国際協力を推進してきた学者である。東京大学の比較文学研究室で修士号を、ハーバード大学で博士号を取得して、アメリカと韓国において東アジアの比較文学の教授として教鞭をとってきた。

朝鮮半島の光と影

  朝鮮半島の光と影

エマニュエル・パストリッチ

2019年 2月 25日

Circles and Squares

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朝鮮半島の衛星写真を見ると北朝鮮の夜は暗い。一方、日本や韓国の夜は人工光で明るく照らされている。アメリカの多くの専門家らはこの様な違いについて、北朝鮮が開発途上国であるからだと主張する。これは即ち、北朝鮮の偏っていて抑圧的で、哀れむほど立ち遅れた体制の結果だと言うのである。明らかな点は、明るく照らされた韓国は発展、先端技術、民主主義そして自由市場のモデルであるということです。韓国は発展と民主主義の光を得たところであり、北朝鮮は独裁や無知の暗闇に満ちたところという説明は、朝鮮半島の衛星写真を見る世界の人々の頭の中に自然と吸収され、美的にも完璧な写真であるかのように記録されている。

朝鮮半島の衛星写真に関するこの様な態度は、韓国の政治家や学者、言論人の間でも革新と保守に関わらず大きな差は無いように感じる。韓国の革新派の政治家たちは、北朝鮮との協力を通して開城工業団地のようなプロジェクトに対し更なる投資を行い、北朝鮮の住民たちに雇用の機会を提供するべきだと主張している。また、韓国は北朝鮮の安価な労働力と豊富な天然資源などで利益を得るべきだと主張している。更に、韓国の保守派は、北朝鮮は独裁国家であり韓国を武力によって脅かしている為、信頼できないと主張している。彼らは、北朝鮮がまず国際社会に完全に門戸を開放し、全ての核施設に対する完全な査察を受け入れるべきだと言う。

韓国の革新派と保守派の想定は根本的に違わない。両者とも、韓国は更に発展を遂げ、その増え続ける国内総生産(GDP)の恩恵を北朝鮮も享受しながら、自動車に乗り、テレビやスマートフォンを持ち、広い家に住んで世界的にヒットしたK-popを制作するべきだとしている。現在のように閉鎖的で抑圧的な北朝鮮の政府が理想モデルだと主張していることには呆れるが、それと同時に北朝鮮が韓国のように変わるべきだという主張に対して、私は安易に同意することは出来ない。何故なら私は12年間、韓国に住みながら韓国の深刻な問題を目撃してきた為だ。

高い自殺率、汚染された空気、学校での容赦ない競争、若者たちが感じる疎外感、輸入食品や輸入燃料への過度な依存、そしておびただしい数の貧困高齢者のような問題は、韓国全域に深い影を落としている。これは、朝鮮半島の衛星写真では写すことの出来なかった韓国の姿である。

韓国と北朝鮮について話す時、朝鮮半島を人工衛星のように高い所からではなく底辺から徹底して観る必要がある。私は北朝鮮を訪問したことのある多くの韓国人から平壌で暮らす市民の姿を見た時の印象を聞いた。平壌の小さな野菜市場やホテルの素朴な造りを見た韓国の人々は、そこから飾り気の無さを感じ、韓国では既に消えてしまった何か大切なものがそこには残っていると感じたという。北朝鮮の女性たちは、韓国のような贅沢は出来なくても、化粧をしたり、消費競争のプレッシャーを感じているようには見えなかったと言う。平壌ではブランド衣類への需要が無い。携帯電話中毒の青少年たち、必要もないものを見せつけて買わせる多くの広告も平壌には無い。その代わり北朝鮮には1960年から70年代まで韓国に存在した韓国社会の様々な文化、例えば人と人の絆の様なものが残っているように思えた。

北朝鮮について議論する時、韓国のメディアや専門家らが見逃している重大な問題が更にある。メディアでいわゆる「専門家」によって行われている北朝鮮関連の全ての議論は、経済成長、国内総生産(GDP)、生活水準、生産など、基本的に消費関連の問題について言及している。この様な基準で見ると北朝鮮は、先進国、特に韓国と比べると非常に立ち遅れている。つまり韓国は北朝鮮が「現代の先進国」になる方法を教える兄になれると言う事を意味する。しかし、この様な全ての用語は本質的にイデオロギー的で主観的である。韓国でのこの様な思い込みは、資源を浪費することが肯定的で積極的に奨励されるべきだという考えに基づいている。また更に、大きくて必要以上に暖房が効いている家に住み、自動車やスマートフォンを所有することが発展だとしている。

