「環境部が主導する新しい大韓民国」 ハフィントン・ポスト

ハフィントン・ポスト

「環境部が主導する新しい大韓民国」

2018年08月13日

エマニュエル・パストリッチ

 

過去11年間において、私は韓国の環境部(「部」は日本の「省」に相当)と直接協力して仕事をする機会が何回かありました。それは2008年に私が当時住んでいた大田市の未来のための提案を書いたときから始まりました。2008年1月に「大徳ネット」に掲載された「大田は世界経済をリードする先端環境都市」の草案を作成する時に、韓国核融合研究所の研究員ハン・ジョンフン博士と一緒に作業しました。その提案は、大徳研究団地の科学者たちと大田市の協力を促しており、これは「大田環境フォーラム」(後に「大田グリーン成長フォーラム」に変更)結成につながりました。このフォーラムは、市民と政府職員と科学者たちが集まって大田を生態都市へと進化させる方法を議論する場になりました。

このフォーラムはメディアでも取り上げられましたが、自動車ベースの都市文化を変えることになると、大きな牽引力はありませんでした。私が出会った環境部の関係者は親企業的な李明博政府が建設会社を通じて進行させている破壊的な行為が、実際には環境に良くないにもかかわらず、環境に役立つかのように臆面もなく宣伝しなければならないという、非常に苦しい立場に置かれているようでした。

また、韓国の市民たちが環境部に保護者の役割をすることを期待していたのに反して、不動産業者と開発業者に莫大な富をもたらした「4大河川プロジェクト」に基づいて、自然河川へのコンクリート堤防とゴルフ場建設を推進することを強要された官僚だけに予算がサポートされたことを私は目撃しました。このような経験があったので、私の著書「韓国人だけが知らなかった、より大きな大韓民国」(レッドウッド社発行)で提示した韓国経済の再考をテーマにした、環境部の高位級公務員150人を対象にした講演依頼のメールを受け取った時は大変驚きました。

キム・ウンギョン(恩京)現環境部長官は、社会や環境問題に対処する活動家として長年過ごされ、地方自治体でキャリアを開始されました。私は、金長官が産業化に執着する韓国社会で生態倫理のために戦うことがどういうことなのかを知っていたと思います。最近、私の著書を読んだ金長官は、外国人が来て、より大規模な環境政策の問題について話をすることが有用であると思われたようでした。私も今回のイベントは、私の人生の中で最も意味のある講演の一つであったと思います。

世宗市にある環境部を訪れたのは今回が初めてです。今回の旅行自体は環境に優しい韓国を作るために行かねばならない道程が非常に遠いことを改めて感じざるを得ませんでした。というのも、世宗市には鉄道駅がありません。ここに来るためには、エアコンをガンガンに効かせて大気を汚しながら進むタクシーで地方都市を横切らなければなりませんでした。またその途中で、浪費的生活様式の奨励が主目的であるアパート団地の建設のために、木が伐採され土壌が破壊されるのを目撃しました。

環境省が位置している場所は、長期的な気候への影響がべつに心配されていない、外部と遮断された蛇型の政府庁舎の建物の中にあります。強いエアコンのおかげでジャケットとネクタイを着用して講演することも非常に快適でした。ここで使用された電気は太陽光発電で生成されたものではありませんでした。「気候変動」という言葉はどこにもありませんでしたが、環境問題を扱うための真摯な努力を描いたポスターがありました。長年の薄っぺらな環境政策に苦しんできた人々の間で変化に向けた真の動きがあることを感じました。

率直に言って、今回のイベントと関連して少しの心配がありました。私のスピーチは非常にストレートであり、過去80年間、韓国での成功の象徴とされてきた先進工業社会が非常に深刻な危険に陥っていることを示そうとしたからです。石油や石炭の輸入を中断し、農産物の輸入も減らすべきだと主張しました(政府のすべての政策に関連する自由貿易イデオロギーに反する)。化石燃料を推進する企業の放送支援が気候変動に関する報道を歪めるので、これらの企業のTV広告を許可してはならないと提案しました。このような演説は非常に大きな議論を呼び起こす可能性が高かったのですが、意見の相違があったとしても、そこからいかなる敵意も感じませんでした。実際に私は、気候変動に関するこの正直な対話から真の情熱を感じました。

私の発言が終わった後、ある官僚が「米国や中国、日本に住むことも可能であったのに、なぜ韓国を選択したのか?」と、今までにもよく聞かれた質問を受けました。私はこの質問に対してさまざまな方法で回答をすることができます。今度は私が韓国に来た理由は、K-POPやキムチやカルビが好きだからではなく、むしろ過去の政府の伝統と道徳性を強調する政治と経済の長期的な持続性に魅力を感じたからだと答えました。以前にもこのような答えをしましたが、言った後に、その質問へのより正確な答えが頭に浮かびました。

実際に日本と中国の環境部は、そうして気候変動の議論さえ禁止されている私の母国アメリカの環境部の場合、このような演説を絶対に許さなかったでしょう。環境活動家グループにではなく、実際に政策に携わる人々に対して、私の辛辣でさらに革命的であるかもしれない発言が、公式な方法で伝達できるという事実は、奇跡そのものでした。そこでは、私の発言を検閲しようとするいかなる試みも、私の発言する内容を盛り込んだ複写物を会議に参加したすべての人に配布することを躊躇している動きが全くありませんでした。

また、過去3週間の間に、それぞれ別のプログラムに基づいて、軍隊のすべての支部から来た将校たちを対象にした4回の講演でも、環境部で経験したものと同様の驚きを経験しました。少佐級と大佐級の将校の前で、私は気候変動、社会の分断化、反知性主義の拡散のように、最近台頭している脅威について詳細に説明しました。

私が11年間、韓国に滞在した真の理由は、このような韓国の主流社会の開放性にあります。時には韓国政府の政策が間違った方向に行くことがあるので、常に最高レベルで率直に議論する必要性があります。しかし、韓国では気候変動のための闘争は今始まったばかりの段階なので、制度的・文明的災害に直面していても、これに対する認識は非常に低いレベルにあります。ほとんどの市民は、電気の使用と環境問題との間の因果関係についてよく知らずにいます。一般大衆は、石炭や石油の燃焼を通じた発電が、私たちが直面している異常気象とは全く関係がないものと認識しています。私たちの前に横たわる長い闘争を考えるたびに、私は、気候変動に対応する道徳的責任について「問題は、私たちがどのように成功するかではなく、どのように失敗するのか」と述べた仏教哲学者スティーヴン・ジェンキンソン(Stephen Jenkinson)の発言を思い出します。今回の環境部の講演を通じて、少なくとも私はもはや独りではないことを感じました。

 

以下は、7月27日の環境部での講演内容です。

大韓民国を導いて行く未来の環境部

 

今日の講演を皆さんの想像力を刺激する一つの質問から開始してみたいと思います。そして私は存分に自由にその答えを言ってみようと思います。もちろん、私が言う答えが現実とかけ離れた考えのように見えるかもしれないでしょう。しかし、この考えは客観的に検証された科学的研究に基づいて韓国の未来を描いた時に、将来において十分に実現可能な主張(ビジョン提示)になります。

質問はつまり、「環境部が最大で最高の政府機関になるためには、どのような変化が韓国には必要か?」です。

そのためにはまず、私たちの考え方に革命的というほどの変化がなければならないでしょう。そして政府の政策は今までとは違って、ますます科学的原則に立脚して開発する必要があります。これまでは恐らく、感情的な世論の反応と誇大広告の中であいまいで無責任な方式に依存してきた傾向が強かったと思います。

私達は今、災害に近い気候変動の環境の中に既に入っています。この巨大災害に対抗し対応するための部局として今、環境部の構造と役割と能力が極めて微弱であることは皆さんが肯定すると信じています。問題の本質と現実を自覚して実質的に対応するためには、国の保有資源と努力を環境部に集中させて、経済や文化全体を構造調整し、この過程で他の政府部局間活動を調整する中央機関に昇格して機能する必要があると私は見ています。

この過程で認めなければならないいくつかの事実があります。簡単には肯定したくない事実もあるでしょうが、それを否定する根拠もやはりない事案なのです。

まず、「真実」は、本質的に民主的ではありません。なぜなら真実は科学的調査を通して証明されるため、投票で決定することができる事案ではないからです。また、私たちの生存を脅かす「真実」がある場合には、ひっそりと「真実」として現れて自覚されるべき問題です。そのため、深刻な気候変動の問題について、大衆が知っておくべきか、それとも知らせないかを投票で決めることではないように、気候変動の深刻性の「真実」を私たちがすべて気づくことに関してはどんな妨害と障害があってはなりません。

しかし、すでに私たちの現実では、企業の広告やスポンサーに支えられているメディアからもこの問題を完全に無視しているのが実情です。しかしながら、これらのまだ完全に明らかになっていない「真実」の影響で、国民の関心が不足しているとして、環境部や政府の行動に制約が課せられては決してならないでしょう。

政府は真実の追求と、私たちの社会の改善のための政策開発と実施を任務とする機関です。この任務のためには、堕落した制度が伝播する誤った観念に立ち向かう勇気が必ず必要になります。そして、国民の関心が足りないとしてこれを回避するのではなく、さらに前面に出て、やるべきことをやらねばならない時が今なのです。

これを実行するためには強い政府があるべきであり、強い政府の中には倫理意識と責任感で武装された知識人たちがいるべきでしょう。これは国家の健全性を担保するために絶対的に重要な要素です。民主主義は強い政府を作っていく上で効果的な力となっていますが、もしこのような強力な政府が意味のある市民教育を継続的に提供して、本当の報道をサポートしていないようであれば、本能的ポピュリズムに流され全体主義政府に変質する恐れが生じます。強い政府とは企業の規制と課税を推進する政府、国民の健康と環境に密接に関連した企業と財閥の活動内容の公開を要求することができる政府です。そして道徳的権威を認められて、国が利益を得る方向を評価し、一般市民と専門家と政府官僚が一緒に参加している真剣な対話の場を継続的に進めて、当面の時代的課題を解決して行く長期計画を策定することができる政府を言います。