しかしこの思い込みの根幹となる科学的な根拠は全くない。それらは月に祈れば雨が降る、またはヒルを使って血を吸えば重い病が治ると言うことくらい空虚な話である。

実際に研究結果を見ると、消費に焦点を合わせた行動パターンは深い疎外感や自殺率、薬物乱用の増加を含む社会全般に渡る深刻で破壊的な影響を及ぼすとされている。即ち北朝鮮が進むべき方向と韓国が成功を収めたことに対する仮説は、イデオロギーや根拠のないものや近代的な神話に基づいている。それに伴う結果として韓国の人々は、そのような仮説によって挫折感や過度なストレスを感じているにも関わらず、自分たちが成功したと確信している。

朝鮮半島の夜を写した衛星写真は、実際には朝鮮半島の光と影が完全に伏せられた状態の全く異なる別の姿を説明している。イデオロギーに支配された感情を無くし、客観的で科学的な分析を重視する専門家らの間では、人類が地球温暖化(気候変動)により前例のない危機に直面していると警鐘を鳴らす。現在の地球温暖化の速度を踏まえると、地球の生命体の滅亡を避けられないと言う意見が根強い。

気候変動による災いやその結果によって既に一部では滅亡が始まっていると言う多くの報告書や書籍が出ており、それは朝鮮半島も例外ではない。現在、ソウルでは12月まで蚊が生存し、また1月には花が咲いているのを我々は目の当たりにしている。この様な現象は急速に進んでおり、今後、韓(朝鮮)民族の生活を脅かしかねない。

気候変動がこの様な速度で進んでいるのを放置する場合、魚介類が滅亡するほど朝鮮半島の沖合の海水温度が上がり酸性化し、砂漠が拡大するだろう。輸入食品と化石燃料製品の輸出依存度が高い韓国は、絶望的な状況に陥るだろう。

それでは、統一朝鮮半島はどのような選択をするべきだろうか。答えは明確である。エネルギー消費や節約面において北朝鮮に定着している方法を模索する必要がある。

人類は数万年の間、夜は暗くなくてはならず、エネルギー消費を減らす生活方法を維持してきた。その様な方法に基づきマンションなど建物の不必要な照明は無くし、ネオンサインのような商業用の建物の電気掲示板を使用せず、内部の暖房を大きく減らす一方、高い天井やコンクリート、ガラスや鋼鉄、外観などの建物の無駄なデザインを中断すべきである。それを通じて長い間、韓国歴史で維持されてきた質素でシンプルな伝統に戻らなければならない。

韓国の夜は、もっと暗くなるべきだ。韓国の都市を照らすためには政府の補助金が支給されている化石燃料の使用が大きな役割を果している。これは、恐ろしい大気汚染や過渡の燃料輸入費用を発生させる一方、私たちの子どもたちの未来を脅かす地球温暖化を進めるなど、莫大な費用が掛かると言う事を認識しなければならない。

しかし、より深くて隠された秘密がある。これまで韓国は多くの「開発途上国」とは違い、近代化と発展を成し遂げ特別だと認められるためには、更なる消費を通じて成長し続け発展しなければならないという神話に洗脳されてきた。そのため、数代にわたって近代化が最優先順位として考えられてきた。しかし、化石燃料を消費し天然資源を浪費することが、生態系を破壊し子どもたちを苦しめているとしたら、その近代化というのは一体何であろうか。

北朝鮮には、かなり深刻な多くの課題があるが、気候変動に対処する解決策と言う面で見る時、韓国は北朝鮮の「低い消費」をベンチマーキングする必要がある。私の話が可笑しく、途方もない話にすら聞こえるかもしれない。

しかし気候変動によって滅亡の危機に晒されるとしたら、この様な経済成長の数値に何の意味があると言うのだろう。韓国で夜通し灯を灯す多くの電灯は、発展を象徴するのではなく我々の子どもたちが将来使うべき電力を奪う犯罪であり、闇に満ちた偽善的な光に他ならない。韓国政府は、化石燃料の補助金支給を直ちに中断すべきである。