今後、韓国政府の未来を構想して見ると、私たちは西欧モデル(米国式の先例)への依存から脱して韓国の優れた伝統的ガバナンスを今の時代に合わせて再構成する必要があると思います。韓国は伝統的に森林と土壌を保護し、長期的な観点から生態系を維持する規定や慣行と文化を持っていたので、伝統的ガバナンスを復活させることは、私たちの生活環境や生態系への肯定的な変化をもたらす大きな課題です。韓国の過去の中で、私たちは、政府官僚がメディアや株式市場にこだわらず、倫理的原則に従って「100年の大計」を構想していた、長期的視点の時代が明らかにあったことを知っています。過去にそのようにすることができたのなら、今でも十分に行うことができることに、私たちは強い自信を持つことができるはずです。

今日、私たちは、非公開な民間企業の短期収益のために計画を策定して、腐敗したメディアを利用して、まるで認められた事実であるかのようにこれを推進することが慣行になる時代に生きています。もし過去の歴史の中の官僚がこのような行動を見た場合、明らかに大きな衝撃を受けると想像してみてください。今の時代を生きている私たちは、すべての現在の方式がどんなに嫌悪的かを悟って、一日も早く現世代の混乱と勘違いを誘導する障害を取り外す時です。

もちろん昔の方式がすべて正しいとは限りません。過去の女性の能力軽視、偏狭な視角、硬直身分と階級制度は非難されて当然です。しかし、もし火星人が地球に来て200年前の先祖の生き方と今の私たちを比較すれば、私達が洗練された服を着てスターバックスで時間を送るとしても、今の私たちの姿だけがはるかに良いと評価するようには思えません。

私たちは大きな変化の頂点に置かれているのかもしれません。第二次世界大戦後に成長してきたグローバル経済システムが完全に崩壊して、韓国が神聖視する自由貿易システムを終わらせるかもしれない最大の危機が目前に迫っています。今、韓国では1960年と似た経済、文化、政治危機が進行中です。おそらく1960年より悪い状況であるかもしれません。1960年には空腹に苦しむ国民が多く、北朝鮮との対立によって社会全体が恐怖の中で硬直した環境でした。しかし、国民は本を読み、意味のある知的議論に日常的に参加することができる雰囲気でした。それだけでなく韓国の食料自給率は今より高く、有機農業に従事している人たちの人口比率も安定レベルにありました。

化はどこから始まるか?

「私たちのための」変化は果たしてどこから始まるのでしょうか? 変化が最初に開始されるのは、少数の知識人集団です。彼らは体制が強要する人為的目標達成を義務として受け入れず、同僚や平凡な市民たちを意味のある議論の場に導き、長期的な視点で政策を開発するために、これまで自分が蓄積した学識と専門性を活用することができる人たちです。このような努力が公共教育の一線に立っている教師や教授、そして公務員から試みられた場合、大規模な民衆デモとは異なり、持続性を担保することになると思います。歴史的事例を見ても、世宗大王と正祖大王以来、数多くの社会改革のための努力の先鋒にはいつも彼らが立っていました。

これまで伝統的儒教と道教、仏教の価値と韓国の伝統ガバナンスモデルは、持続可能な韓国を構築するのに絶対的に重要な役割をしました。これらの価値を再び高めるなら、浪費を日常的に行う消費文化と食欲、性的刺激のみに集中した反知性的文化を締めくくるのに貢献できるでしょう。これからは私たち自身と家族、そしてすべての市民の役割が重要であることを悟って、その役割にすべての人々が参加しなければならず、その努力は今ここで開始する必要があります。

常に新しいものを見つける気まぐれな消費主義のおかげで、韓屋村などを通じて韓国の伝統文化が再び注目を集めています。しかし、消費主義に立脚した伝統文化の再評価は、消費に依存した経済構造が望ましくないと信じている伝統的ガバナンスの基本的な前提と対立することになります。伝統ガバナンスによる経済は、本質的に倫理的な性格を持っています。20世紀初めに韓国が受け入れた経済概念を本質的に変え、後に倫理的破綻に陥ったアメリカの自由市場経済が押し入ってきて、状況はさらに悪化しました。

「経済」という言葉は、本来「経世済民:世事を経(おさ)めて苦境に陥った民(百姓)を済(すく)う」に由来したものです。しかし、20世紀に 倫理的原則を無視して、手段と方法を選ばずに機械的に収益を追求する個々の領域においてを解釈しました。

このような経済の概念はまだ韓国と日本人の思考構造を支配しています。企業は可能なすべての手段を動員して短期の利益に没頭し、またその収益は株式市場に反映されるようになります。個人が証券市場で巨額の利益を得ることができる場合には、その個人が自発的に環境、社会NGO団体に寄付をする場合に感謝を表すことが出来るだけで、私たちの社会は、その個人がそのように多くのお金を稼ぐことができたメカニズムについて、規制や批判的考察の対象にはできません。

真実は民主的ではありません。ただ一人だけが自覚して信じても真実は真実です。現制度は世論だけを重視しますが、世論は偏向されていることが多いのです。たとえ一般市民の考えを代弁する世論と言っても、堕落したメディアが注入した歪曲された世界観の影響下にある可能性が高いのです。このような世論は民主主義とはなんら関係がなく、現在の秩序を擁護する社会的合意があるという信仰を拡散し、真の代替的意見を抑圧し、民主主義を変質させるのです。

したがってニュースは「これが世論」と打ち出すのではなく、科学的原則に基づいて現在の状況を分析し、政府と議会、企業をはじめとする制度や機関が実際どのように運営されるのか、詳細を忠実に市民に提供する必要があります。

しかし、現在のメディアはこのような役割を全く果たしていません。

そうであるため、市民は自らの知的欲求を高め、市民の役割を果たすことができるように注意力をさらに開発する必要があります。 一般市民は政策の議論に参加するほどの情報と注意力を欠いているという前提は、これらの意見を軽視し、政府を権威的にするための不正手段としてよく利用されます。政府がともすれば打ち出す「ブランディング」と「マーケティング」、「サービス」、「世論」などは、概念の実際の適用可能性と現実性をチェックしてみる必要があります。何よりも、短期の利益に重点を置いた企業型モデルは絶対に政府の目標になってはなりません。

今、大学の知識人たちは、営利企業が運営する学術誌のために、現実に適用されることがない論文を生産する奴隷に転落したようです。彼ら「知識奴隷」が市民や政府官僚と一緒にコラボレーションするという道は公に断たれました。つまり、私たちの社会が彼らの専門知識を活用する道が断たれたということです。これらの問題に加えて、私たちは合理性を持ち出し、地方大学を廃校にする愚かな選択をしています。これは、大学を労働者の生産工場と考えた場合にだけ下すことができる決定だと思います。しかし、大学を減らしてしまうと、地方での複雑な変化の影響を市民に説明するべき知識人たちが、そこからいなくなるという結果になります。それは災害に近い程に酷いことであり、このような反知性の流れは、全世界でファシズム的ポピュリズムにつながる悪循環の原因になってきました。

政府官僚は真の変化を導く知識人集団の重要な軸です。しかし、今の政府は政策樹立と制定のための能力を喪失したようです。憲法に従うなら、市民が代表を選出すると、官僚は市民と代表との対話の中で浮上した要件を特定し、専門家の助けを借りて政策を制定して時代のニーズに応えるという仕組みが成立しなければならないが、昨今の政策は、シンクタンクや法律事務所、あるいはコンサルティング会社を介して不透明な過程を経て完成されています。また、これらの協力機関は、直、間接的に営利企業の統制を受けるのが実情です。したがって、政府の機能を無視して政府を疎外させる昨今の政策立案過程は、違憲の素地が多分にあります。政党もやはり同じです。憲法に基づいて国会内で政策と法案を作成せず、不透明な方法で政党で秘密裏に政策を策定します。それでも、このような危険な流れについて問題を提起する人は見当たりません。

政府は内部の専門知識を備えなければならず、しかも公務員は、必要な専門家になるための知性啓発の機会を得なければなりません。もし政府自らが30年計画のような計画を策定し、実施する能力を備えていなければ、将来の国際投資銀行からの国内経済に干渉する時に、これを相手にすることができなくなります。さらに、株式市場に縛られている企業が長期的な計画を立てることができないのは火を見るより明らかです。

政府の腐敗と政策上のエラーを批判することができる重要な役割は、当然のことながら、学界とNGOの役割だと思います。 政府のパートナーとして働く有名シンクタンクを設立した人たちは、一様に企業活動で多大な利益を出した金持ちだという共通点があります。これらのいわゆるシンクタンクが持つ利害関係があまりにも露骨ではありますが、20世紀以前の韓国がそうであったように、政府が国益のために独自の分析と評価を行うことができる能力を改めて習得することには、私たちは全く力を入れていません。今、韓国はその根を必ず取り戻さなければならないときです。

では、現在の環境部が本当の役割を果たすためには、どんな姿を見せるべきでしょうか? まず、問題企業に罰金を課して、石炭や石油により重い税金を課す一方、30〜50年の長期返済借款を通じて、風力や太陽光発電などの再生可能エネルギーのコストから下げないといけません。そして同時に、倹約と精神的価値を重視する伝統を蘇らせ、過消費を煽りながら環境と自分自身に害悪になるような必要もないものを購入してこそ幸せになるという、広告の中の危険な考えを永遠に廃棄しなければなりません。