考えてみよう。今より少し暗い夜を過ごしながら家族や友人たちと会話を楽しんだり、読書したり、手紙やエッセイを書いて森を歩いたりしながら過ごすことは出来ないのだろうか。日常生活の中で演劇や音楽公演をしながら無限に広がる深い意味を見出し、スピリチュアルな経験をすることも出来る。スマートフォンのジャングルとスターバックスという檻で使用するプラスチック製のコップを無くすことが出来るならば、韓国の市民は遥かに豊かな生活を発見することが出来るはずだ。その様な生活の在り方に関するヒントは、もしかすると反対に北朝鮮の暗闇の夜景社会から見出すことが出来るかもしれない。

統一朝鮮半島の未来について考える時、近代的で発展したものだけが最高だという危険な考えから打破する必要がある。我々は、人になるという事が何を意味するのか自問するべきである。どのように意味があり充実した生活を送りながら社会に貢献することが出来るだろうか。

私は北朝鮮の住民が今より自由に生活し、今より栄養のある食べ物が食べられることを願っている。

しかし、一時、市民たちに経済的な独立性を享受させた家族経営の店を潰しながら支配してきた韓国式コンビニでは、消費主義が染み付いた食べ物ばかりを供給するだろう。未来の子どもたちが享受すべき豊かさから奪い去ったものを消費して暮らすことが統一朝鮮半島の理想的な食卓の風景だと言えるのだろうか。

それと同時に私は、韓国の人々が分別なく消費するよう束縛し(世界中のほとんどの国家とは反対に)石炭の消費を増やすよう強調してきた見えない鎖から解放されることによって、終わりなき競争を強制する残酷な文化によって友人や家族から疎外感を強く感じる現象が無くなることを願っている。

自由は、政治体制だけに留まった用語であってはならない。スマートフォンを所有するという自由を得た代わりに、スマートフォンなしに暮らせない物質の奴隷の様に転落したのが韓国人だ。韓国の市民たちが北朝鮮の人たちと比べて自由だと誰が言えるだろうか。

統一に向かう動きは、韓国と北朝鮮の全ての人々の自由に関するものでなければならない。北朝鮮の人々だけが質的な生活の自由を享受する資格があるとするならば、それはなんて不公平な事なのだろうか。

「朝鮮半島の統一」についての小考 エマニュエル・パストリッチ

「朝鮮半島の統一」についての小考

2019年 2月 1日

エマニュエル・パストリッチ

今までの朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の将来についての議論は、以下の二者択一的な議論だけに終始して来た。つまり、一方で、北朝鮮との協力を拡大し、それによって投資、事業活動、輸送ネットワーク、電力網およびエネルギー協力を増大させることを好む人たちと、他方で、北朝鮮はまだ完全な非核化を達成できていないだけではなく、先進国とは異なり、民主主義と自由市場、国境の開放を容認していない全体主義国家であるため、国際社会の信頼を得ることができないと感じる人たちとの間の闘いである。この単純化した議論は昨年メディアを埋め尽くした。メディアが提示するものを超えた問題に関する市民の議論がほとんど崩壊状況であったために、このような議論がかなり幅を利かせていた。

もはや、韓国で1970年代や1980年代のように、仁寺洞の喫茶店に集まって禁書について議論していた反対派と学生を見つけることはできない。NGOの集まりの定期的な討論はもちろん、家庭で夕食を食べながら、学校で友達と、または喫茶店で、政策、環境、または国の将来について議論していた姿さえ消えてしまった。携帯電話を通して愉快で無害な情報を受信することが受動的な人々の日常となった。

マスコミが特定の政策を「進歩」または「保守」と規定すれば、大多数の人々は、メディアの判断をそのまま受け入れる。プリンストン大学シェルドン・ウォルリン(Sheldon Wolin)教授が「逆さまの全体主義(inverted totalitarianism)」と呼んでいるものとは、商業メディアや広告主の圧力などの隠された力によって、日常的な問題の言説が厳しく制限されている政治的な状況で、服従を強要する独裁者がいなくても、全体主義的システムが定着する。利益を追求する企業の力は、私たちの時代の最も重要な問題を自然に無視する風土を作り上げた。一例として、我々はもはや本を読まない。 10分以上集中できない人が多い。商業メディアは情報取得の場となり、ソーシャルメディアは猫とデザートの写真を提示したり、時折、商業メディアが作り出したイメージを披露するだけである。