高成長モデルの明と暗

一度1960年の革命をテーマにした会議に出席したことがあります。その会議場には70代以上のお年寄りが当時の自分の経験をお話になりました。この老人たちは共通して、韓国が成し遂げた民主化と産業化を誇りに思いながらお話をされていました。しかし、果たして韓国はその両方の分野において、正しい方向に向かって走ってきたのでしょうか? 選挙は明らかに以前より公平になりましたが、政党の参加度は減少しており、地域社会は崩壊したのも同然です。最近、私たちは隣に誰が住んでいるかも知らないし、地域社会が一堂に会し、地域の懸案事項を議論する場も著しく減りました。

生産工場や浪費を助長するショッピングモールや高速道路、投資銀行の必要に応じて実際の需要値を無視して無分別に建てられたアパート団地などが溢れかえっています。かねてから制御レベルを超えた産業政策の結果物が、すでに私たちの目の前に広がっています。

私は1960年から始まった高成長政策には肯定的な側面があったことを認めなければいけないと思います。おかげで市民参加を通じた統合的な方法で、社会全般を迅速に変革することができました。国のための長期的な開発計画が策定され、目標達成に役立つところに資本が集中しました。腐敗した個人や一部の富裕層の利益のために新しい韓国をつくろうとする強力な政策の方向が変わることはありませんでした。市民たちは開発努力の前面に出ました。市民の教育レベルが全般的に改善されたことが決定的な役割を果たしました。

政府の資金管理も重要な役割を果たしました。その当時、韓国政府は外国からの投資資本の流入を厳しく統制し、国内資本の育成に乗り出しました。これは、米国と日本が繰り広げる「経済ゲームの駒」に転落しないための努力でした。そして国営銀行や政府機関もやはり長期的な目標のために資本を統制しました。

民間の海外送金を難しくして貯蓄を奨励したおかげで、実質的な国内資本が蓄積されました。抑圧的で反民主的な政策と見ることもできますが、韓国国民ではない人の視点から見れば、正しい方向であったと評価します。なので、来るべきグローバル金融システムの崩壊に備えるには、今からでも早くそのような政策を実施しなければならないと考えます。

とにかく、1960〜70年代の韓国は特定の産業に資本を集中させることができたし、目の前の利益に埋没さることなく長期的な観点で政策に臨むことができました。専門家はまた、国が定める優先順位の事業に忠実で、自分の役割を果たしました。

しかし、この高成長政策は大きな誤解を前提にしており、これが今まで私たちを苦しめてきた亡霊となりました。まず、これらの政策は自由貿易が永遠に続くと信じていたし、 浪費的な消費文化を肯定的に受け入れるようになりました。そして、石炭や石油、鉄鋼を輸入して完成品を米国などに輸出する方針が永遠に続くものと信じ、輸入と輸出への高い依存度が負債に転換される可能性を全く予想もしていませんでした。また、新たな消費社会が環境をどのように破壊し、社会をどのように分裂させるのか、根深い疎外と強迫的行動がどのように知的議論の芽を摘むのかも知りませんでした。

の環境部に生まれわるために

環境部が如何なる制裁や妨害も受けずに、大企業の不正な利益を代弁することなく、忠実に自分の役割を果たすことができる未来を想像してみます。私は、石炭や石油の消費根絶のための5カ年計画に企業の参加を促し、石炭、石油に高い税金を課すことによって得られたお金を再生可能エネルギーに支出し、50年間のエネルギー開発政策の策定と実施のための(可能な場合は国営化された)銀行を介して、30〜50年の低金利返済ローンを提供して、風力や太陽エネルギー発電のコストを下げる未来がいつか実現すると考えています。

ここで究極的により重要な要素は、技術やエネルギーよりもむしろ文化なのです。私たちは韓国の伝統的な価値の中核となる節約と中庸の文化を積極的に再発見しなければなりません。青年たちが使い捨てカップを簡単に捨てる行動をお互いが恥じるようにし、日常生活の自らの決定一つ一つがすべて生態系に影響を与えるという事実も悟らせねばなりません。また、成長のためには消費が必要であるという近視眼的主張の嘘を誰もが知っているようにし、必要でもなく環境に有害なものを購入することに自分の人生を無駄に浪費しないように、人々に悟らせねばなりません。

政府の場合には、国益のためになる企業の証券市場成果や海外売上高に気を取られて、より重要な長期的優先順位を設定して政策実施に一貫性を確保する政府本来の任務を疎かにすることがないようにしなければなりません。

政府が道徳的義務を備えた一団の学者たちを集めて、現在の政策が今後50年間に韓国に及ぼす影響を評価し、彼らから30〜50年にわたる長期国家計画に対する考えを聞くならば、韓国の経済開発政策がどのような変化を経験するか一度考えてみましょう。気候変動と富の集中を緩和し、市民のために持続可能な雇用を創出することが、石油経済を支えるために数十億ドルを補助金として支出し、市民の主体的な思考力を低下させる電子機器を開発するよりも重要である点を、この専門家たちが指摘するとどうなるでしょうか? これは必ず言うべきことですが、化石燃料に依存しない持続可能な環境と経済的平等の拡大のような本当に重要な問題は、今では、既存の大規模プロジェクトに予算を投入して残った非常に少ない額だけが編成されています。この道徳的専門家らによって、おそらく大きな変化が起きることでしょう。

政府は、企業の資本の国内での流れを戦略的に統制する一方、今後は倫理的原則に立脚した現実的政策を提示する知識人と一緒に仕事する必要があります。

現在、韓国では長期的な政策が全く存在しません。シンクタンクや政治家たちは科学的に証明された気候変動という災害を何もなかったように無視しているのが実情です。真実や道徳に忠実であるべきという義務感を彼らは感じないようです。

その代わりに、メディアは、石油と鉄、石炭などの原材料の輸入を必要とする現在のピラミッド式経済構造を正当化するために汲々としていて、環境保護や農業経済振興は不要なだけでなく自由貿易の障壁であるために、必ず克服しなければなら障害であるかのように宣伝しています。そして、経済学界では、子供たちに与える精神的弊害を無視したまま、納税者のお金を使ってでも、自動車や船舶、半導体、スマートフォンなどを人為的に育てようと主張し、 消費文化を推奨する論文が継続的に溢れ出ています。

しかし、科学的研究の結果のみに基づいて政策が作られることはありません。これからは危険な真実がもはや隠されてはいけないし、すべての人々が知るべきであるし、強力な代替案と実質的な規制案を策定することができるように果敢な準備を開始するときです。

石油企業は利益相反の問題で市民が気候変動に関する正確な情報に接しないようにすることができるので、TVやラジオの広告主になることがないように、政府が規制する必要があります。それだけではなく、自動車の広告を禁止することも可能なはずです。浪費を助長して環境も破壊し、危険でもある自動車が、数千人の死傷者を生んでいるからです(高速道路建設のために生じる膨大なゴミの量も無視することができません)。同じ問題で、政府はプラスチックの使用を全面的に禁止したり、生分解やリサイクル可能な部品に分解されていない製品の販売を禁止することもできます。

今は政府に対するこのような期待が非現実的な幻想に近いと見ることができますが、少数の人々が志を持って革命的な方向転換をし、それによって成功的な政策を作った事例は、私たちの歴史の中において多く見出すことができます。このような大転換を実現するためには、倫理的義務感と大胆さが必要であり、専門知識を備えた政府官僚や知識人が一緒に先頭に立たなければなりません。

韓国の場合、危機と見ることができるほど政府の機能が弱体化しています。子供たちは、ポルノに近い画像にさらされ、TVは疎外された隣人や社会への配慮が全くなく、金持ちが享受している利己的で享楽的な生活と何も考えないグルメ番組で溢れています。

選挙でもやはり政治家は有権者と撮った写真をSNSに投稿したり、滑稽な服を着て道端で踊る運動員を雇用しました。このような選挙は、私たちが望む民主主義を作るのにはあまり役に立ちません。倫理的、道徳的義務を負った青年たちが参加できる政府官僚育成システムを構築して、韓国の未来に貢献しようとする次世代が、既成世代が無視してきた政策開発の場で、実質的な役割を担うことができるように、機会と条件を作ってあげましょう。そのような方向へ前進し、知識人たちが与えられた社会的責務を果たせるようにすれば、私たちは今回の危機を克服し、本当の意味での民主主義を作ることができると私は信じています。

ご清聴ありがとうございました。

 

 

画中的小说 曹雪芹《红楼梦》中的一种文学隐喻 (曹雪芹研究)

曹雪芹研究

2018年  2月

画中的小说

曹雪芹《红楼梦》中的一种文学隐喻

 

贝一明 (Emanuel Pastreich) 

 

 

曹雪芹的《红楼梦》对贾府中的各式图画、讲究的室内布置、精美的服饰、色香俱全的美食与奇花异草进行了大量描写,这一点对于一部措辞华丽的小说来讲不足为奇。然而,小说中描写图画的章节往往都被放在更为广阔的语境内,为这些图画赋予了寓意。换而言之,小说中所出现的图画并不仅仅是装饰品,而且是文学模拟呈现的一种隐喻。许多描述图画的章节都被语言讨论、叙述描写以及不同阶层所体现的雅俗文化等较大主题所框定。在文学自觉性与社会差异的主题处理这一语境内,曹雪芹在某种程度上巧妙地通过语象叙事(ekphrasis)将绘画艺术用作转移至类似媒介、分析文学艺术的工具。

《红楼梦》广泛地涉及到叙事与写作的各个方面。实际上,虚构性与文学性本身便是该小说所明示的主题之一。小说开篇就点明,《石头记》是业已完成的故事,因此读者从开卷便被告知这篇镌刻于石的文学作品,其本质是渐渐显露全貌的虚拟呈现。