韓国社会が共同の問題についての議論を失ったということは、私たちのメディアが、地域経済の崩壊、外資系投資銀行の過剰な影響力、気候変動とそれによる微細粉塵の災害、米国内の一部勢力が夢見る世界大戦などの深刻な問題を言及しないことを意味している。この限られた国内の議論は、南北関係の発展がどのように映し出され、統一は正確に何を意味し、統一をどのように導くかについて莫大な影響力を与えている。例えば、メディアが文在寅大統領とキム・ジョンウン委員長が抱擁する写真を見せてくれれば、南北がDMZ両側から武器を除去するために軍事的に協力したというニュースや、平壌の立派な建物が登場する場面などが肯定的に感じられるようになる。

内容自体はすべて肯定的である。ただし、これを説明する過程で、世界と断絶、閉鎖された封建 – 社会主義国家に生きなければならなかった北朝鮮の住民が今では消費社会の喜びを享受し、はるかに裕福な韓国の兄弟姉妹のように楽しみながら生きることができるようになることを暗に述べている。しかし、韓国も楽園ではない。韓国はかなりの社会的、文化的、経済的な力を持っているが、その中で多くの人々が深い疎外感を感じ、これにより高い自殺率、日常的な自己虐待と他人虐待を招いている。強欲な雇用システムも外せない。現在、韓国では若者たちが苦労して仕事を探すも、社会に奉仕し、高度な訓練を受けることが出来たり、真の人生の決定を下すことができる機会はおろか、コーヒーショップやコンビニで働くことになる場合が多い。生活のあらゆる側面が利益を追求するショーに変質し、人々はこれに疲れてしまった。

さらに、韓国と米国が北朝鮮を貧困と孤立から救うために提示する「民主主義と市場経済」は、全世界的に力を失っている。米国と日本、韓国、欧州で1930年代と1940年代の社会主義の挑戦に対抗して進化した修正資本主義は、さらに貪欲な形で、1990年代より1890年代に近い姿に後退した。今のフランスの葛藤を参考にすると、これらの矛盾がさらにはっきりと、韓国と他の国が今後経験する状況を垣間見ることができる。

今日、いわゆる「先進経済」では市場は小さな役割しか果たしていない。スーパーリッチ層が経済活動を独占して、その階層のメンバーであれば、いくらでもお金を借りて投資することができる経済的封建主義を確立した。一方、大多数の市民は非常に限られた高金利融資のみが許可されるだけである。メディアはこのように、民間銀行と資本が悪夢のような世界を作り出す過程を説明せず、政策決定の背後にある真の意思決定者が誰なのかも曖昧のままである。

マスコミが北朝鮮に導入される巨大な市場経済を語るまさにその瞬間、市場経済は、韓国、フランス、または米国で消滅している。ピーター・フィリップス(Peter Phillip)が熟考の研究を通じて発行した著書「ジャイアント:グローバルパワーエリート(Giants:The Global Power Elite)」で描写するように、スーパーリッチ層とその補助者は現在、お互いの株式を購入して、低金利のお金を貸すようにお互いを保護する彼らだけの社会を構成している。これに対し、一般人は低賃金の仕事であっても掴むために残酷な競争を続けなければならない。この搾取型システムは、「第4次産業革命」の産物である。第4次産業革命の時代には、(グローバル機関投資家の意志ではなく、ただ、天の意に沿って)技術により、労働者の地位が大きく脅かされるものと言われている。

次に、メディアがこのようにがむしゃらに対北包容政策と新たな協力の時代を報道する場合に、密かに隠している問題は何であろうか?何よりも私たちは、誰が何に、なぜお金を与え、それによって誰がどんな利益を得るのかなど、厄介な裏話は一つも聞けずにいる。韓国と北朝鮮の間に鉄道が置かれた場合、北朝鮮で韓国まで石油や天然ガスの輸送管が接続された場合、その輸送管とその石油は誰の所有なのか、石油をどのように売り、その収益金はどのように分配されるか、その輸送管を設置するために税金が使われる場合、納税者もその収益金を一定部分取り戻すことができるのかなど、私たちが知るのは当然である。

ところで、私たちは、企業がどのような契約を議論しているかどうか、または、韓国政府が北朝鮮とどのような交渉を進めているのかについて、それこそ無知である。今この時期には透明性が特に重要である。鉱山や工場が政府に属する政府主導型のシステムが、一介の企業や個人が鉱山などの資源の絶対的統制力を持つ資本主導型システムに変わる場合には、悲劇的な結果を生む可能性があるからである。例えば韓国と北朝鮮に大きな貧困、より大きな富の集中をもたらすかも知れない。いくつかの多国籍銀行、いくつかの政府系ファンドがどのような条件下で、北朝鮮に投資する可能性があるのかを知っていることが望ましいであろう。この投資家が合意を履行していない時に、北朝鮮や韓国の住民を保護する装置は何なのか、署名された(または署名する)契約を一般大衆に公開するかどうかなどを把握するのが良い。