之前的《水浒传》等白话小说,是由作者完成后,经金圣叹等批评家通过注释来解释其叙事的艺术性。而《红楼梦》本身便包含有大量评注。书中主要角色的信件和诗作贯穿整个故事,这些信与诗也都经过了其他角色的诠释与评论。尽管同时期的小说与短篇故事中也常常会出现各种诗歌,但相关分析并不是作品本身的组成部分。此外,融于《红楼梦》之中的唱词、传说、街谈巷议等也赋予了本书一种元文学特质:文学行为即文学作品的主题。

《红楼梦》将评注极大程度地内化,使得它在小说中占有举足轻重的地位。十八世纪,借鉴他人的评注(如点评本)进行阅览已经成为中国白话小说的主要阅读方式,因此各种点评也成为了小说的主题。与之前“作者创作、后人加注”的小说不同,《红楼梦》尚未完成时便含有一系列评述,不仅有助于读者理解,更使特定章节经历了修正改动。曹在撰写这部小说时十分清楚,他人可能会对自己的艺术手法评头论足,因此在作品中花费大量笔墨对小说的遣词用句加以分析。书中几段关于图画的描写便属于该范畴。

十九世纪末,《全圖增評補像金玉緣》等评本对小说做了大量批注,因此比起通俗小说来,这类评本更像是《五经》一类典籍的注释本。所有想象中的直接口语表达均经过注释这一媒介的挤压。同时,这种倾向也得到了小说本身结构的催化。例如,《红楼梦》开篇一回点明,这篇故事是镌刻在一块石头(即小说主人公)上的,后面还有一名路过道人所题的点评——而看到这里时,读者尚未窥到正文内容。曹独辟蹊径,将读者的注意力转移到他缜密的文学风格上。此外,如果把书中对于图画(以及塑像)的相关描写当作小说的评注来看,可以发现它们揭示了深刻的见解,因为与此类描写融为一体的片段往往涉及到语言问题及语言的运用,或者对特定社会阶层与语域的刻画。

笔者首先要讨论的是元宵节众人看戏时贾宝玉在荣府中独自闲逛的场景[1]。当时,连他贴身的小厮(小说对他们的描写可谓微乎其微)都纷纷去“瞧热闹”,只留下宝玉独自一人。

宝玉见一个人没有,因想“这里素日有个小书房,内曾挂着一轴美人,极画的得神。今日这般热闹,想那里自然无人,那美人也自然是寂寞的,须得我去望慰他一回。”想着,便往书房里来。刚到窗前,闻得房内有呻吟之韵。宝玉倒唬了一跳:敢是美人活了不成?乃乍着胆子,舔破窗纸,向内一看—-那轴美人却不曾活,却是茗烟按着一个女孩子,也干那警幻所训之事。[2]

值得一提的是,曹从未对画中美女加以描述。她在叙事中作为“被观看者”的地位与那位同茗烟缠绵的女子一般无二。于是主人公欲望所针对的对象便从图画自然而然地转为那位女子,而读者并不会因为书中没有对那幅美女图的详细描写而感到突兀。仿佛那名女子就是画中人。这个在事后被吓得魂飞魄散的角色具有强烈的模拟特质。宝玉闯进房惊散两人后,觉得“抖衣而颤”的女子“有些动人心处”。这样画中美人便被真实的女子所替代,尽管后者是一名行为不检的丫鬟。

绘画艺术的力量借由宝玉对画中美人的同情表现得淋漓尽致。在宝玉的想象中,新春佳节,众人都去看戏,只剩下她独自一人。此时他是一位对观察对象产生了强烈感情的观看者。在他看来,画中人也有生命;而他的观看者身份又被“隔窗窥视”这一行为所强化。同时他又是一位通过语言来观察生动场面的读者。正是因为那幅画“极画得神”,宝玉才会以为里面的美女“活了”。对图画的视觉印象与从房内传出的“呻吟之韵”结合在一起,构成了他的错觉。这种从非生命体到生命体的质变跟宝玉的身份息息相关:他本是一块灵石。主人公全面表现了作者艺术手段的复杂性,因为他是女娲补天所剩的一颗顽石,本该是毫无生气、用来修桥补路的材料。

这个戏剧化的场景出现在宝玉探访袭人(宝玉的通房丫鬟)家之前,更加别具意义。它展示了小说文本本身的文学性,同时袭人家之行又体现了人物在不同社会阶级间的转移——这是曹雪芹小说艺术的基本要素。有趣的是,喜欢看“神鬼乱出”的戏剧的小厮们“钻进戏房里”看热闹,跟宝玉闯进房中看画有异曲同工之妙。

我们无法忽略这个场景中性行为与文学模拟之间的关系。宝玉用手指戳破隔在他与脑中场景之间的窗纸,茗烟也进入了那位女子的身体。理想里画中美人与茗烟身下活生生的女孩子之间的对比,影射了“可触”与“不可触”的现实之间的差距。我们可以认为,这一段所描写的风流之事与通过想象进入模拟呈现这一过程相类似。

茗烟描述那位具备模拟特质、来无影去无踪的女孩子时,读者马上被拉回到文学本身:

“若说出名字来话长,真真新鲜奇文,竟写不出来的。据他说,他母亲养他的时节做了一个梦,梦见得一匹锦,上面是五色富贵不断头‘卍’字的花样,所以他的名字就叫做卍儿。”[3]

女孩子名字的来历跟房中那幅美女图一样难以捉摸。“奇文”这一双关语的妙用,将小说虚拟性与艺术性的价值发挥到极致。古语中,“奇文”既指不寻常的故事,又指不常见的花纹,同时也与“奇闻”以及“绮文”(美妙的言词)两个词谐音。曹在向读者生动地展示低层次模拟行为的同时,也在无可避免地提醒读者:我们生活在一个文学模式的世界中。

第四十回写到模拟角色刘姥姥二进大观园。作者为读者考虑,对贾家大观园再度进行描述。正是因为刘姥姥的提议,贾母才决定将大观园纳入画中。接下来惜春画大观园的场景里,视觉艺术与文学艺术以本小说中最为复杂的形式交织在一起。作者将视觉艺术再度扭曲变形,以表现小说文本的叙事艺术,让画中奇境与书中世界交相辉映。

刘姥姥遭王熙凤捉弄,插了满头菊花后,与贾母进行了下述对话。

贾母倚栏坐下,命刘姥姥也坐在旁边,问她道:“这园子好不好?”刘姥姥念佛道:“我们乡下人,到了年下,都上城来买画儿贴。大家都说,怎么才能上画儿里逛逛呢!想着画儿也不过是假的,谁知今儿进这园里一瞧,竞比画儿还强十倍!怎么得有人也照着这个园子画一张,我带了家去给他们见见,死了也得好处!” 贾母听说,指着惜春笑道:“你瞧,我这个小孙女儿,他就会画。等明儿叫他画一张,如何?”刘姥姥听了,喜的忙跑过来拉着惜春,说道:“我的姑娘!你这么大年纪儿,又这么个好模样儿,还有这个能干,别是个神仙托生的罢?”[4]

在社会底层人物心中,贾家的大观园应该如同画中的一样美妙,是理想境界的代表。而刘姥姥亲身逛过园子之后,却发现它竟然比想象中绘画艺术所呈现的还“强十倍”。此时的刘姥姥是一位放下了先前想法、走进幻境的观看者。当然,作为读者的我们无法忘记,这段对话是发生在小说中、印于二维的纸张平面上的,但相关场景描写在我们脑中所留下的三维印象,却与“走在画中”的刘姥姥脑中的别无二致。刘姥姥发出上述感慨之后,众人遂领着刘姥姥“见识见识”,这也是曹雪芹用笔墨唤起读者脑中视觉意象的良机。

刘姥姥提出应该把大观园画下来(这个任务后来落在惜春的身上),是因为她想把自己看见的美景带回家去。从这里我们可以很清楚地看到视觉艺术的魅力。当然,视觉呈现的刺激作用因个体的身份地位而异:如果刘姥姥生活在富贵之家,也许根本不会想要这样一幅画。这里曹雪芹也在影射自己的境遇——其实《红楼梦》本身就是反映他的童年与成年后困境鲜明对比的产物。这一对比让他的作品更为充实鲜活,也让刘姥姥对大观园的倾慕之情更显得真实生动。

第三十九回刘姥姥所讲的几个故事虚实掺杂,生动地反映了作为观看者的刘姥姥在园中因真幻难辨而产生的困惑。在更广泛的意义上,曹叙事中现实与虚构的交织也与刘姥姥的故事相契合(这种叙事在某种程度上带有自传体性质,但同时又含有大量虚构成分,因此不能将该小说作为单纯的自传来读)。比如,她“雪中抽柴”的故事刚讲到一半,贾府马棚便失火了。这样,在小说虚构情节与自传相交融这一语境下,编造的故事渗透到现实当中。还有,后来刘姥姥告诉宝玉,雪中抽柴的女孩子是她们庄里“一个小祠堂供的”,她的像“成了精”,庄上的人打算把它毁掉。宝玉信以为真,派茗烟去找那座祠堂,但茗烟最后只找到一座供瘟神的破庙。在这两个例子中,真与幻的绵延与交织让刘姥姥成为了带有作者烙印的文学形象。

第四十一回,刘姥姥因为吃多了“油腻饮食”而感到肠胃不适,一个婆子为她指路如厕(此后小说描写大观园时再未出现厕所一类的所在)。雅俗相混这一特质在后面的章节,以及描写图画的片段中表现得极为突出,也集中反映在刘姥姥的身上。她本是俗人,无法适应雅致饮食;她在如画花园中如厕,更显得粗鄙不堪。循规蹈矩的传统文学描写中,根本不会出现一个在美景角落中如厕的粗俗之人。显然这一角色是曹雪芹有意加上去的:她反映了丑陋的现实,也是更高艺术呈现的一部分。难怪在第四十二回中,黛玉说应该把“母蝗虫”(狼吞虎咽的刘姥姥)也画在大观园图中。