北朝鮮に工場を建てる計画がある場合、次の質問をしてみなければならない。誰が工場にお金を出すのか、収益金は誰の元に行くのか、誰が工場を所有するのか、その工場の労働者が持つ権利は何であり、彼らは収益金のどの程度を受け取るのか、これらの労働者の健康を保護するために、または、環境に及ぼす植物の影響を評価するためにどのような手順を実行するのか? 北朝鮮は石炭、金、鉄、レアメタルを採掘することの環境への影響を評価する専門知識がないため、専門家やNGOが、これらの評価プロセスに必ず参加しなければならない。ところが、今、これらの機構は、北朝鮮訪問ビザすら受けることができない。

一方、韓国と日本、中国、米国はベトナムやミャンマーで起こったことに大きな関心を持たなかった。今後、北朝鮮も、ベトナム、ミャンマーと似たような前轍を踏む可能性がある。私たちは、企業がベトナムの国有化資産を開発した時に、普通のベトナムの人たちにどのような影響を及ぼすのかを考えなかった。これまでベトナムは繁栄して来たと聞いているが、これは正確な説明なのか?そして工業化は、ベトナムの環境や一般労働者にも肯定的な影響を及ぼしたのか?

私たちは通常、安く買って着たら捨ててしまう服、簡単に消費する格安プラスチック、ゴミ箱に捨ててしまう格安スマートフォン、スピーカー、サングラスなどの隠された環境破壊、労働者の被害、またはその他の長期的な費用についての議論はおろか、考えさえしない。正直に言うと、私たちは、この消費社会の中で、ものに隠された本当のコストを正しく判断することができなくなった。これこそ統一時代の深刻な問題である。

これから私たちは、北朝鮮を通して忘れていた現実に再び直面することになるであろう。北朝鮮に20〜30個の石炭火力発電所を建設すると、これは生態系の災害であると同時に、地球温暖化を煽るものであり、すでに危険なソウルの大気の状態を致命的なレベルまでにしてしまうであろう。北朝鮮が利益を追求するために新たに作る工場から出る汚染物質を適切に規制しない場合には、韓国はそのような汚染から自由でないばかりでなく、韓国の工場も北朝鮮の先例に従ってしまうことは明らかである。

北朝鮮のお粗末な賃金と粗末な環境保護は既に大気汚染に苦しむ韓国の中で急速に広がってしまうことを忘れてはならない。北朝鮮の労働者が団結権などの労働者の権利を全く享受できない場合には、韓国企業はこのモデルに沿って、韓国内の労働者を搾取することになる可能性が高い。つまり、私たちは、北朝鮮が市場を開放すれば、韓国のように自由で、幸せで、豊かになるという根拠のない信頼に陥っているが、現在の開発モデルでは、韓国人でさえ自由と幸福と富を失っているのが実状である。あるいは、投資銀行や企業が現在構想している北朝鮮の経済開発計画は、初めから北朝鮮の住民を支援するためのものではないのかも知れない。北朝鮮においても、モンゴルやベトナムの開発で行ったように、ただ収益を考えるだけで、人のための考慮は全くない計画を構想しているかも知れない。

富の集中は、統一の困難を解決するために私たちが考えるべき問題の中で、気候変動の次に重要な問題である。世界的に少数の人たちにだけ富が集中する現象が増加しており、特に韓国と中国でこのような現象が目立つ。この富の集中化は、法の支配を損ない、腐敗したメディアのパッケージの中に、スーパーリッチの贅沢、浪費、華やかさに憧れて強要する文化を創造してしまう。主流メディアの論調によると、北朝鮮は貧しく、南北の経済に大きな格差が存在する。一般的な経済用語に基づいてみると、紛れもない事実でもある。しかし、すでに韓国に定着した北朝鮮の人々の中には韓国生活における自己中心性、競争、他人に対する無関心などに耐えられず、北に戻ることを希望する人もいる。北朝鮮を訪問する多くの韓国人が商業化と競争する文化ではなく、芸術や体操、執筆の目的自体を大切にする文化に大きな感動を感じている。

より大きな問題がある。トマ・ピケティ(Thomas Piketty)が「21世紀の資本論(Capital in the Twenty-F​​irst Century)」で説明したように、少数の手に、より多くの富が集中されるようになると、朝鮮半島の分断は、貧しい北朝鮮と豊かに暮らす韓国との間の分断ではなく、韓国と北朝鮮の平凡な市民はより貧しくなり、ごく少数の選ばれた者だけがスーパーリッチになるという分断になる可能性が大きい。現在、韓国と北朝鮮の間に存在する巨大な格差を否定しようとするものではない。ただ、富の集中による経済的歪みがはるかに深刻であることを指摘したい。

このような傾向は、朝鮮半島は現在、別の問題を解決しなければならず、現状では北朝鮮で「漢江の奇跡」を再現する可能性がないことを示唆している。今後、物質的な発展よりも社会経済的な正義がより重要な問題になるであろう。

統一のための努力は、経済システムが一般人に与える悪影響についても、必ず意味のある回答を出すことができなければならない。現在の経済システムでは、全世界の貿易航路に沿って手頃な価格の物品運送システムが奨励され、大企業だけが唯一合理的な金融を享受することができるために、地域経済が脅かされている。大韓民国では開放経済の失敗で、町のお店、町工場、町の薬局、町のパン屋が廃業したのに対して、スターバックスとコンビニ、フランチャイズベーカリー、他の大企業が進出した事業が繁栄した。大企業は安価な金融を利用して数年間続く損失に耐えることができ、結果的に家族が経営する中小企業を追い出す。ところが、このようなフランチャイズで働く従業員は、長期雇用や適切な退職と健康保険を保障されない。従業員は、経営と金融の意思決定にどのような役割も果たすことができず、働いている支店を所有する権利もない。

一時どこにでも見ることができたが、今ますます破産の危機に追い込まれている小規模店にとっては大打撃だ。このような経済学を北朝鮮に導入するつもりであれば、北朝鮮はまだチャンスがある時に拒絶しなければならない。北朝鮮に最も重要な問題は、最終的には20年後または50年後に国家としてどのような姿になるのかであって、すぐにビデオゲームやK-Popアイドルを紹介して住民を熱狂させることではない。

「統一」とは何か?

統一の究極的な意味について混乱するのは、曖昧で誤解の余地があるように私たちの統一を1990年のドイツ統一と比較するためである。夜遅くまで焼酎を飲みながら外国人たちと話す時には、このおとぎ話のような比較が人気であるが、いつもお決まりの話になる。東ドイツは常に西ドイツの経済発展について行けなかったし、統一後に東ドイツの人々の生活が改善された結果、ドイツはさらに繁栄する大国になったというのがそれである。また、韓国もドイツのように統一から利益を得ることができるが、東と西ドイツの間の所得と産業発展の格差は北朝鮮と韓国ほど大きくなかったので、朝鮮半島の統一は、より長い時間にわたって進めなければならないというものだ。

南北の所得と産業発展の格差は長い統一の過程で、北朝鮮の労働者を安い賃金で搾取する韓国企業と多国籍企業の言い訳に利用されるであろう。しかし、北朝鮮の労働者が適切に報酬を受けず、専門知識を蓄積したり、賃金を節約していなければ、そのプロセスは、北朝鮮の住民たちを豊かにするより、すべての人の生活水準を落とす公算が大きい。北朝鮮の労働者が少ない給料をファストフードや携帯電話に使うのなら、彼らの生活はさらに悪化するだけである。

それでは、韓国は過去数十年間、どのようにして経済的繁栄を享受できるようになったのか?そうなるまでの過程は「漢江の奇跡」、その中でも「奇跡」という言葉に隠されている。韓国の繁栄は多くの相反する事柄の結果ではあるが「奇跡」ではない。韓国の経済成長は、部分的に朴正煕大統領の急激な工業化計画の結果であった。振り返ってみると、韓国が化石燃料や輸入農産物に大きく依存するようになった急速な工業化は、今はそれほど祝福のようには思えないが、彼の政策が効果的であったという点一つだけは認めなければならない。

朴正煕大統領は「満州開発モデル」を効果的に活用して開発速度を高め、すべての市民がまるで巨大な軍隊の一部であるかのように国家事業に参加するようにした。しかし、こんなに早く工業化を達成できた秘訣は、政府が外資系銀行や大企業から資本の管理を奪い、長期的発展モデルをイデオロギー的にコミットしている政府官僚の管理下に置いたことであった。当時、朴正煕政権は、国民の海外送金を全面的に制限し、国民が貯蓄を介して(政府キャンペーンでは貯蓄を奨励)政府主導の貯蓄計画に参加、開発に資金を出すようにした。また、韓国に流入される資本を政府が統制して、産業と技術の育成、インフラ開発、教育に集中するようにした。この方法は、現在、北朝鮮において計画されている形態の短期的な投機目的には向いていないであろう。