醉得晕头转向的刘姥姥迷了路,只好顺着花障走,最后闯进宝玉的住处。[5]这一过程并不顺利——经历激起她主动观察行为的重重艺术呈现之后,她才得其门而入。

于是进了房门,只见迎面一个女孩儿,满面含笑迎了出来。刘姥姥忙笑道:“姑娘们把我丢下来了,要我碰头碰到这里来。”说了,只觉那女孩儿不答。刘姥姥便赶来拉他的手,“咕咚”一声,便撞到板壁上,把头碰的生疼。细瞧了一瞧,原来是一幅画儿。刘姥姥自忖道:“原来画儿有这样活凸出来的。”一面想,一面看,一面又用手摸去,却是一色平的,点头叹了两声。[6]

刘姥姥“撞到板壁上”,这才发现面前的“人”画在画中,存在于另一个平行空间内。是撞墙的疼痛将逼真壁画的二维性带到刘姥姥的直接意识跟前。作为文学呈现神奇效果的隐喻,这个场景重现了这样一个过程:整部小说将各色人物刻画得惟妙惟肖,使读者有身临其境的感觉。

值得注意的是,壁画上画的是一位年轻女子。我们可以把她看作刘姥姥故事里“雪中抽柴”的那个女孩子,而这个女孩儿也许是刘姥姥因为对年少风流时代念念不忘而创造的一个投影。这一点在前面的情节中有所体现:刘姥姥被插了满头菊花时,自我解嘲说:“今儿索性做个老风流!”那幅壁画有可能代表了刘姥姥心中理想的、曾经年轻貌美的自己。从这里我们可以联想到,已经成年的曹雪芹也许是在感怀自己的童年,他作品中所展现的往日繁华与潦倒窘迫的真实现状形成了鲜明对比,令作者暗自神伤。那幅壁画象征的是永固在文本中的理想时光。

随后,刘姥姥找到了另外一道门,走进去时,发现又有一个人迎面而来。因为有了之前碰壁的教训,这次她并没有贸然地撞上去。

只见一个老婆子也从外面迎着进来。刘姥姥诧异,心中恍惚,莫非是他亲家母,因问道:“你也来了?想是见我这几日没家去,亏你找我来!那位姑娘带进来的?”又见他戴着满头花,便笑道:“你好没见世面!见这里的花好,你就没死活戴了一头!”说着,那老婆子只是笑,也不答言

……猛想起:“常听见富贵人家有种穿衣镜,这别是我在镜子里头吗?”想毕,又伸手一抹,再细一看,可不是四面雕空的板壁,将这镜子嵌在中间的?不觉也笑了,因说:“这可怎么出去呢?”

一面用手摸时,只听硌磴一声,又吓的不住的展眼儿。原来是西洋机括,可以开合,不意刘姥姥乱摸之间,其力巧合,便撞开消息,掩过镜子,露出门来。[7]

镜中的刘姥姥并不像壁画中的人那样青春貌美。作为文本中的观看者,此时的刘姥姥已经知道应当仔细地观察园中的事物。她明白大观园中有许多艺术品,提醒自己她看见的不过是自己的倒影。然而,出于对这些艺术品的好奇,她还是不禁伸手去摸那面镜子。正是在被镜子的艺术性所吸引、弄清楚眼前只不过是镜中幻象之后,她才碰巧触动“机括”,找到了后面的门。与那幅人物呼之欲出的壁画不同,这面镜子可以将观看者引向入口。用文学术语来讲,这里曹雪芹是在暗示,读者只有在完全接受这篇文本的虚构性、触碰其所模拟出的表象之后,才能真正进入文中世界,全面地领略其现实性。正如他始终在小说中通过巧妙运用“现实”与“艺术创造”、“真”与“假”之间的辩证关系所强调的那样,接受“假”是认识“真”的前提条件。

小说中与“镜子”发生关系的人物还有贾瑞。一名道人将风月宝鉴交给此人,镜子反面中有一个骷髅。尽管道人叮嘱只能照镜子的反面,但贾瑞发现,照正面时,可以走入镜中与朝思暮想的王熙凤云雨一番。这样往复几次,贾瑞终于精尽而亡,变成了骷髅所象征的死人。尽管这一幕并不包含任何有关伦理道德的讨论,但镜子的反面与正面,可入与不可入,可照与不可照之间的对立可以说明一切。这种对立暗示,曹雪芹在以开放手法叙述人物越轨行为的同时,也希望将写作的虚构性主题化。

第四十二回写惜春为了专心画大观园图而向诗社告假,由此而引出的、对文学与图画的探讨最为细腻。宝钗先是因为黛玉之前行酒令时引用了《西厢记》中的唱词而责备她,后来又谈到,自己幼时也与兄弟姐妹时常偷看这类描写风花雪月的文学作品,被大人发现后,“打的打,骂的骂,烧的烧,才丢开了”。最后宝钗总结道,女子与其读书不如专心做针线,就算男人们也该只读“辅国治民”的大道理。

这时素云进来,说李纨有要事找两位姑娘。宝钗黛玉到达稻香村之后,发现众人都在,得知惜春因为贾母要她画大观园图而告假。黛玉刚道“都是老太太昨儿一句话”,探春便提醒她,这是刘姥姥的主意。黛玉接下来所说的话和宝钗的分析对语域与画作进行了直接类比。

黛玉忙笑接道:“可是呢,都是他一句话。他是那一门子的姥姥?直叫他是个‘母蝗虫’就是了!”说着,大家都笑起来。宝钗笑道:“世上的话,到了二嫂子嘴里也就尽了。幸而二嫂子不认得字,不大通,不过一概是市俗取笑儿。更有颦儿这促狭嘴,他用春秋的法子,把市俗粗话撮其要,删其繁,再加润色,比方出来,一句是一句。这‘母蝗虫’三字,把昨儿那些形景都画出来了,亏他想的倒也快!”[8]

这两段中,宝钗对当时所谓“淫词艳曲”所作的尖锐批评忽而转变为一种初级的文学评论。在上述引文中,宝钗认为黛玉“用春秋的法子”,将粗鄙的刘姥姥比作母蝗虫,实在贴切。相传鲁国史书《春秋》为孔子所修,尽管只是用简练的语言记录史实,但孔子通过精心的遣词择句,委婉地表达自己的观点,达到了微言大义的效果。[9]

宝钗注意到,黛玉否定“姥姥”二字,为形容那位村妇所用的词语既通俗又精妙。“春秋笔法”之类的评语,经常出现在清初学者金圣叹等评论家为《水浒传》、《西厢记》一类的白话小说所作的尾注或旁注中。像上述引文中由一名角色对另一角色语言的文学价值进行评论,这种现象实属罕见。对通俗创作的虚构性进行评述这一传统已经内化在这部白话小说之中。[10]

宝钗将黛玉与王熙凤做比较,说后者的话“不过一概是市俗取笑儿”,不具有任何文学意义,还说幸亏她“不认得字”。在世俗语言问题上,说话人是否认字似乎并不重要。其实这段评论旨在提醒我们,曹是在借宝钗之口描述自己独特叙事技巧的本质。曹跟黛玉一样不屑于使用“市俗粗话”,而是热衷于挖掘市井俗语的文学要素,精心将俗语升华为更为生动的文学形式。同时,二者也都是既能遵循经典传统,又能说出生动俗语的诗人。因此宝钗这样评价黛玉:“把市俗粗话撮其要,删其繁,再加润色,比方出来,一句是一句。”只要作者能够熟练操控自己的表达技巧,语言是俗是雅无关紧要。

这段情节中还用绘画来打比方,这并不是偶然的。宝钗指出,黛玉将世俗语言“加以润色”,将昨日情景描绘得惟妙惟肖,直接将生动语言唤起人脑中意像的能力与绘画艺术的影响做比较,以独特的手段为读者领略下面提到的画作寓意做好准备。

接下来众人讨论惜春画大观园图需要多长时间。黛玉打趣至少需要两年,此时作为评论者的宝钗抓住机会,再次将我们的注意力牵引到黛玉所讲的白话上。她引用黛玉的话,又加上了自己的评述:

宝钗笑道:“有趣!最妙落后一句是‘慢慢的画’。他可不画去,怎么就有了呢?所以昨儿那些笑话儿虽然可笑,回想是没趣的。你们细想,颦儿这几句话虽没什么,回想却有滋味。”[11]

黛玉拿惜春告假时间太长打趣,令众人忍俊不禁。她先列出所需的一应画具,最后讽刺道“又要照着这样儿慢慢的画”,引起宝钗的注意。于是这句绘形绘色的话便通过联想与作画过程联系起来。

讨论还在继续。黛玉说园中的“草虫儿”也该画上去。尽管可以把这个提议看作曹对模拟手段极度痴迷的表现,但它更像是一种带有讽刺意味的比喻:应该把“母蝗虫”刘姥姥也画在画中。随后宝玉也加入到众女子的笑闹中。最后宝钗提出,让宝玉帮助惜春,早些将图画好。

宝钗道:“我有一句公道话,你们听听。藕丫头虽会画,不过是几笔写意。如今画这园子,非离了肚子里头有些邱壑的,如何成画?这园子却是像画儿一般,山石树木,楼阁房屋,远近疏密,也不多,也不少,恰恰的是这样。[12]

“你若照样儿往纸上一画,是必不能讨好的。这要看纸的地步远近,该多该少,分主分宾,该添的要添,该藏该减的要藏要减,该露的要露。这一起了稿子,再端详斟酌,方成一幅图样。

“这些楼台房舍,是必要界划的。一点儿不留神,栏杆也歪了,柱子也塌了,门窗也倒竖过来,阶砌也离了缝,甚至桌子挤到墙里头去,花盆放在帘子上来,岂不倒成了一张笑话儿了?