朴正煕のアプローチには、長所と短所が共存している。韓国政府と企業が北朝鮮の発展のために、そのようなモデルを考慮していないということだけは確かである。これまで、長期プロジェクトを通じて北朝鮮の教育レベルがどのように上がるのか、または北朝鮮の市民社会をどのように育成するのか、緑地をどのように構成するのかについてどのような話も聞けなかった。北朝鮮の次世代知識層を育てる必要性についても一言もなかった。韓国では既に知識人たちを使い捨てのように扱っているので、そのようになるのかも知れない。複合企業体が北朝鮮の発展について議論しているという事実自体が大きな利益相反である。結局、これら大企業はそもそも短期的な利益だけに集中するので、北朝鮮の将来を計画するにあたって何の役割も果たすことができない。北朝鮮の開発についての議論は、利益相反がなく、倫理的なガバナンスに専念することができる政府官僚や専門家に限定するのが正しい。

再び1990年のドイツ統一の話に戻ろう。相当の昔に、相当遠くで起きた出来事である。当時、西欧の経済体制と工業生産ははるかに広い富の分配をしていた。労働組合と政府の規制で、今日、私たちが(国内外で)目撃する労働者の搾取は不可能であった。共産党によって強制された経済チェックのために、富の集中を最近のように過激にはできなかった。資本主義の勝利として1990年のドイツの統一が評されたのは、むしろ官僚主義的社会主義に対して、しっかりとした社会福祉国家の強みを示したことに対するものであった。しかし、もし急進的または革命的社会主義に専念する反対派の絶え間ない圧力と批判がなければ、ドイツで(またはフランスとスカンジナビア半島から)そのような社会福祉国家が誕生していなかったのだ。つまり、1990年に勝利した資本主義は修正された、希釈された資本主義であった。

共産党からの批判がなくなったということは、今後30年間の世界が破壊的な形で展開することを意味していた。少数の人たちが資本を独占して市民に空虚な消費文化を強要する悪夢のような世界と、急激な気候変動の登場は無関係ではない。残念ながら、マスコミは消極的ながらも気候変動を報道しながら、それが遠い未来のことのように思わせた。科学の専門家たちが残り時間が少ないと叫ぶ中でもである。気候変動への対応は、統一政策の中心にならなければならない。しかし、韓国政府と企業は、北朝鮮において数十年は環境問題がないように開発を継続できると呑気な仮定をしている。これ自体が危険な詐欺だが、韓国や東南アジアでの石炭の使用を奨励することよりはマシである。

分断の朝鮮半島、特に北朝鮮が冷戦の最後の残滓ということも根拠のない信仰の一つである。北朝鮮は本当に、自由な開放市場、自由な意見交換、民主的なプロセスを通じた個人の潜在能力の実現を原動力とする新たな世界秩序の傍を彷徨う古い社会主義の最後の残滓なのか?今日パリの道の上でフランス政府と戦う人々は世界をそのように見ていないのは確実である。自然環境を破壊して、伝統的な農家を貧困に追い込む巨大企業型農業と戦う人々は西欧世界でパラダイスを発見できなかった。もちろん、北朝鮮が腐敗の沼に嵌って国民を抑圧し、あまりにも長い間、間違った道を歩んで来たのは事実である。しかし、私たちは、北朝鮮のこのような問題を解決する道が、シンクタンクを介して政府に政策を強要する無慈悲な多国籍銀行から出てこないことは分かっている。

朝鮮半島の悲劇的な分断の最も強力な象徴でもある非武装地帯、すなわちDMZを考えてみよ。年配の世代にDMZは、社会主義と資本主義の世界、国による経済的統制社会と民主的で自由な社会との間の悲痛な分裂を意味する。彼らにDMZは、ヨーロッパなどでは既に克服された個人の痛みと過去の分裂を称える記念碑である。DMZは、インターネットと共に国境が消える時代にも、過去30年間の自由貿易と自由観光によって世界が統合した今でも、奇妙な姿で残っている。より適切にDMZを表現することは出来ないであろう。

DMZを他の視点から眺めることは出来ないのであろうか?若い世代にDMZが何なのか聞いてみると、彼らはDMZを過去の残滓ではなく、むしろ来るべき何かの前兆であると言うかも知れない。すなわち資本と商品、スーパーリッチは自由にどこにでも行くことができるが、一般人の移動は制限される将来の前兆だと。

私たちは、パレスチナのガザ地区を囲んでいる壁、米国とメキシコの間にドナルド・トランプが建設中の巨大な壁でDMZの末裔に会うことができる。これらの壁は、貧しい者を遮断し、武力を使ってグローバル投資が引き起こした経済的葛藤を解決する。

私たちのすぐそばにも壁がある。裕福な人々が住んでいるゲートコミュニティを囲む壁、快適な生活を楽しんでいる人たちが自分たちと同じでない人たちと交わることを回避できるように積み上げる壁である。これは韓国だけでなく、私たちの社会のあらゆる場所の急進的な分裂が、偏狭な利害関係を共有するための小さな集団に細分化されていることを示唆している。

統一政策の隠された先例

統一プロジェクトをさらに深く掘り下げるために、統一計画を策定している韓国政府と企業の潜在意識の中に、正確にどのような統一モデルがあるのかを考えてみる必要がある。もちろん、彼らはドイツの統一を話すかも知れないが、ドイツの統一過程は、朝鮮半島の歴史や韓国人の本能的な反応とは距離が遠い。

朝鮮半島は過去にも、経済的、政治的、社会的統一を成し遂げたことがある。新羅や高麗時代にも統一されたが、時間上あまりに遠い過去であるため、韓国人の心に直接的な影響を与えなかった。ただし、影響はないとしても、韓国の人々の意識の中に隠されていること、韓国人たちが経済発展と統一についての考え方を形成したものは何であろうか?

比較的最近に大規模な経済的、政治的統一プロジェクトの先例があった。1936年、日本人の朝鮮総督によって締結された「第1次満州 – 朝鮮協力協定(第一次満朝協定)」である。この協定は、満州と朝鮮の両方の迅速な工業化と効果的な経済文化の統一のために「満州と朝鮮は一つ(満朝一如)」と呼ばれるビジョンに始動をかけた。1930年代後半の朝鮮の新聞は、朝鮮企業は安い満州労働力を活用して、満州の天然資源(石炭、鉱物、肥沃な土壌)を用いて迅速に富を生み出すことができる巨大な機会を得たと報道することに忙しかった。

2014年に朴槿恵前大統領(当時大統領)が北朝鮮との統一は「大当たり(bonanza)」としたとき、彼女が使用した「大当たり」という言葉がちょっと不思議に感じられた。事実、その言葉は1930年代に満州が提供した経済的機会を説明するために頻繁に用いられた「一攫千金」の表現を現代風に直訳したものである。朴前大統領が1930年代の朝鮮と満州の政治経済的統合を考えてそのような言葉を使ったのではなかっただろうが、朝鮮と満州が統合された過程を通じて、多くの朝鮮の家が今日まで続く富を得た。その言葉は微妙ではあるが明確な響きがあったのであろう。おそらく彼女の無意識の中にそのような概念が内在していたようだ。

朴前大統領は、自分の父である朴正煕元大統領から政治と経済を学び、父が野心的な若者として経済ブームに乗って満州に行って権力を得たことに注目したのである。19世紀の多くのアメリカ人が「Go West」という致命的な誘惑に駆られたように、1930年代の朝鮮人たちも、1930年代の満州という広い土地に走って行った。今韓国人たちに北朝鮮の開発がどのように写っているのか、そして1930年代満州の開発がどのように人々の心を引き付けたのかを見ると、驚くほどに類似している。

しかし、今回だけはあの悲劇的な道をたどる必要はない。私たちには自分の道を探して、搾取や大規模な資本投資に依存しなくても、朝鮮半島と北東アジアの新しい開発モデルを作ることができる能力がある。

統一は市民運動でなければならない。それは、資本家の収益を気にせず、個人の可能性を完全に実現できるようにする人々の間の取引でなければならない。統一は、市民がビジョンを表現し、それを実現できるように、文化と表現を活性化させる文化的運動でなければならない。それは、朝鮮半島の至る所から集まった若者が力を結集し、自分の権利を強化することができる社会を創造する若者の運動でなければならない。統一は、社会問題、環境問題、その他のすべての人が共有する問題に集中すると共に、軍国主義と巨大な権力競争から脱した平和運動でなければならない。