“要安插人物,也要有疏密,有高低。衣褶裙带,指手足步,最是要紧,一笔不细,不是肿了手,就是瘸了脚,染脸撕发,倒是小事。依我看来,竟难的很。”[13]

曹雪芹笔下宝钗这段关于绘画的评述也在阐明写作的方法。她指出,仅凭印象去画(或者去写),并不能赢得欣赏者的青睐。读到这里,我们不难想到,曹雪芹也在叙事时下了很大功夫来让读者明了大观园的三维立体布局。为了达到这一目的,他带领读者反复从各个视角观察大观园,极为详尽地描绘各个建筑的内外样貌。写作跟绘画一样,一定要通过巧妙的手段使作品有深度。

然而宝钗也指出,画这幅图必须经过超卓的设计与构思,因为大观园本身是一个整体,这处人造景观布局与“自然天成”的文化内涵紧密相扣。我们可以从这样的图景中窥到曹自己的艺术设想。他的叙述中,对不同事物的详略处理十分得当,如同大观园中某处有一片树林,而另一处却只有一棵孤树。整篇小说的某些章回将动作等细节刻画得精细入微,无足轻重之事则一笔带过。曹所努力建构的,是一种更为广泛的美学范式。同时,对多人场景的描写与对个体角色的摹绘交织穿插,构成宏大的叙事,用风景画与之类比、呈现其柔和的渗透力最为恰当。

同时,我们还应注意曹在宝钗“先起稿,再斟酌,最后成稿”这一建议中所暗示的改写者身份。她提议,要是有难画的地方,先让宝玉“拿出去问问会画的先生们”。我们可以想象,这是曹在写作过程中跟读到此处、以及在此处做批注的各位读者开玩笑。关于书外读者的主题则是以最为极端、极富寓意的形式,借由后面石呆子的故事呈现的。贾赦看中了石呆子收藏的二十把古扇,派人去谈价,但石呆子死活不肯卖,最后被贾雨村强加罪名抄了家,人也遭了殃。石呆子三餐不继,却拒绝卖出书绘有精美字画的扇子。不知道“二十”这一数字在小说中是否有特殊含义(比如较为重要的人物数量),但笔者认为,或许这段情节在展示这样的想法:曹这篇穷困潦倒中创作的小说会被他人所渴求。

宝钗所提到的“衣褶裙带,指手步足”等细节,对生动逼真的呈现必不可少。也许我们在这里也可以寻觅到曹的某些艺术特点。通过对身姿、表情与衣物的详细描写,曹这篇关于才子佳人的故事摆脱了传统中生硬老套的叙事手法。他几乎没有直接介绍小说人物的个性德行,而是将重点放在各种细节上,引导读者通过这样的描写去认识各位人物。尽管这种手法并非曹所首创,但谈到通过只言片语反映某个人的心性品格,曹的水平可谓首屈一指。

如果读者仍旧对绘画主题与小说艺术之间的关系存有疑问,不妨参考宝钗接下来关于糟糕画作的论述。她说,稍不留意,画出的物件就会歪斜,“甚至桌子挤到墙里头去,花盆放在帘子上来,岂不倒成了一张笑话儿了?”在糟糕的画作中,物品的背景可能会被当成它的载体:前面的桌子像是嵌进后面的墙里,而帘前盆景像是印在挂帘之上。这种错位会产生一种套层结构(mise-en-abyme)的效果。我们可以很容易地将这一主题联系到之前刘姥姥初见壁画美人的场景,在那一幕中,曹借由绘画表达了对艺术创造的接受。这一点在史湘云身上表现得淋漓尽致。宝钗提出建议之前,黛玉说该给大观园图题名为《携蝗大嚼图》,湘云随众人一起哄然大笑。随后,大家听到一声响。

只听咕咚一声响,不知什么倒了。急忙看时,原来是湘云伏在椅子背儿上,那椅子原不曾放稳,被他全身伏着背子大笑,他又不防,两下里错了笋,向东一歪,连人带椅子都歪倒了。幸有板壁挡住,不曾落地。众人一见,越发笑个不住。宝玉忙赶上去扶了起来,方渐渐止了笑。[14]

湘云同椅子向旁歪倒,撞在墙上,这恰巧与宝钗之后所说的“桌子挤到墙里头去”相对应。在宝钗即将论述画中物品歪倒的后果时,湘云椅子恰巧歪倒了。这一话题向模拟表象渗透,从而揭示了二者之间的直接关联;人物体验在幽默主体性的作用下,向艺术呈现歪倒。

同时,我们也不可忽略湘云椅子歪倒与刘姥姥撞在墙上这两段情节之间的联系。它们都描述三维人物与板壁的直接碰撞。此外,因为撞到墙弄乱了头发,湘云去李纨房中对镜梳头,这又与之前刘姥姥碰壁后见到穿衣镜相似。

此后,尽管有宝玉及其他画师的协助,惜春的这幅画作在这部未完之作中几乎再未出现。第四十八回,黛玉和李纨告诉香菱,倘若学会作诗,就将她画入图中。香菱做梦都想写出好诗,因此跨越了小说中将高雅女子与其他女性区分开来的语域。众人领香菱到惜春房中揭纱看画时,惜春正在假寐,当时大观园图不过画完了三成,“画上有几个美人”。

第五十回中贾母问能否在年下观赏惜春的画,得知惜春要画多久之后,说画这幅图“比盖这院子还费工夫”。这里那幅未画完的画别具意义:它象征了曹雪芹这部开放式结局、经历无休止修订的小说。曹逐渐将注意力从实事转移到事件的模拟重现上。从这一回目开始,小说的整体进展逐渐放缓。

大观园图的不告而终也暗示曹在后面章回中叙事风格的转变。尽管小说的开头部分明确围绕住在大观园中亭台馆榭中的一干人等所展开,但自第五十回开始,小说显得愈发短浅。曹在花园的边角以及厨子与丫鬟身上加重了笔墨,而对小说更具构建意义的主要角色却受到冷落。“大观园”这一名字本身便含有完备齐整、包罗万象的意思,但身为作者的曹雪芹却有意地“只见树木,不见森林”(也许黛玉会说,加进了几只草虫),破坏了这种完备与整齐。因此,惜春那幅大观园图的不完整性,正与曹在写作上的转变相对应。尽管两个世纪以来,至少有一名作家以及无数评论家试图理清这部小说崩塌的叙事结构,但如今惜春的画仍旧是一幅未完之作。

* 贝一明(Emanuel Pastreich),亚洲研究所所长。韩国庆熙大学副教授。

[1] 《红楼梦》首次提到图画是在第五章,贾宝玉在秦氏房中小睡,梦见警幻仙子时。入睡前,宝玉见到几张寓意深刻的画作;梦中,他又翻阅了画有故事中主要女性角色、附有判词的“金陵十二钗正/副册”。这一片段中,以图画来展示小说结构这一手段与本文主题的关系最为密切。

[2] 《红楼梦八十回校本》,中华书局,北京,1958(俞平伯、王惜时参校)第一卷,第187页。

[3] 《红楼梦八十回校本》,第一卷,第187页。

[4] 《红楼梦八十回校本》,第一卷,第420页。

[5] 强调刘姥姥是因为沿着花障走才走进宝玉的住处,这一点很有必要。因为花障也是一种“墙”。作者一直在用这种二维的物品提醒读者,尽管作者创造了一个三维的环境,但读者始终处在二维文本中。

[6] 《红楼梦八十回校本》,第二卷,第440页。

[7] 《红楼梦八十回校本》,第二卷,第456页。

[8]  《红楼梦八十回校本》,第二卷,第449页。

[9]  这一传统观点并未经近代研究证实,但该史书的真正作者和意义与关于曹雪芹的论述并无关系。

[10] 这种新手段并未阻挡后世读者为《红楼梦》添加注解。

[11]《红楼梦八十回校本》,第二卷,第450页。

[12] 段落根据论文原文有所调整。

[13]《红楼梦八十回校本》,第二卷,第450页。

[14] 《红楼梦八十回校本》,第二卷,第450页。

“A call for true security in a misguided age” Korea Times

Korea Times

“A call for true security in a misguided age”

August 6, 2018

Emanuel Pastreich

 

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“환경부가 한국을 주도할 수 있다면?” 프레시안

프레시안

2018년 7월 31일

“환경부가 한국을 주도할 수 있다면?”

 

임마누엘 페스트라이쉬

 

지난 11년 동안 나는 환경부와 직접 협력해 일할 기회가 여러 번 있었습니다. 그러한 모든 것들은 2008년 당시 내가 살던 대전시의 미래를 위한 제안서를 작성했을 때 시작되었습니다.

2008년 1월 ‘대덕넷’에 게재된 ‘대전은 세계경제 이끌 첨단 환경도시’의 초안을 작성할 당시 한국 핵융합 연구소 연구원 한정훈 박사와 함께 작업했습니다.

그 제안서에서는 대덕 연구단지의 과학 전문가들과 대전시의 협력을 촉구했고, 이는 ‘대전 환경 포럼'(나중에 ‘대전 녹색 성장 포럼’으로 변경) 결성으로 이어졌습니다. 이 포럼은 시민들과 정부 공무원 및 과학 전문가들이 한 데 모여 대전을 생태 도시로 진화시킬 방법을 논의하는 공간이 되었습니다.

그러나 비록 이 포럼이 언론을 통해 언급되기는 했지만, 자동차에 기반한 도시 문화를 변화시키는 데 있어서는 큰 관심을 끌지 못했습니다. 내가 만난 환경부 관리들은 친기업적인 이명박 정부가 건설사들을 통해 진행하는 파괴적 행위들이 실제로는 환경에 이롭지 않음에도 환경에 도움이 되는 것처럼 뻔뻔하게 홍보해야만 하는 매우 고통스러운 입장에 처해 있는 것처럼 보였습니다.

또한 나는 한국의 시민들이 보호자 역할을 할 것으로 기대했던 환경부에서 도움이 되기를 원했던 관리들에게는 예산이 지원되지 않았고, 부동산업자와 개발업자들에게 막대한 부를 가져온 ‘4대강 프로젝트’에 따라 자연 하천에 대한 콘크리트 제방과 골프장을 홍보하도록 강요받았던 관리들에게는 예산이 지원되었음을 목격했습니다.

따라서 환경부의 고위 공무원 150여 명을 대상으로 나의 저서 <한국인만 몰랐던 더 큰 대한민국>(레드우드 펴냄)에서 제시한 한국 경제의 재고를 주제로 한 강연에 초청한다는 이메일을 받은 것은 놀라운 일이었습니다.

김은경 현 환경부 장관은 사회 및 환경 문제를 다루는 활동가로서 오랜 세월을 보냈고, 지방 정부에서 경력을 시작했습니다. 나는 김 장관이 산업화에 집착하는 한국 사회에서 환경 정의를 위해 싸우는 것이 무엇인지를 알고 있었다고 생각합니다.

최근 내 저서를 읽은 김 장관은 외국인이 와서 보다 큰 환경 정책 문제에 관해 이야기하는 것이 유용할 것이라고 생각했습니다. 나는 이번 행사가 내 인생에서 가장 의미 있는 강연 중 하나였다고 생각합니다.

세종시에 있는 환경부를 방문한 것은 이번이 처음입니다. 이번 여행 자체는 환경 친화적인 한국을 만들기 위해서 갈 길이 매우 멀다는 것을 상기하게 되었습니다. 요컨대 세종시에는 기차역이 없습니다. 이곳에 오기 위해서는 자동차 에어컨을 세게 튼 채로 대기를 오염시키면서 시골을 가로질러야 했습니다. 이 과정에서 낭비적인 생활양식 장려가 주목적인 아파트 단지 건설을 위해 나무들이 베어지고 토양이 파괴되는 것을 목격했습니다.

환경부가 위치한 곳은 기후에 대한 장기적인 영향에 대한 우려가 거의 없는 내부로 외부와는 차단된 뱀 모양의 정부 청사 건물 안에 있습니다. 강한 에어컨 덕에 재킷과 넥타이를 착용하고 강연하는 데도 매우 쾌적했습니다. 여기에 사용된 전기는 태양열 발전으로 생성된 것이 아니었습니다.

비록 ‘기후변화’라는 단어는 어디에도 없었지만, 환경 문제를 다루기 위한 진지한 노력을 묘사한 포스터가 있었습니다. 수년간 어설펐던 환경 정책으로 고통을 겪은 사람들 사이에서 변화에 대한 진정한 움직임이 있다는 것을 느꼈습니다.

솔직히 말해, 이번 행사와 관련해 약간의 두려움을 느꼈습니다. 내 연설은 매우 직설적이었고, 지난 80년간 한국에서 성공의 상징으로 여겨왔던 산업화 사회가 매우 심각한 위험에 빠져들었음을 암시했습니다.

석유와 석탄의 수입을 중단하는 한편, 모든 정부 정책에 대한 정보를 제공하는 자유무역 이데올로기에 반하므로 농산물 수입도 줄여야 한다고 주장했습니다.

화석 연료를 홍보하는 기업들의 방송 지원이 기후변화에 관한 보도를 위험하게 왜곡하므로, 이들 기업의 TV 광고를 허용하지 않아야 한다고 제안했습니다.

이런 연설은 매우 큰 논란을 불러일으킬 가능성이 높았습니다. 의견 차이가 있었다 하더라도 그곳에서 어떤 적개심도 느끼지 못했습니다. 실제로 나는 기후변화에 관한 이 정직한 대화에서 진정한 열정을 느꼈습니다.

나의 발언이 끝난 후 한 관리가 “미국이나 중국, 일본에 살 수도 있었을 텐데 왜 한국을 선택했습니까?”라고, 종종 받았던 질문을 던졌습니다.

나는 이 질문에 대해 여러 가지 방식으로 답변을 할 수 있습니다. 내가 한국에 온 이유는 K-POP이나 김치 또는 갈비를 좋아하기 때문이 아니며, 오히려 과거 한국 정부의 전통과 도덕성을 강조하는 정치 및 경제의 장기 지속성에 매력을 느꼈기 때문이라고. 전에도 이런 대답을 했지만, 말한 후 그 질문에 대한 보다 정확한 답이 떠올랐습니다.

실제로 일본과 중국 환경부, 특히 기후변화에 대한 논의조차 금지되어있는 나의 모국인 미국의 환경부였다면 이런 연설을 절대 허용하지 않았을 것입니다.

환경운동가 그룹뿐만 아니라 실제로 정책에 종사하는 이들에게 나의 신랄하고 더 나아가 혁명적일 수도 있는 발언이 공식적인 방식으로 전달될 수 있다는 사실은 결코 기적이 아닙니다.

그곳에서는 나의 발언을 검열하려는 어떠한 시도나 내가 발언한 내용을 담은 복사물을 회의에 참석한 모든 이들에게 배포하는 것을 주저하는 움직임이 전혀 없었습니다.

또한 지난 3주 동안 각각 별도의 프로그램에 따라 군대의 모든 지부에서 나온 장교들을 대상으로 한 네 번의 강연에서도 환경부에서 겪었던 것과 유사한 놀라움을 경험했습니다. 소령급 및 대령급 장교 앞에서 나는 기후변화, 사회의 파편화, 반(反)지성주의의 확산과 같이 최근 대두되고 있는 위협에 대해 상세하게 논의했습니다.

내가 11년 동안 한국에 머물렀던 진정한 이유는 이런 한국 주류사회의 개방성에 있습니다. 때로는 한국 정부의 정책이 잘못된 방향으로 나갈 수 있기 때문에 항상 최고 수준에서 솔직히 토론할 가능성이 있습니다.

그러나 한국에서 기후변화에 대한 투쟁은 이제 막 시작 단계에 불과하므로, 제도적•문명적 재앙에 직면한다고 하더라도 이에 대한 인식은 매우 낮은 수준입니다.

대부분의 시민들은 전기 사용과 환경 문제 사이의 인과관계에 대해 잘 알지 못하고 있습니다. 일반 대중들은 석탄 및 석유 연소를 통한 전력 발전이 우리가 직면하고 있는 기상 이변과 전혀 관계가 없는 것으로 인식하고 있습니다.

우리 앞에 놓인 긴 투쟁을 생각할 때마다 나는 기후변화에 대응할 도덕적 책임에 대해 “문제는 우리가 어떻게 성공할 것인가가 아니라 어떻게 실패할 것인가”라고 언급했던 불교 철학자 스티븐 젠킨슨 (Stephen Jenkinson)의 발언을 상기하곤 합니다. 이번 환경부 강연을 통해 적어도 나는 더 이상 혼자가 아니라는 것을 느꼈습니다.

다음은 지난 7월 27일 환경부 강연 내용입니다.

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「The Daily NNA 韓国版」の「パストリッチの視点」に“「米国第一主義」について」”

今日は共同通信社の「The Daily NNA 韓国版」に「パストリッチの視点」という新しい連続寄稿の最初でした。 坂部哲生 特派記者は インタービューの聞き手をしてくださいました。

 

The Daily NNA 韓国版

2018年7月30日
パストリッチの視点

最初の寄稿

「米国第一主義」について」

pastreich column

“Could the environment ministry lead Korea?” Korea Times

Korea Times

“Could the environment ministry lead Korea?”

July 29, 2018

Emanuel Pastreich

pastreich at minenviorn

Over the last 11 years, I have had several occasions to work directly with the Ministry of the Environment. It all started when I wrote a proposal for the future of the city of Daejeon (where I lived at the time) in 2008.

I teamed with a researcher from the Korea National Fusion Research Institute, Dr. Jung-Hoon Han, to draft “Daejeon: Environmental Capital of Asia,” which was published on Daedeok Net and Ohmynews in January, 2008.

That proposal called for cooperation between science experts in the Daedeok research cluster and the city of Daejeon and it led to the formation of the Daejeon Environmental Forum (later renamed “Daejeon Green Growth Forum”) that brought together citizens, government officials and scientific experts to discuss how Daejeon could be transformed into an ecological city.

But although that forum was mentioned in the media, it did not get much traction when it came to changing the city’s automobile-based culture. The officials from the Ministry of the Environment whom I met seemed to be trapped in an extremely painful position, forced to adapt to the pro-business Lee Myung-bak administration that shamelessly “greenwashed” (making policies and technologies look like they are good for the environment when they are not) the destructive actions of construction companies.

I also saw how Korean expected the Ministry of the Environment to serve as a protector, and discovered that its officials wanted to do good, but were not given funding and they were compelled to use what funding they were given to promote golf courses and concrete banks for natural rivers in accord with the infamous “Four Rivers Project that brought great wealth to real estate speculators and developers.

So it was quite a remarkable that I received an email on June 18 inviting me to speak to about 150 senior officials at the Ministry of the Environment about my proposal for a rethinking of the Korean economy, which I discussed in my Korean book “A Greater Korea which Koreans did not know about.”

Environment Minister Kim Eun-gyeong spent many years as an activist working on social and environmental issues, and she started her career in local government. I suspect she knew something of what it is like to fight for environmental justice in a Korean society obsessed with industrialization.

She read my recent book and thought that having a foreigner talk about larger environmental policy issues would be useful. I think it was one of the most meaningful talks I have given.

It was my first visit to the Ministry of the Environment in Sejong City. The trip itself reminded me of just how far we have to go to create an ecological Korea. After all, Sejong City does not have a train station.

We had to drive in an automobile across the countryside to get there, with the air conditioning cranked up, polluting the atmosphere and watching how the precious soil is being torn up, and the beautiful trees are being cut down, to make room for apartment complexes primarily aimed at promoting a wasteful lifestyle.

The Ministry of the Environment itself is sealed off in the snake-like government complex, a structure built with little concern for the long-term impact on the climate. The air conditioning was set so high that I felt very comfortable wearing a jacket and tie for my talk. The electricity most clearly was not generated by solar power.

But there were posters on the walls describing serious efforts to address environmental issues, even if the word “climate change” did not appear anywhere. I sensed that beneath the surface there were real stirrings for change among those who had suffered through years of half-baked environment policy.

I must confess that I felt a bit of trepidation about the event. My speech was extremely blunt and I suggested that there was profound danger in the industrialized society that had been held up as a primary symbol of success in Korea for so many years.

I proposed that we must eliminate imports of petroleum and coal, and also reduce imports of agricultural products (which goes against the entire free trade ideology that informs all government policy).

I proposed that corporations promoting fossil fuels should not be allowed to advertise on TV because their corporate support for broadcast had dangerously distorted reporting about climate change.

It was entirely possible that this speech would be highly controversial. But although there may have been real disagreement, I did not sense any hostility. I fact, I sensed a true enthusiasm about this honest dialog on climate change.

After my talk, an official asked me the question that is often posed at such events: “Why did you choose Korea when you could have lived in the United States or China or Japan?”

There are many ways I have answered this question. I suggested, humorously, that I did not come because I love K Pop, or kimchi or galbi, but rather that I was drawn to Korea’s traditions of good government and its emphasis on morality in politics and long-term sustainability in the economy in the past.

I have given this answer before, but as I spoke, a more accurate answer to the question came to mind.

The truth is that I would never be allowed to give this sort of a speech to the Ministry of the Environment in the Japan, or China, or especially in my own country’s Department of the Environment ― where even the discussion of climate change is forbidden.

The fact that my harsh, and even revolutionary, talk could be delivered in a highly formal manner to those actually engaged in policy, and not just to a marginal group of environmental activists, was nothing short of miraculous.
There had been zero effort made to vet my talk and zero hesitation about distributing copies of my talk to everyone present.

Equally amazing was the series of four talks for officers from all branches of the military that I gave over the last three weeks in a separate program. In that program as well I was free to speak about what I thought were the security issues of our age.

I discussed at length in front of lieutenants and colonels such emerging threats as climate change, the fragmentation of our society and the spread of an anti-intellectual culture.

This openness in Korea’s mainstream is the real reason that I have stayed here for 11 years. As wrong as Korean policies may be at times, there is always the potential for an honest debate at the highest levels.

But the struggle about climate change is just beginning in Korea. Awareness remains low even in the face of catastrophe.

The relationship between electricity and environment problems is unclear for most citizens. In the public mind, burning coal and oil for power is decoupled from the bizarre weather we encounter.

When I thought about the long struggle that lies before us, I was reminded of Buddhist philosopher Stephen Jenkinson’s comment about moral responsibility to respond to climate change. He said, “The question will not be so much how we succeed but rather how we will fail.” I felt at this talk at the Ministry of the Environment that at the minimum, I was no longer alone.

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Buam-dong T-shirts 부암동 티셔츠

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contact: Emanuel Pastreich

epastreich@asia-institute.org

 

 

 

“Could government service be continuation of candlelight movement?” (Korea Times)

PASTREICH FOR PRESIDENT 2020

PASTREICH FOR PRES

“젊은이의 공무원 선호, 타협 아닌 도전 돼야” 중앙일보

중앙일보

“젊은이의 공무원 선호, 타협 아닌 도전 돼야”

2018년 7월 20일

임마누엘 페스트라이쉬

많은 제자가 2년 전 촛불 집회에 참여했다. 그들은 당시 한국 사회가 어떻게 변해야 하는지 분명한 생각을 갖고 있었다. 그들의 바람대로 정권이 바뀌었다. 그런데 이들이 희망했던 일들이 새 정부가 들어선 뒤에도 성사되지 못해 큰 좌절감을 느끼고 있다.

가장 큰 문제가 일자리다. 졸업한 제자 대부분이 안정적인 일자리를 찾지 못했다. 새로운 일자리가 좀처럼 생기지 않은 탓이다. 지난 50여년간 우리 주변에서 경제를 이끌어왔던 한 축인 영세 자영업자들도 속속 폐업하는 게 오늘의 현실이다.

그래서인지 많은 학생이 공무원이 되려고 시험 준비를 하고 있다. 정년이 보장된 예측 가능한 직업이라 지금 한국의 여러 기업에서 벌어지고 있는 구조조정의 충격을 겪지 않을 수 있기 때문일 것이다. 문제는 내 제자만 봐도 나랏일 자체에 열정을 갖고 있지는 않다는 점이다. 공무원직에서 독창성을 찾기 어렵고 반복적 업무만 하는 따분한 생활을 짐작하면서도 그저 타협하는 셈이다.

정말 정부 일이 따분하고 활기가 없는 것일까? 나는 그렇지 않다고 본다. 용기와 상상력, 그리고 지속적인 노력만 있다면 젊은이들이 촛불 집회에서 원했던 변화를 정부 조직 안에서 얼마든지 실현할 수도 있다. 한국이 창조적이면서도 효과적인 정책을 펼쳐온 전통을 갖고 있다는 사실을  젊은이들은 알아야 한다. 예컨대 세종대왕의 통치 철학은 도덕적 원칙에 충실한 윤리적 행정 시스템에 기반을 뒀다. 정부를 지루하고 비효율적인 집단이라고 깎아내리기에 앞서 어느 정도 부패가 존재했다 하더라도 본질에서는 공공의 이익에 전념해왔다는 것을 기억했으면 한다.

변화를 갈구하는 일군의 젊은이들이 정부에 들어가면 그들이 빈부 격차를 줄일 수 있는 방법을 논의할 수 있도록 공무원 문화를 변화시킬 수 있다. 비록 공무원 사회의 가장 낮은 지위에 있다 해도 적극적이고 잘 조직된 젊은이들이라면 정부의 운영 방식을 바꾸고 쇠퇴한 공동체 정신을 되살릴 수 있다. 공무원에게 요구되는 불합리한 관행을 바꾸는 것만으로도 공무원 사회 전체에 획기적 변화를 부르는 긍정적 압력이 될 수 있다.

이런 일이 이뤄지는 데는 몇 가지 전제조건이 있다. 우선 젊은이들이 국가의 변화에 실질적으로 참여할 수 있는 장을 마련해야 한다. 정책 토론에서 의미 있는 기여를 할 수 있도록 정책, 기술, 인구 통계 및 기타 업무와 관련한 주제를 스스로 탐구하도록 장려해야 한다. 다시 말해 윤리학이나 문학 서적을 읽는 것을 포함한 인문학적 교육을 공무원 일과 중 일부가 되도록 배려해야 한다. 젊은 공무원의 업무 시간이 상사인 고위 공무원을 지원하는 업무로 채워져서는 안 된다. 그보다는 윤리적 인식과 지적인 정보를 갖춘 인재로 만드는 데 할애돼야 한다.

이런 차원에서 고민해야 할 게 순환보직제다. 이 제도는 젊은 정부 관료들의 전문성 구축을 방해하는 장치다. 지금이라도 이를 과감하게 없애야 한다. 대신 관심이 있는 주제와 분야를 자세하고 깊이 있게 조사·연구하도록 해 심오한 전문 지식을 개발하도록 독려해야 한다. 그렇게 하면 영리를 목적으로 하는 경영 컨설턴트나 이해가 충돌하는 다른 기관에 의존하지 않고 정부가 자체적으로 많은 문제를 해결할 수 있다. 그리고 젊은 관료들은 우리 시대의 중요한 문제를 토론하고, 여기서 한발 더 나아가 실제로 이를 구현할 수 있는 해결책까지 제시할 수 있는 그룹에 속해야 한다. 정책 수립과 시행에 참여할 수 있는 권한을 부여받는다면 그에 상응하는 자신감을 가져야 한다.

공무원 선발시험도 바뀌어야 한다. 헌법이나 기타 모호한 정책의 세부 내용을 암기하는 건 지금 시대와 맞지 않는다. 이보다는 오히려 시대를 더 거슬러 올라가 조선시대 과거와 같은 전통적 시험방식으로 되돌아가야 한다. 수험생들에게 통치 과정에서 발생하는 복잡한 문제를 던지고 여기에 윤리적 원칙을 적용해 해결하는 방법을 물어야 한다는 얘기다.

오늘날 한국은 엄청난 도전에 직면해 있다. 시대에 뒤떨어진 경제관념 탓에 현재의 변화를 따라가지 못하고 있다. 신뢰할 수 없는 정보를 만들어 퍼뜨리는 매체나 소셜네트워크서비스(SNS)가 난립한 탓에 미디어 시스템도 제 역할을 하지 못하고 있다. 또 청년층의 목소리는 국가 정책을 결정하는 과정에 제대로 스며들기는커녕 오히려 차단돼 있다. 개혁을 성공적으로 수행할 수 있는 쉬운 방법은 없다. 하지만 도덕을 앞세우는 새 정부가 젊은 공무원들의 혁신적 잠재력을 일깨울 수 있다면 분명 우리에게 기회는 있다.